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社長ブログ
2019年4月の記事一覧
今年も会えた桜花
2019年04月06日

通勤途中の伊弉諾(いざなぎ)神社の桜も満開になりました。
『敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花』
国学者 本居宣長の有名な歌です。(敷島=日本)
宣長のこの歌はいろいろな解釈がされていますが、私の持論では
「日本人の心というものを説明するならば、古(いにしえ)から培われた気質として内面に柔らかく雅び且つ剛健さを秘めており、一旦緩急あれば一気に放出できる」
としたいと思います。それは「匂ふ」は嗅覚だけではない広い意味を持っていること「山桜花」は宣長が愛でていた花であること。国学者として古事記などの古典を研究する中でなぜ桜を愛していたかというところに、私も思うところである桜の奥ゆかしさや儚さの奥にある芯の力強さに日本人の心が重なると感じていたのではないかと思うのです。
桜同様、この歌も近代で翻弄されました。
大東亜戦争末期の国定教科書に載って大和魂を解説する教育に使われました。これは本来の歌の意味よりも、こちらも誤った武士道とあわせて軍事教育に利用されたたというこという言い方が正しいでしょう。
私は、この季節から8月の敗戦の日まで大東亜戦争を思うことが多くなります。おじいちゃん、おばあちゃんっ子の最たる者であった私にとって、祖父母の青春と重なる時代をどうしても思わずにはいられないのです。
そこから始まって、当時の人たちの心も自分に重ねずにいられなくなるのです。
というわけでこれから、夏にかけてはそんなテーマが増えていきますがこれからの若い人に知っていただかなければならない事実、あるいは検証してほしい事柄など書いていきますので、お付き合いください。
人の都合で咲く『染井吉野』の哀れ
2019年03月30日

まもなく満開を向かえる桜の中で代表的な「ソメイヨシノ」この桜は人間が見栄えを重視して作った木です。交配で増えることができない観るために生かされている木。
人工で作られたが故に病気に弱く、寿命が短い、一般的には60~80年といわれています。観られるための木だから人の多く集う場所、公園や街路樹に植えられてきました。それが今、社会問題になっているそうです。
先日テレビを観ていたら、街路樹をソメイヨシノからジンダイアケボノという新種に植え替えを進めているとか。
ソメイヨシノは老木が倒れたり、地中に這った根が段差を生んで邪魔になるという声があるそうです。
ソメイヨシノを作って植えたのは人間です。美しく成長が早く、小さいときから花をつける都合のいい木でした。こんなことになるとは思わなかった、じゃあ切ろう。仕方ないのかもしれませんが人間の都合で生まれて人間の都合でなくなると思うと切ないですね。
樹木医によっては、延命や治療ができることもあるようですが、条件の良い場所の極わずかなものなら別ですが、多くが見捨てられることになるのでしょう。
ジンダイアケボノは枝が上に伸びるので横に広がりにくく街路樹にむいているそうです。ソメイヨシノより赤みの強いピンク色、そちらのほうがきれいだと思う人も多いでしょう。でも私は蕾のときにピンク色で咲いたら淡い白に近い地味なソメイヨシノが好き。
こんな人間の都合をソメイヨシノはどう思っているでしょうか。
手塚治虫の「ブラックジャック」に開発で伐採されるケヤキの木を守れなくて自殺未遂をする おじいさんの話がありました。治療中にケヤキの老木から、「私が種を飛ばして作った子供の木があるから、それを私と思って面倒を見てください」といわれた夢を見るという話でしたが、自分から増えることのできないソメイヨシノは近年の研究で 他の桜の生態系の面からも除去すべき木になってしまう運命なのかもしれません。自ら種を残せないソメイヨシノ・・・。
100年後の、お花見は今私たちが見ている桜と違う花になっているのでしょうか。何故かさびしい気がします。
春分の日
2019年03月21日

今日は春分の日です。いつもの国民の祝日に関する法律によると『自然をたたえ、生物をいつくしむ』という日です。神道と仏教と春分日、秋分日が混ざってしまっているのでちょっと難解です。春分日や秋分日は日本独自の『お彼岸』という行事があるので余計に混乱してしまいます。
整理すると春分日や秋分日というのは日にちが決まっているのではなく「太陽が真東から上がって真西に降りる日」ということの方が意味がありそうです。皇室では昔からこの日に皇霊祭(こうれいさい)があって歴代皇族を祭る日です。仏教系では極楽浄土が西方にあるということで、日本では年に一番浄土に近い日という解釈だったよです。秋分の日は『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ』ということになっています。
これに春は五穀豊穣を祈り秋に感謝するということも重なり祝日法の意味になっているのでしょう。いずれにしろ感謝と祈りに満ちた祭日です。どんな生き物(動植物にも)にも目に見えない偉大な生かす力が宿っているのですから、自然をたたえ、生物をいつくしむのは当然ですが、意味を知り改めてすべての生き物に思いを寄せる日にしてください。水族館でも「チンアナゴすごいね」と水槽の前で声を掛けましょう。
正月、春秋の彼岸、お盆、墓参りする日が多くてまわりきれません。私のように車でいける距離でもそうなのですから、核家族化が進んで実家を離れたり遠方に越したかたには無理ですね。そんなときのために、お盆には迎え火を焚くことでお迎えの代わりを祖父母がしていました。お墓の中に先祖がいるわけでははいのですが、墓参の行為を喜んでくれるのではないかとは解釈しています。とにかく、彼岸に祖先やご縁の合った人たちを想って感謝するだけで供養だと思います。今回私は最低うかがうことにしている2箇所、春分の日には行けませんでしたが墓参し、感謝の気持ちを示しました。先方(亡き人)がどう思っているかなんかわかりません。感謝の自己満足です。
言葉の力『言葉は神なりき』(お医者さんは気概を)
2019年03月16日

ブログに醜い写真を載せてすみません。公立福生病院で人工透析を中止して亡くなった女性(44歳)のことがあったので書きたかったのです。
上が私の『多発性嚢胞腎』の腎臓 下が普通の人の腎臓 ブドウのようにブクブク膨らんでます。3年前の画像なので今はもっと大きいです。年10%位大きくなっていきます。大きくなると共に腎機能が低下し先日の検査で糸球体濾過量(eGFR)という数字が30%を切ったので、重い腎不全のほうに入ってきました。これは、母系統からもらった遺伝なのでどうしようもないですが、生活習慣による糖尿などで腎機能が低下しているかたは、改善の余地があるのですから頑張って透析にならないようにしてください。
人工透析は『血管に針刺して寝てれば良い』というような気楽なものではありません。毎月大学病院で先生と話しますが、人工透析を悲観し自殺してしまう人も何人もいるそうです。
週3回(1回3~4時間)受けないと尿毒症で死亡率100%です。自己負担は極わずかですが、国の負担は一人年400万円とも500万円ともいわれている大社会問題です。しかも年1万人ずつ患者が増えている。その割には理解が少ない議論も少ない、タブー化されているのでしょうか。
まず『シャント』のこと。透析は今日からはじめるというわけには行きません。透析をするには普通の血管では血流量が少ないのでそれを多くするするために腕の血管で静脈と動脈を繋いでしまいます。そうすると動脈から直接静脈に返るラインができるので血流量が増えます。(血の流れる音が聞こえるほど)これをシャントというのですが、20%から30%の人が1年以内にシャントが使えなくなる(壊れる確率があるそうです)その場合、もう片方の腕や他の場所に作ったり、人工血管を使ったりするのです。また見た目が悪いです。血管が1cmくらい浮くこともあり特に女性には厳しい現実です。(母もこれを嫌がっていました)私が読んだ範囲では亡くなった女性は両手のシャントが駄目になって、いつも通っていたクリニックではシャントが作れないので福生病院にいって透析をしないことを選んだ。ということでした。(間違っていたらすみません)
さてここからが本題です。私もいずれ透析になります。母より進行が早いです。心臓も難病です。透析を始めると心臓が悪くなる人も多いようですが私の場合は元々です。病院ににいって結果を聞くと、ひどく落ち込みます。先のことを考えると何も手につきません。全く希望も沸きません。私を支えているのは、娘と会社を何とか独り立ちさせなければと思うだけです。だからそこまで、『あと10年くらい透析しないで済むようにして下さい』と先生にお願いすると『そこまでは無理だなあ』と笑顔で返されます。心臓の結果でも、腎臓の結果でも、検査のたびに鬱になりそうです。
新約聖書(ヨハネ第一章第一節)「初めに言(コトバ)ありき、言(コトバ)は神とともにあり、言(コトバ)は神なりき」とあります。特に権威のある人(病院で白衣を着ている人)は自覚していただきたい。あなた方は『言葉で人を殺すことも出来る』また逆に『言葉で人を生かすことも出来る』私の母も、透析を受ける前(シャントを作る前)は 透析をやるくらいなら死んでも良いといっていましたが、今の先生(私の主治医でもあります)に変わってから、『先生が言われるなら受けます』 になりました。 患者さんは1000人いれば1000人とも違います。心の弱い人といっても種類がたくさんあります。流されやすい人、恐怖を人より強く感じる人、同情されたい気持ちの強い人、日を変えて冷静に話せば理解できる人、一人では決断させてはいけない人、心が揺れ動いている最中の人。その1000人に個別に対応する義務が権威のある人にはあるのです。『自分だって人間だから、そんなの無理』という人は医者を辞めましょう。向いていません。出来なくたってやる気概がなくては駄目です。前々回のテーマは『神は愛なり』でした。神の力を特に強く持っている責任が医師にはあります。さて福生の言葉の神に神の愛はあったのでしょうか。
3月の花
2019年03月09日

2018年11月10日にアップした晩秋のハイビスカスでしたが、今日また咲いてくれました。外では沈丁花も花をつけました。本当は全ての木々を直植えしてあげたいのですが、庭が狭いので、みな鉢植えです。でも全ての木々が鉢の底を抜けて地面に根ざしていますから移動させようと思っても簡単には動きません。たくましいものです。
通勤途中の伊弉諾(いざなぎ)神社の桜も、今遠くから見ると枝がピンク色に見えます。これは実際にそうなのか私がそう思っているからそう見えるのかはわかりません。でも2月になると色が出てきて3月にはいるとそう見えるのです。桜には毎年挨拶しています。花が咲いているときは「今年もきれいに咲いたね」 散り際には「来年もまた逢おうね」と、相手も期待を裏切らず。しっかり咲いてしっかり散ります。そういう目に見えない力が働いているのですね。
「野の百合を見よ労(つと)めず紡(つむ)がざるなり」(聖書マタイ伝)これも私の解釈だと、何の努力もしなくても野原の1本の百合さえ「生かそう生かそう」という何らか(神=定義は大生命とかサムシンググレートにしておきます)の力が働いている。それに気づきなさいという事でしょう。あんなに力づよく開花する桜、そして短くして散った後は青々とした葉が出てきます。生命を感じます。花咲爺さんの「枯れ木に花を咲かせましょう」というのは桜のことだと思います。一瞬にして全力を出す桜。見習うべきところが多い木です。冬、枯れたかのような姿を見せておいて一気に力強く燃えるように咲く。桜の力か、神の生かす力か。野の百合1本にも与えられているのだから私たちにもあるのでしょう。
神は愛なり
2019年03月02日

私はよく「動物が好きなんですね」と言われますが、ちょっと違います。
動物を飼いたい。というと人間本位になりますが、「生き物のそばにいたい」というほうが私の心情を表す言葉として近いと思います。生きているという事では植物も同じですが、動物のそばにいたいと思うのはより「愛」というものを感じられるからです。若い頃読んだ飯田史彦氏の「生きがいの創造」は私の考えとかなり一致した一冊でした。機会がありましたらぜひお読みください。「人生の価値とはどれだけ愛せたか」だとあります。自分が何故生まれて来たかがよくわかります。
この写真の2羽は今ではもう天に帰っていきましたが、青いほうの「チッチ」が5歳を超えてから緑色の「キュン」をホームセンターで買ってきました。(このような動物売買の方法を私は否定的に考えています)チッチは雛から飼っていて、とても懐いて呼べば指や肩に飛んできます。
専門的にいいコトかどうかはわかりませんがキュンを買ってきて籠の外で会わせてみたら、チッチが一生懸命キュンに素嚢から餌を出して与えはじめました。これがサムシンググレートの与えた本能というものなのでしょうか。愛を見ました。
動物のほうから見せてくれる愛もあれば、自分のほうから湧き出させてくれる愛もあります。だから動物のそばにいたい。愛に大きいも小さいも、尊いも卑しいもないですが、最も近くて大きくて深い愛は、人間の親子の愛ではないでしょうか。特に子供が小さいときに教えてくれる愛に敵う愛はないと思います。
昨今、その最愛の子供を傷つけ、殺してしまう親の話が続いています。三島由紀夫が天国で地団駄踏んで怒っていると思います。自害して50年近く経ちますが彼が生前語っていた「今に日本は、親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺したり、そういう時代になる」という言葉。当然の帰結。
動物を見てください。「神は愛なり」は新約聖書の聖句ですが、私は愛のあるところに神はいらっしゃる(神の定義は大生命とかサムシンググレートにしておきます)と解釈しています。動物と一緒にいると愛により多く接する機会がある、ということはより神に近づいていると思えるのです。だから愛の中で暮らしたい。後日書きますが、あの悲惨と思われる病院も入院してみると神だらけでした。そう、愛に満ちた場所でしたよ。でも動物は先に死んでしまいます。そのとき必ず声をかけます。「次は絶対に人間に生まれてくるんだよ。そしてまた逢おうね」
三島が何故、昨今の親子の状態を予見できたか、敗戦によって体制の変わった日本、体制だけならまだしも目的は日本人の心を変えることでした。唯心論から唯物論の国へ。物質の価値が第一で多く持つものが正しく、少ないものを支配する。ここから子殺しの理由を説明するにはページが足りません。でも、この話を思い出したのはニュースでみた就職活動をはじめる学生へのインタビューでした。わざとそういう編集をしたのでしょうか。企業を選ぶ基準が物質的自己中心的なものばかりでした。これからの日本がどうなっていくか予想が立ちますが、今日はやめておきます。 万物の霊長である人間。神は自分の姿と同じに人間を作ったと言われていますね。その人間に生まれただけで、すごく幸福なことだと私は思うのですが。
心配性なもので突然ですが若人へ
2019年02月23日
私の父は84歳ですが、お蔭様で今でも元気です。父が人に意見するときはよく「俺も心配性だからこんなことを言うんだけれど」と言ってから本題に入っていました。こういうところは親子として似ているなぁと思います。
「私も心配性なものでボーっと生きている全ての日本人に問います」という気持ちでこのブログを書いています。
特に若い人、これから日本で生きていかなければならない(否定的に書いています)人へのメッセージです。
昨年は明治維新150周年でした。前にも書きましたが、150年なんてそんな昔の話じゃありません。せいぜい4~5世代くらい前でしょう。明治維新から50年、今から100年前に第一次世界大戦後の連合国軍として勝利し、パリ講和会議のヴェルサイユ条約に調印しました。連合各国の総意として赤道以北の旧ドイツ領を委任統治(統治してくれるように頼まれた)ので サイパンやパラオ、トラック諸島を日本が統治していたのです。この統治を受けた原住民は日本を悪く言う人は少ないでしょう。日本の統治とはそういうものだったのです。チョンマゲを結って刀を差していた時代から50年で実質的に当時の世界の5大国に日本が入ったのです。今の私たちでは出来ません。
・日清戦争1894年(日本勝利・3国干渉あり反論できず下関条約で得た遼東半島を清に返す 臥薪嘗胆)
・日露戦争1905年(日本薄氷の勝利 ロシアが清から受領していた大連と旅順を租借 勝ったが賠償金なし)
・パリ講和会議1919年(世界で始めて国として人種差別撤廃を明確に主張し多数の賛同を得るも不採択とされる)
オレンジ計画はアメリカが交戦の可能性のある国を「仮想敵国」として対日本戦争計画につけられた名称です。日本以外にも たくさんの国を想定して備える。さすがアメリカしかも計画製作に着手したのが日露戦争直後だというのだからすばらしい。(皮肉です)だだし、オレンジ計画がアメリカと戦わなければならばくなった直接の原因ではありません。彼らは国防として当然の備えをしていたのです。
問題はパリ講和会議での人種差別撤廃の主張、ものを言う有色人種の登場。この後、日本は正当な理由から中国に駐屯していたのに段々色々な出来事に巻き込まれていきます。いつかの選択肢の誤りもありましたが、ヴェノナ文書が示すとおり、一部の人間の意のままにひきずられて行きました。結果は皆さんの御存知の通りです。
無知とは怖いものです。教育とは何でしょうか、うちの娘は聞いてこなかったのですがよく お子さんが「何のために勉強するの?」って聞きますよね。そういう時はぜひ言って上げましょう。「勉強しないと、自分の判断で行動できない人になってしまうよ。人の言うことを聞いて正しいか正しくないか解らない。間違っていても誰かに付いていくしかない人になってしまうよ。」と。
ここの細かい説明は今日は書きませんけれども、この後の敗戦によるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)の基に今の自分たち日本人が生きているということ。過去100年の結果が今だという事。
福沢諭吉の脱亜論知っていますか。極東の3国は欧米から見たら同じような人種や国柄に見られてしまうけれど、とても考え方が違うから、近いからといって特別なお付き合いはしないで世界には日本はこれらの国とは違いますと宣言して欧米寄りの外交を進めていったほうが良い。と私の感覚から言うとそういうものです。
アメリカもようやく気づいて今になって反中国に舵を切りましたがもう遅いです。アメリカが気づいたのに、福沢諭吉の国の日本人がまだ気づいていません。(また皮肉です)私は恐らく長生きしないと自分で思っているのですが、娘が不憫です。日本人は、何を武器に世界に対してどう振舞って生きていくのですか、何で稼ぐのですか?団塊以上のお年寄りが輸出で稼いだ貯金を使い果たしたら終わりでしょう。戦後復興・電子立国・自動車立国の次、まさか誰かに食べさせてもらえるだろうなんて考えているわけないですよね。誰かが考えてくれるだろうなんて思ってませんよね。
残念ながら、もう私たち(あなたたち)は間に合いません。変わるのには何十年も掛かるのです。失われたものを復活させるのは出来ないのです。現実を見てください、他のアジアの国(中国やシンガポール他)の労働者でなく、管理職の給料は、日本人管理職のずっと上に既になっていますよ。こからは優秀な人は日本で働いていると、割に合わない時代です。日本は単純労働の国になり、賃金はもちろん国力も低下すでしょう。WGIP対策をしなかったツケ。競争より共生、皆で並んでゴール! なんていっている間に、出し抜かれました。
毎日のように店員やアルバイトの不道徳な画像が流れて 「対策はないのでしょうか?」 などといってますが笑ってしまいます。方法はあります、かつての道徳至上主義に戻すのです。法律では人間は縛れません。でも悲しいかな人間はどこまで行っても都合が悪いことには気づかないフリをしてしまう。日本は最貧国になってから出直すしかないのかもしれませんね。「自由平等博愛」って絶対の徳の上にしか成り立たないのですよ。学校から取り払われてしまった「二宮尊徳」が言っていたじゃないですか。


藤井中尉のこと。 南九州市知覧町
2019年02月19日

鹿児島に1泊出張に来ました。少々遠回りですが、鹿児島に来たときは、知覧の特攻平和会館に来ることにしています。
「知らないことは恥ずかしい」というタイトルのブログにも書きましたが、今ではここに来なければならないという気持ちで来ています。
特攻を賛美する人がいますが、発案者が申しておりますように悲惨中の悲惨な必死の作戦の外道です。
私はこれを推奨賛美するものではありませんが、知らないご縁があったのです。熊谷で育ち、荒川で遊んできました。大人になってからも、子供を連れて河原でバーベキューや水遊びをしました。

そんな中で、藤井一中尉のことを知ります。藤井中尉のことはたくさんの書き込みがありますのでwebで調べてみてください。何も知らないで荒川で戯れていた自分が恥ずかしくなりました。そんなこともあって、今では藤井中尉が教官をしていた航空自衛隊のある、熊谷市拾六間に自ら望んで住んでいます。
そして、鹿児島に来る時には(実は鹿児島にはお客さんはいません)知覧に藤井中尉に線香をあげさせていただきに来ます。館内撮影禁止ですので上の2枚はパンフレットです。藤井中尉は昭和20年5月28日、第45振武隊として出撃し、見事作戦は成功したということです。(享年29歳) 平和会館では8コーナーに遺影があります。(一番上の段です)

例の有名な子供たちが亡くなた後 一子ちゃん 千恵子ちゃんに宛てた手紙も展示されています。 コピーなのでしょうが、お花の絵、女の子の絵の筆圧まで伝わってくる、今そこで描いたかのようなお手紙は、藤井中尉の子供への気持ち、人柄が伝わってきてネットで見るものと全く違います。 少々遠いですが、是非一度ご覧ください。知覧特攻平和会館 初代館長 故 板津 忠正さんのためにもお願いします。
平和会館の外観と、お線香をあげられるお堂です。観音堂もありますし護国神社でもあるので、何でも良いからとにかく慰霊顕彰したいという残った人々の気持ちが伝わってきます。
これも有名な「とこしえに」の若鷲の像と見つめる母の像、若鷲の像が昭和49年、母の像が昭和61年ですから若鷲一人では可哀そうということもあってお母さんに来てもらったのでしょうか双方の石板には「母の温かいみ胸で御霊の安らかならんとして世界平和を祈念して」「国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いがら、勇士は征ったに違いありません」とあります。
特攻隊員は10代後半から20代初めの若者が多かったので、騙されてとか、断れずに嫌々行ったという人もいます、そういう人がいたことも否定しません、しかし多くの若者は自分の命を捨てることで将来の日本人に託し、示したのだと思います。敗戦で自決した人、特攻で命をささげた人の多くが、「後のことは頼んだぞ」と言って逝きます。 頼まれたのは誰ですか。 今を生きる私たちも入っているのではないですか。
ママには勝てない
2019年02月16日

我が家のワンコ名前は『くるみ』 クーちゃんと呼んでいます。1歳半ショッピングセンター内のペットショップの売れ残りで、この犬種としては格安でしたが、ショップでの その先どうなるかを考えると私もそういった動物の売り方はどうかと思う一人なのですが、このときもそういう思いもあって衝動的に家族にしてしまいました。だから、ペットショップはあまり行きたくないのです。
さてこの子、はじめは隣の部屋で一人静かに寝ていたのに、隣の部屋に我々が寝ていると知って知らずか、大人になってから段々朝早く「クゥー ン クゥーン ガタガタ」と、起こすようになりました。ときは3時ごろからそんなことになってしまい。根負けして最近、一緒に寝ています。

布団2枚を敷くと いっぱいになってしまう部屋なのですが、入り口に私、隣に妻という配置で寝ていると。妻の向こう側に行って妻の布団で寝ます。
私は、これはきっと配置が悪いのだと思い布団の位置を入れ替えましたが写真のようにやはり妻の布団に行って腕枕で寝ます。むりやり私の布団に入れてもさっさと妻の布団に帰って寝ます。妻は勝ち誇ったように「犬は誰が優しいか知っている」と言いますが本当に見抜かれているのでしょうか、一緒に寝るようになったら余計に寂しい気持ちになりました。
人にしろペットにしろ所詮男親はこんなものですね。
建国記念の日
2019年02月11日

今日は建国記念の日です。 「建国をしのび、国を愛する心を養う」 という取って付けたような趣旨です。
絵心もないので、フリー素材の「いらすとや」さんからいただいていますが、残念ながら弓に乗っている鳥が違います。ここは、サッカー日本代表でおなじみの「八咫烏」(ヤタガラス)そう、3本足のカラスじゃなきゃだめなのです。直すことも出来ないので、こままにしますが下の大日本名将鑑の版画も鳥は良くわからないですね。いずれも神武天皇(即位前なので神倭伊波礼毘古命)が東征中に熊野で道に迷った際に天の使いとして案内をした鳥です。それにしても建国記念の日を日本人がお祝いしないっておかしいと思いませんか。家では誕生日のたびにお祝いしてるのに。
そもそもこの建国記念の日は最近出来たのです。というより、昭和41年にやっと復活したのです。そもそもは明治6年に定められGHQによって昭和23年に廃止させられた「紀元節」が基になっているのです。恥ずかしいですね日本。私の個人的な考え方ですがアメリカが敗戦国に『おすわり』と命じた。アメリカ人も忘れてるのに75年経って、みたらまだ座ってる。なんという忠犬。
昭和40年当時、紀元節を建国記念の日として復活させた。よく出来たと思います。今では出来ないでしょう。そんなことに関心のある日本人がいないんですから。既に保守は絶滅危惧種です。
ここからは一気に省略して書きます。日本には皇紀という年号があり今年は皇紀2679年です。西暦+660が皇紀です。神武天皇が即位したのが紀元前660年の旧暦1月1日だから、そして新暦のグレゴリオ暦の2月11日あたりがその日になる。ということで今日が建国記念の日なんですね。(今上陛下は第125代 現天皇の御世では元号は使いません 今上陛下です)
紀元節の基となっているのは、日本最古の歴史書「古事記」「日本書紀」江戸時代の研究で そういうことになっています。神武天皇なんかいなかった。紀元前660なんていう歴史があるはずない。まして神様なんかいない。そういう意見ももちろんあります。尊重しましょう。でも、そういう人たちは同じことをキリスト教徒やイスラム教徒の皆さんにいえるのでしょうか。アダムとイブが楽園で生活していてイブが蛇にだまされてりんごを食べたなんて・・・・。って言えるのですか?
少なくとも私は絶対に言えないし、どんな思想でもその始まりに異論を唱えるなどという愚かな考えは浮かびません各々尊重いたします。よく言われるように、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天下って、その孫の神武天皇が東征して橿原宮(かしはらのみや)で即位したのが紀元前660年前の旧暦1月1日が間違いだったとしても。男系男子継承が125代続いてるっているということが事実ではなかったとしても。少なくとも1500年以上はそれが信じられて日本人の心のよりどころとなってきたという事実を受け止めれば、現代を生きる私たちの義務としてそれを後世に伝えなければならないのではないでしょうか?というのが私のシンプルな考えです。科学的な女系論も結構ですけど、1500年の歴史をここで変える、少なくても信じているものが多数いるのに変える。その考えが1500年間紡いできた先人に対して畏れ多いというのです。天皇家に対してではありません先人に対してです。
余談ですが「ゼロ戦」皇紀2600年(昭和15年)採用の海軍の戦闘機だったから零式と長年聞いてきましたが、最近はアメリカがそう呼んでたらかという話もあるんですね。ともかく、現在の建国記念の日は、すんなり決まった祝日ではなくて、大変苦労して復活させた日なんですね。あれから50年、どの家も日章旗が揚ってない。我が家の日章旗が浮いてます(雰囲気)。誰が予想しましたかこんなこと。もうDNAなんかどうでも良い(良くないのは皇族だけ)から、日本の伝統文化を守ろうという人に移民に来て欲しいです。お祭りも、祝祭日の行事も、そういう気概のある人にお任せしましょう。もしそうじゃなかったら、それこそ日本じゃなくなってしまいますよ。
プロフィール
代表取締役社長:本間 剛1964年12月生まれ
東京電子専門学校
メディカルエレクトロニクス科卒
趣味 : 読書/仕事
座右の銘 : 吾以外皆吾師カテゴリー
- a) 会社や仕事について想う (17)
- b) 人生/社会観(若人へ) (59)
- c) 健康観(カウントダウン) (7)
- d) 体験/プライベート (28)
- e)日本神話 古事記 やさしい解説 (28)
- f)日清日露大東亜 (9)
- 社長在宅日記 (22)
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