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社長ブログ

2018年12月の記事一覧

年末掃除

2018年12月30日

一夜飾りと29日を避けると、今日30日に大掃除をしながらお飾りをつけるしかありません。

先ずは神様です。神棚を卸し、お札を取り出して清浄な布で丁寧に掃除をして注連縄を張替え、新しいお札と御幣を納め供物をお供えして鏡餅を置きます。

 

障子と網戸を張り替えました。現在の家は障子も2枚しかないですが昔は大変だったでしょう。好きに破っていいと娘に言ったら、下の娘(ワンコです)も頭を出して遊んでいました。

掃除が残りました。大晦日に掃除をしてから『みそかっぱらい』をして「年越し参り」に行きます。

リビングのエアコンも掃除しました。昔はエアコンをバラし、シロッコファンを外して水洗いしたのですが、今はそのパワーが私に有りません。今のエアコンは掃除もしやすく(ルーバーが外れる)なっていますから、掃除機で吸引し大きな汚れを取ってからビンセットに綿などを付け中性洗剤等ファンが侵されないもので丁寧に拭きあげましょう。匂いもなくなり快適性アップ、冷暖房も効率アップ。効果絶大絶対おすすめです。

新年を迎える準備

2018年12月22日

拾六間の住人になって約3年。ここにはきちんと伝統文化が残っています。12月になると回覧板で大麻(お札)と窯〆セットの販売が通知されます。

お札だけを買う人もいますが、私はセットで購入します。今まで住んでいた地域にはこのような習慣がなかったので新鮮な気持ちがしました。

上写真の右から氏神様(地元の神様)と神宮大麻(伊勢神宮の天照皇大神宮)のお札、御幣(ごへい)袋には右から、お祓い2本/男女一組の人形(ひとかた)/御幣7本/紙垂(しで)が2組入っています。

借家住まいの時はただ鴨居にべニア板を載せただけで榊も何もないお札だけの神棚でしたが、ここにきて真っ先に神棚を買って自分でつけました。

家の中にお社があるだけで気が引き締まりますし安心感も得られます。代々こうやって信仰が続いてきたんだと感じます。

そうなのです。これって今でいうところのホームセキュリティなんです。お札を収める神棚が集中監視制御システム、

紙垂の結界で中心を守って御幣を主要な監視場所に設置する。御幣はアンテナであり依り代。神様に見守っていただくポイントのしるしです。

どこにどう置かなければならないということはないですが大事なところを見守っていただくので、昔は竈(かまど)に火の神様用と竈の神様用に複数本、井戸や蔵その他の水回りなどに祀ったそうです。我が家は前の持ち主の方がオール電化にしておられたので火は使いませんが、台所・玄関・トイレ・火災報知器などに置かせていただいています。あちこちに御幣があると留守の時にも見守られているようで安心します。

 

最後にお祓いのことを書きますが、この2本一つは お正月の神様の供え物を清めるため、もう一つは大晦日に家の中と家族を清めるためのものです。この晦日(みそか)に祓(はら)う ということから『みそかっぱらい 』と言われる地域もあるとか。役目を終えたお祓いは、鬼門の方向に魔除けとして地面に挿します。時々何かを呪っているのか?などという書き込みを見ますが、そうじゃありません。最後の最後まで守っていただいているのです。ありがたいことです。

過去の事実を知らないことは恥ずかしい

2018年12月19日

熊谷に住んで40年以上経ちましたが、子供が生まれるまで知らなかったことが幾つかあります。

何でこの地に航空自衛隊があるのか、近くに御稜威ケ原(みいずがはら)という仰々しい地があるのか。

疑問に感ずることも無くただ存在を認識しているだけで過ごしていました。チコちゃんに叱られそうです。

 

御稜威(みいつ)とは天皇や神様のご威光と知ったのも30過ぎてでした。

私も素直なものですから戦後教育を受けて公権力に抵抗するのが正しい道などと考えていた時期があり人並みに日本人をどこかで軽蔑していたのですが、子供が出来てインターネットが普及し、正しい伝統を教えてあげなければなどと調べているうちに段々 今までの自分の生き方が恥ずかしくなったわけです。ごく近代の事実も知らないで教えてあげようなんて、とんでもないことでした。

近代史は教育でもっとも軽んじられているというより避けられていますから、自分で調べないと知らないまま歳をとってしまうのです。せめて自分の地元はどうだったのか自衛隊をきっかけに簡単に記してみます。

 

埼玉県内には陸軍の飛行場だけでしたが 熊谷・桶川・越谷・児玉・坂戸・狭山・高萩・所沢・豊岡・丸山と10箇所も飛行場があったのです。

関東だと60です

・昭和10年に熊谷陸軍飛行学校ができ学校として中心的位置づけでした以後全国に分教場が開設されます。

・昭和10月10日皇陛下が行幸され訓練などを御覧になられたことから飛行学校長江橋英次郎陸軍中将が

 この飛行場を「御稜威ケ原」と名づけます。

・昭和20年の敗戦で『アメリカ陸軍に接収』され昭和33年に返還されます(13年間アメリカだった!)

・昭和33年航空『自衛隊熊谷基地』となります。(自衛隊は住所上 拾六間で御稜威ケ原ではありません)

 

そして今、私は拾六間に住んでいます。歩いて自衛隊までいけますし、丸刈りの若い自衛官とよくすれ違います。

しかし、このたった70年前の簡単な歴史を知っている人がどれだけいるのでしょうか。

 

春には自衛隊で桜祭りがあり大勢の人でにぎわいます。お祭りでありイベントです。

今年はF-15戦闘機×2機による航過飛行 CH-47Jの展示と飛行(パイロットは女性でした)

ブルーインパルスの飛行は行われない年のほうが多いです。(一番盛り上がるのですが)

 

お祭りは皆楽しそうなのですが、楽しいだけじゃなくてちょっと前の人たちにも想いを寄せて欲しいと

私は思っているのです。

セミコンジャパン2018年12月12-14日

2018年12月14日

12月12日セミコンジャパン2018初日でした。弊社ブースにご来場の皆様ありがとうございました。

人出の印象は「例年並みでにぎやかとはいえません」新しい出会いというより、例年ご来場いただくお客様に多くお越しいただきました。ありがとうございます。

今年の展示部ブースは動きのある機器については意図して正面から見えない位置に展示しています。

・トリオデザイン事業部は 薬液供給庫/濃度コントロールユニット/スピンドライヤ

・計測システム開発部からは 管内検査装置/ファンクションテスター

等を 実機展示しています。2日目 3日目に ご来場予定の皆様、弊社ブースに是非お立ち寄りください。よろしくお願い申し上げます。

展示会が終了しました。3日間あっという間です。ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

今年も新たな出会いと、懐かしの再会がありました。10年以上ぶりにあった仲間はかなり外観が変わっていましたね。お互い様ですが、我々の商売は展示会の効果が即出るものでもありませんから、この展示会が成功か失敗かはわかりません。でも、お金が続く限り出展したいと思います。

何しろ小社にとっては大変な費用が掛かりますので、成功しないものにお金はかけられないという考えでは出展できませんが、お金に換えられない何かがあるのです。

来場者総数が発表になりました。52,865人 前年比78% 弊社予想に反して大幅減。今年は皆忙しかった?来年は賑やかになるといいですが。

展示会でお会いしましょう

2018年12月08日

半導体業界の展示会『セミコンジャパン』は40年以上の歴史を持ち、日本の半導体需要と生産技術の変化と共に規模が拡大そして縮小しました。

世界各地で行われる中でも日本で行われるこの『セミコンジャパン』かつては出展数、来場者数共にトップあった時期もありましたがセミコン以外の展示会も多く開催されるようになっていますし。半導体も当然投資額の大きい国の展示会が集客も多くなり出展社も移っていきます。ここ最近の展示会は革新技術の発表や展示というより同窓会のような昔の仲間の近況を知る場と化していました。

しかし、失われた20年にも限界が来たのでしょうか、今年はご案内したお客様の多くで展示会に行くという声を聞きました。2000年以降入社のかたにとって なじみの薄い『セミコンジャパン』ですが、一度経験的に行かせてみようかという会社の方針があるのかもしれません。弊社は看板に掲げているように、国内のお客様が活気を取り戻していただける支えとなりたいという想いから起業しておりますので展示会が盛況になることを願っています。多くのかたにブースにお越しいただいて、何かのヒントにしていただければ幸いです。

展示会場でお会いしましょう。 12月12(水)~14(金) ビックサイト東展示棟**Hall3  ブース番号 3212**

ペット紹介(中等動物編)

2018年12月02日

上の写真がわが家の動物たちです。わかりにくいですが、セキセイインコの『ルル』 ルルの後ろで同じポーズを取るクサガメの『亀吾』 下の籠の中にいるのが ヒメウズラの『チョコ』です。

亀が中等か?というところが微妙な線ですが、昨年の冬の脱走劇から中等と判断しました。

水槽が浅いと(手が掛かれば)両手で懸垂をして体を持ち上げ腹筋が使えないのに体重を前にかけ外に出る行動を何度もみていますので蓋にオモリ代わりに本を載せていたのですが、その蓋をズラし脱走したのです。

 

亀はなかなかの俊足です。掃除のときに私道で日向ぼっこをさせてやると、かなりの速さで歩きます。(走りません)

冬に過ごす部屋は2階、しかしどの部屋でも見つかりません。そんなに大きな家でもないのに見つかりません。果たして妻が翌日 見つけた場所は玄関のタタキ。下駄箱下の隅で靴に紛れていたそうです。

部屋を出て、90度曲がっている階段を降り、玄関のタタキに降り隠れていたのですが、どんな姿で脱走を試みたのかを考えると興味がわきます。

現実的には階段も玄関も転げ落ちたのでしょうが、もしかすると人の見ていないところでは2速歩行して階段を1段ずつ降りたのではないか。玄関を開けると外に出られることも知っているのではないか。そう思うとあり得そうでちょっと怖いです。

冬はいつも下の写真の姿勢で下半身を鍛えているので次も狙っているかも知れません。

師走です

2018年12月02日

師走になりました。戌(いぬ)年も終わりですね。歳をとると時間の経過が早く感じますが、蓄積された年月が長くなるために段々分母が大きくなって何年分の1ということで1年が短く感じという説があります。

人間の1日は犬の1週間、一緒にいられる時間が短いから時間を大切にしなければと思いますけれど。誰も他人や自分の時間がどれだけあるかは解らない、時間は大切。『美人薄命』はそういう意味もあります。現世の時間は有限。人との愛情も葛藤も短い大事な『とき』なのです。この何よりも大切な『とき』を活かさないと生きている甲斐がないというものです。

勤労感謝の日に思う

2018年11月23日

本日は『勤労感謝の日』ですが、戦前は『新嘗祭』(にいなめさい)で文字通り祭日でした。(伊勢神宮では別に神嘗祭があります)
11月23日になったのは太陽暦(新暦)を採用後の明治6年以降です。それ以前は旧暦11月の 2番目の「卯の日」(新暦だと本当は12月)だったのに新暦の11月中卯が11月23日だったから、その日が祭日になりました。その時点で軽い事情のような気がしますが、ともかく11月23日は『勤労感謝の日』となり、新嘗祭は国民の意識のうえでも、現実的にも全くの別物になったということが現実ですね。

 

『新嘗祭』

 その年の新穀を神に献上し神と共に新穀を共食しお祭り(感謝)する。

 

『勤労感謝の日』

 勤労を尊とび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。

何かこの二つ、似ているような逆のような不思議なGHQマジックです。(現祝日法はGHQ占領中に制定された)

新嘗祭自体は現在に至るまで千数百年以上、行われていますので国民の意識の中から新嘗祭を含む神道を遠ざけるという目的は達成されいるわけです。

 

新嘗祭に献上する初穂、今は初穂料として お金で納めることもありますが、かつては日本全国の神社でその地域で一番に実った強くて良い稲穂を選んで神社に献上し翌年の籾種としたそうです。ですから結果 無意識のうちに各地で品種改良が勝手に進んで日本の米は、おいしいということに繋がっているわけです。神様のお考え(神意)にわかないません。

 

何故お米が大切かが最後になってしまいましたが日本書紀に記載のある天照大神が地上に降臨する孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けた三大神勅のうちのひとつである『斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)』にお米のことが書いてあるからです。(私が孫に言葉を授けるなら本1冊くらいになりそうですが)三つの神勅のうちのひとつであるこの お言葉を現代語訳ですと

 『吾が高天原に作る神聖な田の稲穂を わが子に授けましょう。』 ということなのですが このことを良く考えてみてください。

今私たちが食しているお米は、ことき授かった稲穂の子孫であり、それを何世代も真面目に新嘗祭で毎年献上して品種改良した最上品(どんなお米でも)だということなのです。

 

昔は精米技術が今より劣っていて、旧暦のこのお祭り(12月)がすんでから皆が新米を口にしたのかもしれません今では機械で刈り取り乾燥した新米が早い時期に出回るので、新嘗祭関係なく新米を食べてしまっていますが、このことを知ると。今夜のお米の味はまた違ったものになるかもしれません。

 

ちなみに、新しい天皇がはじめて行う新嘗祭を大嘗祭といって、とても重要な祭祀なのです。こちらは新暦の11月卯の日に行われます。来年は大嘗祭です。あまり大きく報道されないと思いますが、とても大切な日です。憶えておいてください。

自社でものづくりをする悦び

2018年11月18日

小企業のものづくりが若い人に人気が無のです。もったいない。私どものような小さい会社でも世の中に2台と無い製品を常に作り続けています。

文化財には及びませんが恐らく私が社会から引退しても尚、それらの装置はお客様のお役に立ちながら働いてくれるでしょう。それら自らが生み出した製品のフォローをし続けられるなんて魅力的な仕事ではないですか。

責任が重いということが負担に感じてしまう。出来るだけ気楽に働きたい。そういうことなら確かにこの仕事には向かないでしょう。お客様をお助けするには自分にそれ以上の技術と気力が無ければならないですから。

自社でものづくりをする大切さ

2018年11月18日

 

なぜ自社で装置を作ってサービスをするようになったのかを書いてみたいと思います。
勤めた会社がなくなった直後は、製造子会社も同時に整理されましたので、ものづくりをするとことが出来なくなりました。人づてに、幾つかの会社に製造もサービスもお願いして設計商社として事業を続けてきましたが、お願いした先で、お客様とトラブルになって解決できなかったことがありました。

 

折衝に何ヶ月も掛けて努めましたが解決せず、ご発注いただいたプロジェクトが中止になるほどのご迷惑をおかけしてしまいました。その折衝の途中で、お客様から「サンエイに発注しているのだから、サンエイが仕様通りの装置を納品してくれれば良いだけのことだ」と言っていただいたにもかかわらず。当時の自分にそこまでの自信と自覚が無く、何年も営業を掛けたにもかかわらず、発注いただいて数ヶ月後に、当方からご辞退するという失態を犯してしまったのです。自分に力が無いと人を救うことは出来ないというより、その資格が無いのだということを痛感しました。

 

「こういった商売をしています。」というからには、その商売に対してどんな形でも責任を取れるようにしなければならない。当たり前の話ですが、当時の私には対処する方法もチャレンジする力もなかったのです。お客様の力になりますといいつつ大変な迷惑を掛ける。私が最も軽蔑し嫌悪するようなことを私がやっていたのです。色々な協力会社様と共にお客様のために尽くすのも大切ですが、まず自分に力が無くてはならない。会社だけではなく、世の中の全てにいえることです。