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社長ブログ

2018年11月の記事一覧

自分探しをしている人へ(特に見つからないとき)

2018年11月11日

不肖若かりし私です。免許証の取得年月が昭和56年1月ですから軽く30年以上前の写真。本当に年月の経つのは早くてそれぞれの写真を撮ったときのことが鮮明に思い浮かびます。当時言われたオトキチ時代ですね。

 

なぜこのカテゴリにこの写真なのか、単に自分の写真を載せたいだけか。とお思いでしょうか、この写真は16~19歳の写真なのですが、このときでさえ自分は将来どんな仕事をするか考えていなかったのです。

 

このことに関しては、自分の子供に何もいえません。反面教師として将来を考えなさいということは言えますが、実は将来のことは何にも考えなくても何処かに収まるようになっている。というように信じています。

 

条件があります。どの場においても『一生懸命に自分の本分を生かす』という事です。これをやっておくと、自然に自分の運命が決められた方向に導かれて収まる。少なくても私はそうでした。

 

免許を持っていない高1春から、毎日欠かさずバイク屋さんに通っていました。閉店までいて、バイクを仕舞うお手伝いをして帰ってきていましたが お店には迷惑だったと思います。そこで知り合った水道屋の社長のところで休みの日にアルバイトをしていました。高校から社会人までベテランの職人さんの期間助手をしていました。水関係の仕事との出会いです。

 

就職率100%を謳う専門学校を 親に出させていただいたにもかかわらず何がしたいのか、卒業間近でさえ決められず。自分で決められないなら学校が指定したところに就職してもらうといわれました。

求人票のどれもがピンと来なかったのです。期限前に週間就職情報という雑誌を買い、自動車ディーラーの営業マンになりました。別なところにも書きましたが、恥ずかしい話、当時はお金を稼ぎたかったのです。全戸飛び込み訪問セールスです。車は売れましたがお金のことばかり考えているので、色々なことでトラブルになります。結局サラリーマンでは売れる車も限られるし先も見えるしで退職し、水道屋さんの頃の伝で 大手ポンプメーカーのメンテナンス下請け会社に、いずれ独立することを前提に雇ってもらいました。また液関係に戻ったわけです。一人前になるのに普通2~3年掛かるところ、物欲と向上心があるもので半年後には1人でどんな現場にも行けるようになりました。  ただ、どうしても汚水ポンプだけは苦手でした。

 

ポンプはセントラルヒーティングの冷暖房の切り替えの時期、動作させていなかったものを使い始めるのでトラブルが多いのです。ある高級住宅に行ったとき。ポンプが古くて部品がなく、その場で直せませんでした。そのお宅の奥様からかなりヒステリックに罵倒され、それ以降仕事に身が入らない、今でいうパニック障害みたいな状態になってしまいました。会社や工場には行けるのですが個人宅には行きにくい。

 

そんな時、ある商社が、これまた2~3年奉公すれば北関東の販売権を譲っても良いという話を真に受け東京に出たわけです。この販売権の話は又聞きだったですが、社員500人の中堅商社でエレクトロニクス事業部は非常に儲かっていたのです。行ってみたら、実は立ち行かなくなった製造会社を買い取ったのだが人手が足りないので手伝ってくれという全く違った話に替わって。1週間だけたのむ → 1ヶ月 → 3ヶ月 → 半年 → 何年か とやっているうちに、その商社そのものが倒産してしまい。全てのお話が無かったことになりました。

 

お察しかもしれませんが、その買い取った製造会社というのが半導体の洗浄装置メーカーだったのです。それ以降も紆余曲折はあって今に至るのですが、結局私の運命は、一番最初にバイク屋で常連の水道屋の社長に会ったときから、液関係へ液関係へと進んでいって今ここに至ったということなのです。自分が望んだこと、やろうとした事は実を結ばなかったけれど、どの場面でも一生懸命やっていたら、自然とここにいたのです。

 

長々申してまいりましたが、自分探しとは、見つけることではなく、既に与えられた(知らされていない)天分に載ること。だと私は考えている訳です。それは自分で見つけられるに越したことはないのですが、どうしても自分が見つからない人には、『どこででも自分に与えられた場所でベストを尽くしなさい、あなたが考えなくても本当の自分が出てきます』ということをお伝えしたいと思います。

晩秋のハイビスカス

2018年11月10日

 

カメ同様、10年近く育ててきたハイビスカスも昨年冬の対応の遅れから枯らしてしまいました。枯れてしまったかなと思いつつ冬の間も時々水をやり、暖かくなって外に出しましたが夏の間中 枯れ木の状態でした。

 

夏の盛りを過ぎた頃、根元に近い部分から葉がでてきて少しずつ枝になり寒くなってから蕾をつけました。それが今咲いています。枯れた古い枝は全て切り落としましたが瑞々しい葉が茂ってきています。

 

枯れたように見えてもその内側で外に出て咲こうとする力があるのですね。枝が大きかった頃よりむしろ花が大きくなったように感じます。新しく芽吹いた命の力強さに安堵と感動を覚えました。

私たちの仕事

2018年11月10日

私どもの仕事を簡単に説明すると、半導体や電子部品を作るのにいくつかの薬品を使う工程がります。まず思い浮かぶのは『洗浄』だと思いますが『エッチング』や『剥離』といった加工の手法として液を使うこともあります。

 

処理の方法も最先端の大きい基板は『枚葉方式』といって1枚1枚 基板毎に洗ったり処理するのが主流です。一方、弊社のようにカセットに収納して複数枚をいっぺんに処理する昔ながらの方法を『バッチ方式』と呼びます。いずれにせよ、薬品と水洗いを繰り返して処理していくわけです。

 

私どもは、カタログ販売のように決まった形のものをたくさん作って選定いただくのではなく、お客様の安全性や利便性に配慮して装置ごとに専用設計して共に作り上げていく手法を得意としており、それが会社の特徴になっています。

亀の引っ越し

2018年11月04日

夏は外飼いの亀を冬の家に引っ越しさせました。変な角度で落ち着いています。10年以上飼っています、はじめは3匹いたのです。みな500円玉より少し大きいくらいでした。甥っ子が縁日で買ったのを引き取った亀吉、商店街のペットショップのくじ引きで当たった亀吾(ハズレ?)近くの沼で採ってきた亀太。亀吉はミドリガメ、他はクサガメです。亀吉は3年くらいで事故死させてしまいました。水中に狭い空間があって溺死してしまったのです。亀太は人懐こいかわいい子だったのですが昨年、私の不注意で死なせてしまいました。冬用の水槽が2匹では狭くなったので休みの日に引っ越そうと用意していたのですが数日間に合いませんでした。とても悔やんでいます。動物は口がきけないので人間がよく観察して対応する責任があります。亀太ごめんね。亀吾一人になってしまいましたが。紫外線光とヒーターで元気に冬を越してくれればと思います。それにしてもクサガメは凄く臭いです。家の中で買うものではありません(密閉フタと消臭剤必須)。水替えは毎週必要です。それに在来種だと思っていたら、鯉同様、人気番組で外来種とされているではありませんか。この子は私より長生きするでしょうから先々心配です。

文化の日に思う

2018年11月03日

平成30年は明治元年から満150年。年をとると歳月を短く感じるものです。150年は遠い昔のことではなく感じます。

当時の人たちはのどんな想いで明治を生きたのでしょう。社会構造が根こそぎ変わり夢や希望、不安絶望感が入り乱れていたことでしょう。ただ、歴史上起こったことや人々の行動記録を見ると夢や希望、使命感みたいなもののほうが強かったように思います。明治人の『気概』みたいなものを感じます。

 

私に娘ができたときから、日本の伝統文化を知らせるのは親の役目と考え、祝祭日はその意味を伝え日章旗を掲げています。ポストに取り外し式のスタンドも自作しました。現代は祝日に日章旗を掲揚する家庭が少ないです。2~3kmくらい離れて1軒みみかけます。日本の祝日だからみんなでお祝いしようという連帯感みたいなものが、核家族化と同時に失われたのでしょうか。祝日と祭日の意味も知っている人のほうが少ないでしょう。

私の生まれた街は日本国籍ではない人が非常にたくさん住んでいる地域でした。両隣もお向かいもそうでしたがそんなことは誰も気にしません。祝日には各家の門前に日章旗がかかって、狭い路地にひしめいていました。
商店街も電柱にお飾りと日章旗が掛かりとても賑やかでした。
街に住む誰もが知人であり親戚であるかのような雰囲気で大好きな光景でした。商店街・銭湯・お祭り・縁日・拍子木をたたいて交代での夜回り。思い出すと当時感じた街の匂いがしてきます。今でもそういった地域があるとは思いますが他人の価値観を大切にしてお互い干渉しないというのが一般の風潮ではないでしょうか。個人・家族・地域・国家は大きく見れば繋がっているのですから、せめて国の祝日くらいお互い想いを寄せたいと思います。スポーツの国際大会みたいな大騒ぎじゃなくて良いのです。

 

現在は祝日法で祝日の定義が決められています。

文化の日は『自由と平和を愛し、文化をすすめるために国民がこぞって祝い、感謝し記念する日』です。
袖振り合う人々に心の中で、おめでたうといって微笑み会釈を交わしたいものです。昔の日本人が自然と身に着けていた心根や所作の美しさは、まねして出来るものではないですし形を同じくしても意味のあることではありません。「お陰さまでありがたう」皆に心の中でそう言いたいと思います、せめて今日だけは。

皮膚科通いで思う

2018年10月27日

今朝は早くから電車に乗って横浜の皮膚科に来ています。腎機能が低下したからか皮膚炎が起こるようになりました。一定の周期で繰り返します。まず額や首筋に2週間くらい痒みと湿疹が出ます。次に手の甲と肘から先の腕に出ます。これは赤い斑点状で痒みが強く睡眠中に無意識に掻いてしまうので、朝起きるとシーツに血が付いていることもしばしばです。不思議なことに痒い部位が移っていくと前の痒かった部分は炎症が軽くなっていきます。腕は1か月以上、その次に下腹部と足の付け根、ここは洋服と擦れたり蒸れたりして非常にストレスになります。最後に背中と臀部。このサイクルが約2か月。お休みが1か月位で再発。これをここ2年間繰り返しています。

 

いろいろな お医者さんに掛かりましたが結局ほかの病気でもそうですけれど、様々な薬を組み合わせを変えたりして処方してみて何が合うかを探していくしかないようです。どこへ行っても問診で本間さんは持病があるので強い薬が出しにくいのですよねぇ。と言われ抗ヒスタミン剤の弱いものとステロイドやクリームを処方されます。

 

横浜のこのお医者さんは、妹に名医だから ぜひ受診するようにいわれて通っています。予約制ではないので4時間待ちは当たり前。でも周囲が観光地ですから診察券を出して何時間かは外出していればよいのです。 このお医者さんに掛かって原因が分かったわけでも症状が軽くなったわけでもありませんが、先生や看護師さんが熱意をもって仕事をしているのがよくわかります。

 

今の時代は医学部を卒業して診療科目を選択する際に皮膚科を望む人が多いとか。職業としてのメリットとデメリットを考えてそうなるようですが、医療の事故や不祥事が頻繁に報道されるし日本も訴訟社会になったりでしようがないのかもしれません。

 

この皮膚炎で5件も皮膚科をまわった私が感じるのは、医院の雰囲気は院長先生のキャラクターで決まるということです。総合病院などは、勤務医ですからそうでもありませんが、個人病院は対応の差が激しいです。先生が患者の苦しみをくみ取って看護師さんと共に何とかしてあげよう。と思ってくださるところはみな名医と呼んでよいのではないでしょうか。そういう意味ではここは間違いなく名医です。

 

翻って私共の仕事も、弊社をご利用いただいているお客様にとっては掛かりつけ医であったりレスキュー隊であったりするわけです。名医の座は望みませんが、トップである私の至らなさから熱意ある集団としてはいささか物足りません。自ら率先してお客様のために熱意ある対応をし、やがて組織全体に浸透させていきたいと、今日のお医者さんや看護師さんの働きぶりを見て改めて感じました。

人手不足の時代だから考えて欲しい

2018年10月20日

何年か前に あれだけ人あまりで就職氷河期だったのに、今では人手不足倒産や廃業が深刻な問題になっています。政府は外国人労働者に対し段階的に敷居を下げ単純労働者にもも永住権を与える方向にすすんでいます。

この流れを私が懸念しているのは、このことがもたらす日本の行く末です。日本の労働は日本人が担って当然です。なぜ外国の人に頼るのですか。本当に人が足りないのでしょうか。日本人が嫌うことを外国人にやらせているだけではないですか。

 

100年前の日本人と現代人の違いは(比較が古すぎましたか?)人が嫌がることを進んで担う気概が日本人に感じないということです。若い人だけではありません日本人全体の劣化。警察官や学校の先生、政治家や官僚が毎日のように問題を起こしますけれども、彼らが劣化しているのではなく全体が沈下しているのです。精神の劣化が、社会の劣化をもたらしているのだと思います。人が嫌がることを進んで行う。『四海の人を導きて正しき平和を打ち立てる』 日本人の気概はどこへ行ったのでしょうか。

 

私どもの生業であるものづくり。ここ何年で何十人という若者と面接させていただきましたが、気概を感じさせてくれた人は殆どいません。共感して採用したかたも、殆どが挫折して去っていきます。会社が白黒の問題だけではなく。ものづくりを目指す人が困難を避ける。ものづくりだけではありません。今の世の中、自分に与えられた使命に誇りを感じる前に困難を感じてしまう。だから他の人にやってもらおうと考えてしまう。かつての日本人は逆だったはず。他の人を導いてよくしてあげよう。自分も成長しよう。お互い伸びていこう。そういう精神が今少なくなっていませんか?

 

その気概を日本の若者が取り戻したなら、日本政府が時期尚早と気づいて日本人の心の問題を先に対策すれば移民政策も成功するでしょう。二宮尊徳は荒廃した農村を立ち直らせるには、公金を使う前に人々の徳を高めないと無駄と宣言して、自ら現地に赴いて人心の改造から着手し成功させました。現代で言えば外国人労働者が働いてくれる以上に日本の若者が率先して働きともに自らの徳と報酬を伸ばしていく。(日本人ばかり優遇されては不平等です)そうでなければいけません。

 

私は体験上、介護現場はそんなに心配していないのですが、建築、土木、ものづくりに日本の若者が働き口を求めていない状況にある種の気持ち悪さを感じているのです。誰でも勤められる職をみんなが求めているように感じます。自分にだけしか出来ない仕事に苦労してでも取り組んで、次の世代の指導者になろうという若者が私の近くにいないだけでしょうか。そんな仕事がたくさん若い人を待っていますよ。

さあみんなで自分の使命に気づき自分を伸ばしていこうではありませんか。生命の使命は伸びること。

今の生活

2018年10月13日

この車が私有車です。娘が小さいころはそれなりに出かけていました。
こんな車を持っていながら今はインドア派で行動範囲も狭いです。

 

そして長年、この借家に住んでいました。私はもともと動物が好きですが
借家ゆえ、金魚やメダカ・ドジョウ・カメを始めセキセイインコ・ヒメウズラなどを飼っていました。 娘が小学生のころ犬が飼いたいと言いだし、それも良いかと大家さんに相談したところ、こんなといっては失礼ながら築30年になろうかという家でも室内飼NGということで諦めました。

40代後半に難病2個持ちになり、50を越えたとき、いずれ同居する気でいた実家で帰ってこなくて良い。と言っていただき(早く言ってよと思いましたが)住宅購入を思い立ってから3日目で築浅中古住宅を運命的に購入しました。

 

購入を決ても、お金がありません。50過ぎの難病もちで団信保険に入れず。銀行もお金を貸してくれません。最終的に生命保険の受取人である妻を保証人にして、生命保険の掛け金を大きくすることで融資を受けました。今までの家賃並みの保険料を払っています。

そうこうして自分の家を持つことが出来ましたが、満期の75歳までは払えそうもないのでこの後どうなるかは神のみぞ知るです。

 

今では、娘もだんだん親離れしてきていますのでプロフィール写真のフレブルを孫代わりに妻とかわいがっています。ヒメウズラ・セキセイインコ・カメ・金魚・メダカ・ドジョウも元気で、子供は一人ですが賑やかに過ごしています。おかげさまでございます。

難病2個(健康に感謝して!)

2018年10月13日

それまで入院歴「0」だった私が不覚にも48歳のとき3週間入院しました。
1ヶ月以上苦しかったのですが夏バテだと思っていて我慢+予約取れずで、ようやく大病院に運転して行ったその場で、心臓が動いてません。と言われ即、首からカテーテル挿入し集中治療室に4日間入れていただきました。
病名は「拡張型心筋症」 もう元に戻りません。 左室屈出率 今でも20-25%です。
先生は「入院したとき10%切ってたんだから よしとしなさい」とおっしゃいます。 ごもっとも。

 

もうひとつ、母方から「多発性嚢胞腎」という遺伝性の難病をいただいていて、これは腎臓がブクブク膨らんでいき体積が何倍にもなって機能が低下していくというものです。

30歳のときから知っていたのですが、当時、町のお医者さんから「ホクロみたいなもので害はない」といわれたことを信じていました。心臓と腎臓は密接に関係しています。心臓が悪くなった原因も、これかもしれません。大学病院の先生曰く「この病気の人は60歳頃までに約50%の人が腎不全に至る」(もっと遅くなる人もいるし気づかずに死んでしまう人もいるので腎機能の低下は必須)ということでもっと早く来ていれば。。。
皆さんにセカンドオピニオン、お勧めします。

 

心不全と腎不全の治療は全く逆、心不全は脱水にしたほうが良いのですが、腎不全は脱水は禁忌です。
これに両方罹患の人は、私の通う大学病院にはいないとか。よってどのような経過をたどるか。予測不能です。

 

20年前の自分に言いたい。「とにかく病院に行って、血圧だけは下げておけ」
初めは落ち込みましたが、今では残り時間(カウントダウン)がどれだけあるかわからないので
一日一日をより真剣に生きられております。より一生懸命仕事をしております。

生活と会社

2018年10月13日

生活の中に仕事があるのか、仕事が中心で生活が後付か?人の考えは色々だと思います。
ただ、2つは切り離せないし生活も仕事も自己実現や表現の手段であることは間違いありません。

 

「そんなことはどうでも良い。ただ自然と時間の流れに身を任せていく」という生き方も否定しませんけれども。
どうせ生まれてきたからには、今居るポジションで自分をどう成長させるか。或いは短期の目標をどう持つか。
ゲーム感覚でも良いから、そんな考えを持って取り組んではどうですか。

「社長はそういうけど、そんな余裕ないよ」という声が聞こえてきますが、私は今だにそう心がけています。

 

若いうちは短い時間に何度も転職したりアルバイトしたりしました。恥ずかしい話、バブルだったこともあり、
当時はいつもお金にとり憑かれていたのです、よりお金になる仕事をいつも求め転職していました。

車名だけだったらポルシェ911もメルセデスもBMWも所有しました。みな中古でしたが、だれでもお金が借りられて返せなくなる心配なんかしない時代だったのです。

 

いろんな業種を経験しましたが、どんな分野でも長期、中期、短期の目標を立て、どうすれば実現するかを常に考えていました。また、手を抜くことだけはどの業種でも絶対にしませんでした。(どの職場でも、あんちゃんは偉いねと言われました)   その経験、今生きてますか?と聞かれれば、どんな業種でもやったなりの成果は出る(それ以上は出ない)ということとと何をやってもどんな小さなところにも、やりがいや喜び(感謝)を感じられる体質になったと思っています。

 

そう、普通の人が詰まらない、割りに合わないと思うところにでも喜びを感じられれば、

どんなところでも幸せになれます よね。