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2019年8月の記事一覧

日本神話(2)日本の理念(真実)意味から天地初発

2019年08月24日

『古事記』には神様が重複も含め百柱以上出てきます。名(みな)だけの場合もありますが、その一柱一柱に意味があり、関係性を持っています。

すべて紹介すると膨大な文章になってしまいます。そこで一柱の神にフォーカスしていきたいと思います。その一柱の神のストーリーを遡って天地初発から天孫降臨、神武東征、会社の引っ越しでお隣になる八幡神社の応神天皇までをお話ししていきたいと思います。

神棚の中央に納める「神宮大麻」(じんぐうたいまorじんぐうおおぬさ)は伊勢神宮のお札のこと。伊勢神宮に祀られているのは皇祖神「天照大御神」ですから天照皇大神宮とお札に書かれています。

余談ですがNHKが譲位の報道のなかで「皇室の祖先の『天照大御神』が祀られる伊勢神宮の内宮」と報道したので感心していたら、その後訂正するということがありました。プレスコードに引っかかったようです。

しかし、それが事実です。神棚の中央は天照大御神、向かって右が氏神様となります。数多くの神々の中から三貴神、そのうちの一柱が天照大御神です。上の絵は天照大御神が降臨するニニギノミコト=邇邇芸命(古事記)=瓊瓊杵尊(日本書紀)に神勅や三種の神器を授けているところです。日本の皇祖神を神棚でも祀っている。戦後も日本人は天皇の下に繋がっているっていうことです。

 

 

《1》『古事記』の書き出しの文章 『天地初発』(てんちしょはつ)を紹介します。

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天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かみむすのかみ)この三柱(みはしら)の神は並独神成(みなひとりがみな)り坐(ま)して、身を隠したひき。次に国稚(くにわか)く、浮脂(うきあぶら)の如くして、久羅下那洲多陀用幣琉時(くらげなすただよえるとき)に、葦牙(あしかび)の如萌(ごともえ)騰(あが)る物に因りて、成りませる神の名(みな)は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に、天之常立神(あめのとこたちのかみ)。此の二柱の神も独神成(ひとりがみな)り坐(ま)して、身をかくしたまひき

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意味を書かなくてもわかるでしょう。天地が分かれていないとき天上界に初めに鳴り響いた三柱の神。まだ地上が固まっていないとき成った二柱の神。

この5柱の神には姿がない。この5柱(色つき)の神を「別天つ神」(ことあまつかみ)といひます。ちなみに初めの3柱(ピンク)の神を「造化3神」(ぞうかさんしん)といひます。一柱一柱に役割と意味があるのですがあえて触れずに、本日はここまでと致します。

 

日本神話(1)記紀 基礎知識

2019年08月24日

知人と言っていいのかわかりませんがイラストレーターの「あべまりあ」さんがhttp://www.aso.ne.jp/maria/ 古事記に関する本を出版されたとのことで注文しました。

(私は彼女のイラストのタッチが好きなのです)

 

私も古事記には昔から関心もあるし特に若い人には必ず知っていただきたい歴史書なので、何回かに分けて易しく掲載していきたいと思います。

第1回は、そもそも古事記とはなんぞやということです。西暦で言うところの2012年は古事記編纂1300年だったので、盛り上がりに期待していましたが、政治やメディアの扱いがあまりにも小さいのでガッカリでした。この人たち(政治家・マスコミ関係者)は日本人のフリをした外国人なんじゃないかと疑い始めたのもその頃でした。

 

できるだけ簡単に私の主観で必要な神様や人物しか書きませんから、興味が湧いたかたは自分で調べてください。

さて、『記紀』(きき)という言葉を知っていますか?「古事記」と「日本書紀」のことです。現存する最古の歴史書ということになっています。共に天武天皇が西暦の680年ごろ同時期に編纂を命じたのです。記紀を別々の編者に命じたところに、この2つの意図や性質の違いがあるわけです。

 

『古事記』は稗田阿礼(ひえたのあれ)が読み聞かされた「帝記」(天皇家の歴史書 現存せず)「旧辞」(古代神話 現存せず)を口伝し太安万侶が筆記したものです。古代日本には文字が無かったので記録は口承するしかなく、口承の担当のような家柄や係りがあったようです。方法はわかりませんがとにかく驚異的な記憶力の家系。古事記の完成は712年、上中下の3巻で和文調漢文(音を漢文で表す当て字、文字の意味ではなく発音が大事)で書かれています。歴史書としての体裁は[紀伝体]という人物を中心にして物語を書く方式に時系列を加えた「日本型紀伝体』で記されていて 内容は神話に重点を置き1巻を神話専用とし神話を天皇家に続け、天皇の成り立ちの正統性を国内向けに書かれたという性格があります。編纂に30年以上かかったので元明天皇に献上されました。

 

『日本書紀』は6名ずつの皇族と官人が編纂し太安万侶、藤原不比等、舎人親王などが携わったとされています。完成は720年、全30巻+系図1、神話は、そのうちの2巻だけ。全て漢文で書かれ史書としては[編年体]という年表のように出来事を時系列に書いていく当時の唐(China)が用いたような国際様式。天皇の系譜、皇位継承の説明になっていて海外に向けた正史との性格付けになっています。編纂に40年かかったので元正天皇に献上されました。

 

古事記と日本書紀内容も違うところがありますがそれには触れません。また同じ神や人物なのに文字は全く違ったりします。これは古事記が大和言葉(音)に漢字を当てはめたことと編者の違いによるものです。私は学者ではないのでそういったところは深掘りしません。また間違いの可能性もあることをおことわりしておきます。

 

さて我々現代人は、記紀をどう理解すればよいのかということですが、本居宣長先生登場までは日本書紀を宮中で教育するなど重きを置かれていたようですが、国学者である先生が古事記こそ最高の歴史書として35年の歳月をかけ『古事記伝』を刊行したことで古事記の地位が上がりました。私は断然 『古事記派』日本人が日本人に伝えるために書いた古(いにしえ)の神話に日本人の理念が込められているからです。

 

神話とは何でしょうか。以前、キリスト教の神話のことに触れたことがあります。事実と真実のことも書いたことがあります。キリスト教の神話『創世記』そこに教徒への真髄とも言えるメッセージ(真実)が書かれているわけです。神が天と地その他あらゆるものをどう創ったかという。

 

日本神話である古事記は記紀のうち神話(真実)に重きを置いた史書です。ですからここに、日本人の日本人たる所以が書かれている。では次回より、古事記の内容に入っていきます。海外の神話とはだいぶ違いますよ。神でありながら何と人間臭いというか、悩んだり、苦しんだり、恐れたり、殺したり、生んだり、です。神様がです。

 

 

*追記 「中国」(ちゅうごく)を「China」と書く理由

これはブログの別のテーマで詳しく説明したほうが良いのかもしれませんが簡略して触れたいと思います。私の祖父は亡くなるまで支那(シナ)と呼んでいましたが、昭和21年の外務省通達で「中華民国」がシナと呼ばれるのを嫌うので控ようということで、かの国を中国(ちゅうごく)と呼んでいます。ん?中華民国? そう、知らなかった人もいるかもしれませんが日本が支那事変で戦っていたのは蒋介石の中華民国。今皆が中国といっているのは、満州・モンゴル・チベット・ウイグルを含めた、共産党の「中華人民共和国」。蒋介石を台湾に追っ払ったのが旧日本軍。「そのおかげで共産党の国が出来ました」って、毛沢東さんも言っていたんです。中華思想って世界の中心で華々しいという意味ですから、自国が言うのは良いですが今でも世界の多くの国々がシナを語源とする称呼をしています。他国がChina をどう呼ぶか調べてみませう。そして日本人こそ「中国」(ちゅうごく)と呼ぶべきではないのです。それは中華思想云々では全くなく蔑視や差別からでもありません。私はChinaと書きますが、「中国」以外の公式な呼び方を考えて欲しいです。何故かというと「中国」は元々「なかつくに」古事記でもでてくる

葦原中国(あしはらなかつくに)という日本の国土を示す言葉だからです。いまだに中国地方って日本にありますからね。中華民国にしても中華人民共和国にしても、20世紀に出来た国です。本居宣長先生は著書「馭戒慨言」(ぎょじゅうがいげん)のなかで唐土(もろこし)や漢(から)と書いていますが。古来(江戸中期)から地域的な呼び方として外国からあの地方はシナ呼ばれていたのです。そうです。シナも外来語(サンスクリット)で日本がつけたわけじゃありません。漢字もシナ自体が当てました。日本は関係ありません。  中国は「なかつくに」という日本語が先です。なかなか頭が痛い問題ですが。多くの日本人が知るべき事実です。

 

 

日立  ドラム式洗濯機 風アイロン ビックドラム BD                   『乾かない』『乾きにくい』と お嘆きの貴兄に。

2019年08月22日

2年ほど前、わが奥様が専業主婦を卒業され、洗濯機を古典的2槽式から乾燥機つきのビックドラムにしました。

当初快調だったのですが、次第に乾燥の時間が延び帰宅しても乾いていないなどということも起こりました。

 

メーカーの説明書には①の部分と②の矢印部、写真にはありませんが洗濯機下部の排水のゴミ取りは定期的にお手入れしてくださいとはあるのですが、どうも怪しい「この網抜けたものはどうなるんだ?」ということで、我が家で掃除して解決。その後、定期的にやっている方法を お示しします。

 

ただし、安全のため電源は切って自己責任でお願いします。本来手を入れるところではないので、手を切ってしまっても危ないので(私は大丈夫ですが)ちなみに②の矢印を外した③側も歯ブラシで埃を取りましょう。

 

先ず、元に戻せなくなると困るので写真を撮りましょう。(この写真でもいいですが)ちなみに②の写真がきれいなのは、写真を忘れて掃除後に撮ったからです。

 

はじめに③のダストボックスの奥を外します。左側の矢印の上のほうを引っ張ると左側が外れます。次に④の右側を外すのですが、これは③の左側を引っ張りながら両手で手前に引くと上側が外れます。この時点⑤でかなり埃が付いてきます。

 

問題はこの奥の⑥布製の開閉弁の裏(下)側なんです。ここから先は手を切らないように(切れるようなものは無いと思いますが)注意してください。手を突っ込んで摘み取ります。⑦のように手の向きを替えて奥まで。ある程度取れたら仕上げに⑧歯ブラシを使い手の届きにくいところまで取り除きます。写真では写せませんが、ここから下に行く配管を塞ぐように管内に埃が溜まっていることもあるので慎重に摘み出してください。

 

これで取れる量は、洗濯物の量にもよるでしょうけれど3人家族の我が家で2~3ヶ月で⑨の量。時々やらないといけませんね。エアコンに自動掃除が付いているなら、選択乾燥機にもつけて欲しい。いつかはそうなるでしょうけれど。今はお手入れをしてあげなければなりません。

 

我が社の若手社員も家電は買ったら、そのまま使いっぱなしの人が多いようです。やはり、テレビの映りが悪くなったら室内アンテナいじったり、テレビそのものを、たたいたりして工夫した時代の人とは違います。私は家電や家の修繕などの工夫が仕事にも活きると思っているので、そういう人が減っているのは残念に思います。

 

 

敗戦の日を機に日本の将来を憂う(1)英霊に謝す

2019年08月18日

軍令部総長 永野 修身

 

「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」

軍令部総長といえば、言わずと知れた海軍のトップ。永野修身軍令部総長はエリートを養成する海軍兵学校を次席で卒業し、米ハーバード大学に留学したり、在米大使館の駐在武官などで、3年ほどアメリカで生活した人、当時陸海軍を問わず、エリートは皆海外留学や駐在武官として派遣されていた人が多く、アメリカの国力を誤って戦争してしまったなどということは断じてない。その中でも永野総長は軍人でなければ、住み続けたいと言っていたぐらいアメリカ好き、筋金入りの親米派だったのです。

 

その永野総長が「戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう」と期待していただいた我々ですがこの体たらく。米軍の占領が巧妙だったこともあったでしょうが、日本が敗戦国として永遠に扱われること、日本人の心を失うことで得をする、所謂、敗戦利得者なるものの餌食となっているのが実情です。命がけで挑んだ先人には本当に申し訳ないことです。

 

先の戦争といわれる大戦をアメリカの占領中に太平洋戦争と呼ぶことを強制され、大東亜戦争という言葉は使用禁止にされました。しかし占領が終わってもすべてのメディアが太平洋戦争を使います。現代の若者の中にはアメリカと4年間戦争してその後7年間占領されたことも知らない人もいるそうで、恐ろしさすら感じます。

 

占領期に効いたのは、公職追放と検閲、マスコミを検閲してアメリカに都合の良くメディアを使った。NHKラジオは1945年12月から1948年まで占領軍が作成したラジオ番組『真相はかうだ』をさも日本人が真実を語ったかのように放送した。「悪いのは軍国主義者の指導者たちで多くの日本国民はその犠牲になったのだ」という嘘の放送、しかし皆が真実と信じた。国営放送が嘘を放送しないだろうと。これがプロパガンダです。ドイツ人がナチスに罪を擦り付け俺たちは悪くないみたいな卑怯な思考を日本人は持つべきではありません。正しく大東亜戦争を総括をしなければなりません。

 

占領中は言論の自由はなかった。朝日新聞は「原爆の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」という談話。「ほとんど全部の日本人が異口同音にいっている事は、かかる暴虐は信じられないといふ言葉である」という捕虜虐待の内容の記事がもとで発刊禁止。これで完全にビビってしまい公職追放と相まってマスコミは全部、今でもプレスコードがかかっているかのような報道しかしません。74年も経っているのに。政府の悪口さえ言っておけばいい、戦争の反省だけしておけばいいという敗戦利得癖。敗北主義の主張。

 

1948までの公職追放で愛国者とみられた20万人が職を奪われ、その範囲は教職にまで及んだ。この期間によって以降今まで、教育関係は完全に敗戦利得の一部となったのです。だから大学生でも近現代史を知らせない。敗北主義教育。さて、こういった基盤の上に自分たちが生きていることを自覚して、自分たちはダメ日本人だったけれど、これからの子孫のために日本を取り戻すにはどうしたらよいかを考えなければなりません。

 

政治家は無責任すぎます。戦争に備えよとは言わないが、(本当は間接侵略に備えるべき)東海東南海地震で32万人が死亡する予想が立っているのに、命を守ることは自治体任せ、実際災害が起こった時のインフラや経済についてなぜもっと早く真剣に考えないのでしょうか?東京直下地震、富士山や浅間山の噴火についても同様、この人たちはもう完全に侵略されてしまって、日本が滅びるのを待っているのではないかとさえ思ってしまいます。

 

自民党も信じられないが、その他もひどい。本当に災害に、侵略にまじめに備える提案をする政党はないものか?英霊が守ってくれていると信じているけれど、生きている日本人が一番頑張らなければならないのですよ。

 

敗戦の日を機に日本の将来を憂う(2)日本が平和主義国家?

2019年08月17日

マッカーサーが日本は太平洋のスイスになるべきと言ったとか言わないとか。また日本人が抱く牧歌的なイメージであるスイスの本質を書いてみたいと思います。

誰もがスイスは永世中立国だと知っていますがスイスが永世中立国になったのは1815年のウィーン会議であり永世中立を認めることはヨーロッパ諸国の利益になると記されてるように、軍事強国のスイスが他国と同盟を結んだり武力協力をしたりするとヨーロッパの力学的均衡が崩れるからであって、日本の敗戦の結果、アメリカの保護国になったのとは違います

 スイスはこの200年 WW2のドイツでさえ諦める武力と国民の覚悟で中立を維持してます。敗北主義的平和主義の日本と強い国防の意識からの平和主義を比べては失礼です。

表を貼ってみましたが、スイスは人口830万人で面積は九州と同じくらいです。しかし国民皆兵制で男性には徴兵制があり最近では男女平等の精神から女性の志願者も増えているそうです。結果、現役の兵は少ないですが、予備役(緊急時に兵になる主に徴兵経験者)と合わせた数は日本に近くなります。実際に有事になればそれこそこの数字以上の国民が立ち上がるでしょう。街中には戦車は走り、銃は一家に一丁(200万丁)あるとか。普段は携行禁止ですが有事の際は全員で国を守るということです。

 

 それにしても日本の自衛隊員の少なさ。しかも最近は募集定員に満たないとか、自分で国を守ることを放棄した民族ということがよくわかりますね。

 

 左に貼った写真は冷戦時にスイス政府が全家庭に配布した『民間防衛の手引書』まえがきの初めでいきなり「国土の防衛は我がスイスに昔から伝わる伝統であり、我が連邦の存在そのものにかかわることです」と来ます。「国土防衛のために武装し訓練された国民一人一人には「軍人操典」を与えられますが「民間防衛」というこの本は、わが国民全部に話しかけるためのものです」この2冊を配布する目的は、どこから来るものであろうとも、あらゆる侵略の試みに対して有効な抵抗を準備するのに役立つということです。と続きます。

 

 自由と独立を守ることの方法と手段があらゆるケースをもとに書かれていますが、いろいろな例を挙げて占領を狙う敵の巧妙さに注意するべきこと、国民が扇動に惑わされずに一致団結することの大切さが書かれています。

 

 この本が紹介されるときに必ず取り上げられるのは、火力を用いないで他国を侵略するステップです。現代では火力を用いた侵略はコスパが悪いし、他国からの非難を浴びてしまい採算が合わないのです。そのステップを私独自にこの本の中身を引用して補足して記します。

 

先ず、国を内部から崩壊させるための活動はスパイと新秩序のイデオロギーを信奉するものの組織を作る。彼らの活動は「表現の自由」の美名のもとに行われる。多くの組織が巧みに偽装して社会的進歩とか、正義、すべての人の福祉の追求、平和という口実の下に、いわゆる「新秩序」の宣伝を開始する。

 

 ①活動的で危険なメンバーを政治の中枢に送り込む。(日本は帰化してしまえばすぐに選挙に出られます)

 ②人道的感情を利用しメディアを掌握、敗北主義へ大衆の意識を操作。政府の権威を失墜させ国民と分断。

 ③教育現場に入り込み、諸民族との友情を重んずることを強調し国民の「国家意識」を破壊する。

 ④抵抗意志を徐々に破壊し、「平和」や「人類愛」をプロパガンダに利用する。殺すな。戦うな。

 ⑤テレビなどの宣伝メディアを利用し宣伝工作。非武装反戦。「自分で考える力」を国民から奪ってゆく。

 ⑥民衆が無抵抗で腑抜けになったとき、大量植民で国を乗っ取る。

 

冷戦下で書かれた本ではあるが、これを見ると既に日本は分断と腑抜け工作にだいぶ侵されていることがわかります。島国だから余計こういった侵略方法が日本には向いているのです。つまり政治とマスコミと教育と経済を握ることが勝ち、この本はどういう風に攻めてくるからこういう心構えを持っていなければならないと具体的に訴えています。

 

放送法上、両論を平等に扱わなければならないのに、政府の権威失墜に一生懸命のマスコミ。ネットの信頼性をたたいているマスコミ。戦うなかれの敗北主義を標榜するマスコミ。かなり侵されていると考えるべきです。

沖縄と北海道が分断されそうです。個人個人の意識も価値観もバラバラになってきました。これが国力を削ぐ最も有効な手段であることが、スイスの民間防衛にはすでに冷戦期にか書かれて、全家庭に配布されていたのです。積極的平和主義のスイスで。

 

敗北主義平和主義の日本は、困ったときは誰かが助けてくれると思っているお人よし。経済力を失って、人口減少してアメリカが 上の表にあるスイス以外の他国と利害が一致したとき、どんな形で日本が残れるかの保証は何もありません。チベットやウイグル、南沙諸島で行われていることを世界中が黙認しているのはなぜ?。日本がそうならないとは言えません。何しろ日本と戦争して勝ちたいと思っている人が多く住む国が近くにあります。

 

皆さんお忘れかもしれませんが、日本は国連の敵国条項からいまだに外されていません。実効性はなくなっているとは言うものの、旧枢軸国として、連合国が拒否権を持つ国連では日本を攻めるハードルは日本が他国を攻めるハードルよりはるかに低いという事実。アメリカの保護国であるという事実(米軍基地周辺の制空権がない)日米同盟を破棄できない以上、アメリカからの真の独立はないし、日本人に自主防衛の気概がないでしょう。誰かに守られなくても自分で自分を守るという当たり前の心を。私たちはこの74年のうちに、失わされてしまったのです。

 

敗戦の日を機に日韓を問う

2019年08月16日

この時期戦争に関係する報道が多くなります。テレビで日本と韓国の学生の交流と、小グループに分かれてのディスカッションの場面を見ました。日本の教育では近代史は受験にでない(出さない)のでほとんど教えません。韓国では逆に特別に科目としてその時代の教育をしています。「日本の学生が、その時代の教育を本当に受けていないことにビックしりました」と韓国人の学生が言いっていました。確かにおじさん(私)も学校では教わらなかった。だから日本人が知るべき基本的なことを少し書きたいと思います。

まず、日本人がその時代の教育をされないのは知られては都合の悪い真実があるから。韓国人が良く知っているのは、幼稚園や小学校の低学年から、本当ではない(嘘)歴史を刷り込まれているから。詳しくは調べてもらうしかないですが、韓国の小学生が描いた反日の絵を見てごらんなさいああいう教育をしていれば心の底に日本への歪んだ考えが刷り込まれるでしょう。戦時は同じ日本兵、朝鮮人の上官もいた時代。日韓お互い洪 思翊(こう しよく、ホン・サイク)くらいは調べましょう。徴兵も徴用も1944年からの1年間だけで人気があったそうです。一緒に戦った同志じゃないですか。これはお互い知らなかったでしょう。歴史認識が狂ったのは朝鮮戦争という、同じ民族が他国を巻き込んで何百万人も殺しあったところからで、これと大東亜戦争をミックスしてつじつま合わせの話ができていると日本側からは見えます。この誤解は世代を超えても簡単に解けるはずは有りません。日本人と韓国人が共に正しい近代史を学ぶ時代がこない限り。教育とは本当に大切なもの、他のテーマにも通じます。

敗戦記念日 追悼(1) 意義

2019年08月12日

8月15日が近づいてまいりました。15日に靖国神社を訪れたことはないのですが、散華された英霊に感謝の念をお伝えするため他の日に行くようにしています。靖国神社ではなくても、各地の護国神社や氏神様の神社にも地元から出征した人の忠魂碑があるので場所にはこだわってはいません。ただ、靖国神社というのは、大東亜戦争で亡くなった人、法務死した人が奉られているので、それらの人のために祈るには靖国がふさわしいのではないかと思っています。

 

靖国神社というのは旧東京招魂社で戊辰戦争以降の官軍の戦没者を中心に奉っているので、白虎隊や西郷隆盛は奉られていません。このあたりの線引きは一定期間を経れば無くしても良いのではないかと個人的には考えています。またA級戦犯合祀は米国の占領から独立した翌年、日本政府が共産党を含む全会一致で「戦犯として処刑された人々は、法務死であって戦死者とみなす」と決議したことから当然だと考えます。

敗戦記念日 追悼(2) 目的

2019年08月12日

いうまでも無く神社に参る目的は、慰霊と感謝なのですが、誰に対してということになると私独特の考えがあります。それは自分が そこにいるような気がするからです。主に大東亜戦争に関する本の中では、写真の3冊をから軍の思惑と現実のギャップに驚きます。餓死した英霊たちを書いた藤原彰氏は まえがきで「大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい」と書いています。私もその思いには共感します。他の2冊も含め、大東亜戦争関連の書籍は、現場の指揮官や参謀に光を当てたものも多いですが、今村均大将を始め公務死を免れた多くの指揮官が戦後、戦死者や遺族に対して深い贖罪の意識を持ち続けたというのは、逆に非人道的な大変ひどい命令を下さざるを得なかったということの後悔と懺悔が動機だろうと推測できます。

 

事実、インパールをはじめ、ガダルカナル、ニューギニアなど、制空・制海権を完全に握られ兵站(武器や食料の補給ほか戦力を維持する役割)が全く期待できないところに、何万人という赤紙で招集された素人徴兵軍人を送り込んで、何千キロも歩かせる。3千メートル級の山越えをさせる。体力が低下してマラリア・赤痢・デング熱にかかっても薬もない、食料さえない。無理というより滅茶苦茶。人間と思っていない。兵の命は鴻毛より軽しです。

 

戦死者のうちの餓死者の割合は、90%を超える厳しい地域もありトータル230万人の戦死者のうち140万人は直間接的な餓死であるということです。戦死じゃないでしょう。敵の姿を見ることなく死んでいく兵隊。

------- ガダルカナルの生命判断 ---------

・立つことのできる人間 寿命30日間

・身体を起こして座れる 寿命3週間

・寝たきりおきられない 寿命1週間

・寝たまま小便をする  寿命3日間

・ものを言わなくなった 寿命2日間

・またたきしなくなった 寿命 明日

 

恐らく、靖国に奉られている私は、敵の姿など見ることなく、人に迷惑をかけながら最後は泥に足を突っ込んだまま、またたきしなくなって死んだのだと思います。でも靖国神社に奉られてしまった。私、何の役にも立ってないのに、何にもできなかったのに英霊とか呼ばれて、こんなところにいていいのだろうか?そんな仲間が百万人単位でいるのです。戦闘機で敵艦当たれずとも飛び立った人。戦艦で沈んだ人。そんな散華と呼ばれる立派な亡くなり方でなく、人知れずもののような扱いを受け、自分は無駄死にしたんじゃないかと思っている霊がたくさんいるのです。

 

だから私は靖国に行く

「出征してくれただけで充分。心から感謝します。安らかに」と告げに。

敗戦記念日 追悼(3) 動物

2019年08月12日

日本人にとっても辛かった大東亜戦争。人間以上に大変だったのは動物かもしれません。靖国神社には遊就館の近くに戦歿馬慰霊像・鳩魂塔・軍権慰霊像が奉られています。大東亜戦争でも日本軍の輸送手段の中心だった馬。藤原氏のこの本によると、戦地に送られた馬の数、南方で約40万頭、総数は推測で100万頭近くいたのではないかという。国内の馬を根こそぎ供出させたということになる数です。戦後帰国できた馬は1頭もいないということです。人間の扱いですらあの状態ですから。

やせ衰えた馬は1枚2枚と数えるなどという話も悲しくなります。真偽はわかりませんが偶然戦地で元飼い主と会ってしまい。なかなか離れようとしなかったという話も聞いたことがあります。

 

軍用犬はWiki元ですがChina事変以降、関東軍も軍犬育成所を満州国領内に設立して最盛期には3500頭以上の軍用犬を飼育、海軍でも警備犬として軍用犬の導入を開始したそうです。犬種はジャーマンシェパード。こちらも戦後、帰国はしていません。鳩は主に、通信連絡用として活躍したそうです。昭和から平成にかけて次々に像を建てたのですが碑だけでも靖国神社でお奉りされているということは、それを悼む人が当時は大勢いたのでしょう。

 

一方で私が、どうしても日本人に問いたいことがあります。全国的にあったのか一部地域なのか定かではありませんが、特に大東亜戦争後半、犬猫の献納運動というものがあり、「毛皮にして厳寒地の兵に送る」とか「野良犬になって狂犬病がはやるのを防ぐ」などといって、飼い猫、飼い犬の有無を調査し、強制的に供出させ、連れてきたその場で撲殺や薬殺をしたという事実です。一部は毛皮や食肉にされたようですが、そもそも厳寒のアッツ島だって既に制海権が無くて物が届けられなかったのですから、単にペットを惨殺して廃棄物にしたに過ぎません。この話をネットで検索してみてください。せめて自分が帰ってから殺してくださいと言ったのに、背を向けたとたんに自分の猫の最後の声を聞いたなんて生々しい体験談が出てきます。トラウマになること確実です。日本人が野蛮なのか戦争が狂気を生むのかわかりませんが、現代でもペットが並べて売られているのを見ると、売れ残ったら同じようなことしているのでは?と思ってしまいます。せめて現代では日本人によって怖い思いをする動物がいなくなりますように。

 

予断ですが、私の亡くなった祖父は満州に出征していました。祖父の思い出話を何十回と聞かされましたが、殆どが楽しい思い出話ばかりでした。China人が差し入れしてきたり、お金で豚肉や鳥肉を買って一緒に食べた等々、学校で聞く話とまるで違います。出征先によってかなり差があったのでしょう。但し、戦争体験の書物や祖父の体験で共通しているのは軍隊内の上官や年長者によるイジメや理不尽な暴力が酷かったということ。北沢文武氏著「児玉飛行場哀史」でも嫌な話が書いてあります。この辺が今でも学校や職場でイジメやパワハラ問題が解決できない日本人独特の悪い点かもしれません。人間にも優しい日本になりますように。

お盆最初の家事

2019年08月11日

 

春から初夏に生まれたメダカを一つの水槽に移しました。玄関に睡蓮鉢、外壁沿いに発泡スチロール製の水槽があります。卵を付けた水草を、バケツや水槽に移し生まれた水草を戻すことを繰り返して、お盆休み頃、大きくなったのを見計らって一つの水槽に移すのですが、藻に絡まったり堆積物に潜ったりしてしまい、何段階かに分けて移し替えないとなりません。丁寧にしているつもりでも生育の遅い小さいメダカは何匹かは死んでしまいます。

 

今年は左下の写真のメダカが生まれ育ちました。熊谷の夏、バケツや小さな水槽は一日で、お湯になってしまいます。その中でもメダカは生きていますしカルキの入っている水にいきなり移しても大丈夫です。初めは黒メダカとヒメダカだったのですが、雑交しているうちに黒が多いですが、いろいろなメダカが生まれるようになりました。

 

夏の水槽は藻の繁殖が激しいので毎週掃除が必要です。亀の水槽も毎週掃除が必要ですが、こちらは冬に比べると楽ではあります。こんな小さな生き物でも、そのお世話をさせてもらうことで、とても大きな力に生かされている生命というものの存在を感じます。

 

余談ですが発泡スチロール製の水槽を我が家の植物は皆鉢に入れて沈めていますが、根の力で鉢からはみ出したり、穴を抜けて伸びたりして壁を突き破ってしまいます。また、水の減りも早いので毎日の補給も欠かせません。​注意が必要です。