President Blog
社長ブログ
2022年8月の記事一覧
令和4年 敗戦の日に思う。
2022年08月15日
2年前の8月の記事を見なおしてみました。
2020年08月11日 近づく敗戦の日に思う。
2020年08月15日 令和2年 敗戦の日に想う
2020年08月29日 安倍総理辞任に想う
2年で安全保障面がどう変わったでしょうか。ウクライナにロシアが侵攻し現在進行形で戦争を目撃するとは。日本の排他的経済水域にChinaのミサイルが5発撃ちこまれました。それは懸念であってないだろうと思われていたことが現実に起こっていて日本は両国の次の標的になろうとは。戦後教育によって近代史から思考を遠ざけられている若い人たちにこの時期だから参考になる記事を書いておきたいと思います。

この厄介な極東アジアの太平洋に大陸の防波堤のように浮かぶ日本列島。地政学上問題がある位置にあるという自覚を先人は持っていて常にその懸念の払しょくに努めてきた事柄が近代史を形作っているといえます。過去記事とも重複する部分がありますが例によって長文になると思います。地政学上の位置を示す地図は再掲です。どう見てもロシアやチャイナのような専制主義国から見て邪魔な位置にあるのが日本です。
専制主義というのは民主主義と違って実質選挙があっても形式的なもので為政者が独裁的に国を動かすことができるという決定は早いが間違った方向に進んでも誰も止められないような仕組みのことです。
国際社会に翻弄利用される日本。道を誤らないためには歴史を知ること。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」未来を予想するためには正しい歴史を知らなければなりません。自虐教科書やマスコミの知識だけでは誤った予想を立ててしまうということです。
2年前には思いもよらなかったこと。「ロシアのウクライナ侵攻」と「台湾有事は日本の有事」と言っていた安倍晋三元総理の死と同時に現実味を帯びてきた「台湾有事」これらの歴史的背景を自分なりにまとめます。ですがやはり最後は自分で調べてください。広遠で素人には手に負えませんから。
先ずはロシアからです。あくまで近代史でロシアといえば始めは「帝政ロシア」です。1721年から1917年までは王を戴くロシア帝国でした。最大時世界人口の1/10人類史上3番目に大きな領土を持つ国でした。Chinaの中華思想にしてもロシアの帝国主義にでも彼らにとっては輝かしい過去であり本気で復建させたいと思っている。ここが問題です。自分たちが一番なのです。帝政ロシアが滅んだ1917年といえば日露戦争から12年後の第一次世界大戦中です。戦争続きで困窮した民衆の中にルサンチマン思想が広がり2月革命、3月革命を経て10月革命でマルクス主義革命家レーニンが人民委員会議長となりロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国が成立します。1919年にはコミンテルン結成されます。コミンテルンとは共産主義インターナショナルCommunist Internationalの略。第三インターナショナルとも呼ばれます。共産主義、これが一つポイントですね。レーニンの死後スターリンがソビエト連邦共産党指導者となりますが共産主義の宿命か王家や貴族といった階級は廃止されましたが新たな独裁階級が生まれただけで国民が求めた平等は得られませんでした。真の共産主義は絶対的に誤らない絶対的指導者の下でしか成り立たない副作用の大きい夢の制度です。
帝政ロシア時代から強国の南下を恐れて日清(1894)日露(1904)を戦った日本に新たに抗赤化・防共という難題が加わってしまいます。日清日露に勝利したはずの日本は朝鮮半島を防共の砦とすることに失敗し満州に活路を求めますがロシアから近すぎたことChina大陸で欧米の理解を得られなかったことで孤立しました。これはベノナ文書(ヴェノナファイル)の公開で1930年-1940年代末にアメリカの政府/諜報/軍関係/民間組織などに数百人単位のソ連のスパイが入り込んで米国政府の政策や意思決定をソ連の意図通りに進める工作を行っていた間接侵略状態だったことが分かったことで日本側がどんなに和平を望んでも巻き込まれる運命にあったということを示しています。現代の人たちに問います。いま皆さんは目に見えること。報道されて聞こえてくる情報がどのような意図をもって誰かに流されているものである危険性をどれだけ意識して分析していますか。当時の日本人の中にも分かっていた人もいたと思いますが多くの為政者や国民は知らない間に巻き込まれていたのです。孫文や蒋介石という知日派の民主運動家となぜか戦うことになり事変だった日支関係が日中戦争と呼ばれ短期で解決するはずだった事変で欧米がヴェノナファイルの示すようにコミンテルンの戦略によってChinaを支援し、気が付いたら中国共産党が中華民国の蒋介石を台湾に追い出して戦勝国側になっていた。いや国際連盟が立ちあげ初期の常任理事国は中華民国(台湾)とソ連だったのに中華民国は追放されChinaが、ソ連崩壊後にロシアがその御地位についています。
皆さんは、こういったカラクリや国際社会というものがいかに一部の人間の意図で決定してしまうものか理解していますか。日本はいつも被害者です。それは日本にしたたかさが足らないのです。正直者が馬鹿をみるのは正しいことではありません。でもその馬鹿をみてしまう側にいつも日本はいるのです。正直とは言わないけれどもっとうまく立ち回れば違っていただろうということばかりなのです。現代でも、そしておそらくこれからも。だから気をつけなければなりません。目に見えていることだけが真実ではありません。

8月になると毎年、大東亜戦争と日本の歴史についての情報と反戦平和に名を借りた戦前日本の否定の記事や報道が双方から出てきます。これを両側から切り分けてみていかないと一方に流されます。私自身にもバイアスがかかっていると思って読んでください。
北ではアラスカはアメリカ圏、千島列島はロシア圏になっています。誰がいつ決めたのでしょうか。もともとアメリカにはアメリカ人はいませんでした。ロシアに及んでは100以上の多民族国家です。数万年単位の単一民族国家などまずないということです。どの時点まで遡って領土主張するのでしょうか。それは置いておいて。以前書いた記事のように国境という概念が生まれて以降。現在においても国後・択捉・歯舞・色丹がロシア領であったことは一度もありません。大東輪戦争当時ソ連は極東で「日ソ不可侵条約」ドイツとの間に「独ソ不可侵条約」を結んでいました。それは皆さんご存じでしょう。それを破棄して攻め込んできたことも。そのことについてテレビでも放送していましたので少し詳しく記しておきます。
前記事 半旗の「海の日」に書いた鹿屋基地から特攻した。西田中尉の言葉「負けたとしても、われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう。民族の誇りに」通り日本は有条件降伏を勝ち取ります。(断じて無条件降伏ではありません)いずれ「昭和天皇終戦の詔勅」で書きますがアメリカが本土上陸を諦め有条件降伏という講和の条件を提示(国体護持)したのは先人の命(死に方)と引き換えであることを忘れてはいけません。原爆を投下されても戦争継続でしたが1945年8月14日昭和天皇陛下が終戦の詔書に署名され15日、昭和天皇のご決裁によりを戦争休止の玉音放送を行います。陛下は開戦の決裁はされませんでしたが自らはどうなってもという覚悟で終戦の決裁はなされたのです。9月2日戦艦ミズーリ号で降伏調印します。その間8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下され10万人ずつ無差別に殺されました。戦争法違反ですね。3月10日の東京大空襲の死者も10万人の一般市民が犠牲になりました。木造の家屋が良く燃えるように焼夷弾を開発したそうです。立派ですね。勝てば無差別殺人の戦争法違反も不問にされるのです。否ソ連の話をしていたのでした。

「日ソ不可侵条約」を結んでいたはずのソ連が条約を破棄して満州に攻め込んだのが8月9日です。11日に南樺太。南樺太や千島列島は日本領でしたから多くの島民が逃げまどいます。8月15日、日本軍は武装解除の命令が出て武器を放棄してもソ連軍は攻めてきます。アメリカも戦争法違反、ソ連も。でも今悪者になっているのは日本です。私には理解できません。
樺太の真岡郵便電信局事件を映画化した『樺太1945年夏 氷雪の門』はソ連の圧力に屈して上映中止が相次ぎました。日本人が実際に受けた被害も外国の指示で表現できない国って何ですか。表現の自由なんて言う言葉、日本人は恥ずかしくて使えないですね。ソ連の侵攻が止まったのが9月5日しかし60万人の日本人が捕虜となりシベリアで抑留、強制労働させられ5万5千人が亡くなります。人権蹂躙です。これに抗議しない日本人は人権を語る資格なしですね。一番長い人で10年超 数年から5年程度抑留は続いたのです。国際社会はそれを黙認しました。ウイグル・チベット・北朝鮮の拉致をみれば現代においても他の国は助けてくれないということはもうお判りでしょう。
樋口季一郎中将のことを書いておきましょう。ソ連スターリンは北海道の北半分。あわよくば北海道全体を手に入れようと思ったのです。マッカーサーの忠告も無視して。北海道占領を阻止したのは樋口季一郎中将の独断です。既に統帥権を失って一般人の扱いでしたが樋口中将は大本営にはお伺いを立てず、独断で千島列島を守っていた第91師団の堤師団長に「断乎反撃に転じソ連軍を撃滅すべし」と命じます。彼等は千島列島占守島をはじめ勇敢にこの自衛戦闘を闘います。日本軍は18日でソ連側も戦いをやめると予想しますが戦闘は継続され日本軍が600~1000人、ソ連軍が1567~3000人の死傷者を出す激戦となりました。最後は停戦協定によって武装解除となり降伏した日本兵やはりシベリア送りとなります。スターリンは北方4島の占領で妥協します。樋口季一郎中将が北海道を守ったのです。
樋口季一郎といへば、よく外交官の杉浦千畝がユダヤ人にビザを発給して命を救ったと美談になっていますが、ユダヤ人を差別せずに救ったのは日本の国策であり中心は軍人です。杉浦千畝が発行したビザでの入国者6千人、その2年前昭和13年、満州関東軍の特務機関の機関長だった樋口季一郎がユダヤ人難民の入国を許可した数は2万人。時の参謀長は東条英機。お分かりですか。日米開戦後も犬塚大佐らのユダヤ人保護工作は続きます。ナチスドイツが同盟国であっても、ドイツからの抗議があっても人権優先と突っぱねたのが日本軍人です。ドイツで開発したガス室を提供するという申し出を阻止したのが犬塚大佐。大戦中も「上海は楽園でした」という言葉を残した難民生活を経験したユダヤ人女性の逸話がありますが、その楽園の守護者も犬塚大佐でした。その元となるのは昭和13年12月の五相会議(近衛文麿首相・有田八郎外相・板垣征四郎陸相・米内光政海相・池田成彬蔵相兼商工相)で策定した猶太人対策要綱(ゆだやじんたいさくようこう)「猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別ニ排斥スルカ如キ処置ニ出ツルコトナシ」(ユダヤ人を他国人同様差別してはならない)という八紘一宇の精神です。人権に対して堂々とものが言えた日本。今の日本はChinaや朝鮮の人権問題にダンマリです。
負けた日本のほうが人権先進国だったということが良くわかります。
南に行きます。前記のように且つての夢のような大国は、その時代の自分たちのことを真の姿だと思っています。それはお互い様だと思います。私も明治のころの日本が良かったなどと言っているのですから。しかし彼らは他国を巻き込んでそれを再現する再興するのだと本気で考え実行しようとします。そこにさらにファンタジーを加えてくるので困ってしまいます。北海道にも沖縄にも縄文人がいたはずですが、そんな太古の事を考えると収拾がつかなくなるので、ここ数百年間のことでいうと琉球王国という呼び方はなく琉球または琉球国です。王という存在はどこへ行ったのでしょうか。琉球王朝の尚氏は東京で華族になったのです。他の華族同様、現在はGHQのおかげで一般人です。その琉球を琉球王国と呼んで日本が侵略したと思わされている人がいます。前記のようにソ連崩壊後のロシアも中華民国からすり替わった共産主義のChinaも新しい国で明や清とは場所は同じでも違う国です。その国が我が北海道や沖縄を狙っているのです。
ウクライナもロシアと一緒の連邦だったことはありましたが今は独立して政治体制も違う国家でした。しかし端っこから狙われました。ロシア系住民の保護という名目で。日本も危ないのは端っこです。北海道の先住民アイヌはカムチャッカから渡ったロシアの先住民族であると公言する人がいます。明や清と冊封体制という交易のあった沖縄は元琉球王国で日本に奪われたのなので独立復帰させよう運動があります。マスコミや政治家が外国の宗教団体にコントロールされるように。我々もマインドを少しずつコントロールされていることに気付かなければなりません。そうやってわからないようにジワジワと思いこませてできれば武器を使わずに屈服させるのが孫子の兵法「戦わずして勝つ」です。経済でも食料でも安全保障でもあらゆる方面から仕掛けられています。詰将棋のように気づいたら武器では守れなくなって武器を使うまでもなく相手を自分の支配下に置く。それがベストの戦い方です。そういう意味ではロシアは焦ってしまいましたが、お隣の自称数千年の歴史の国はもっとしたたかです。一度口にしたら何十年何百年かけても絶対に達成するという意思をもって力を蓄えています。日本ももっとしたたかにならないと、それらの国と伍していけません。方法はともかく日本人、一人一人が歴史から学んで備えないといけないということです。賢者は歴史に学ぶのです。
安倍晋三元総理は晩年嘆いていたようです。自民党の中に保守の皮を被った非保守の政治家がたくさんいることを。そうなると排除しようがありません。安倍さんに出来ないのですから安倍さん亡き今、美しい日本を取り戻すことはできるのでしょうか。誇れる日本人はすべて足を引っ張られて表舞台から消え去り先人から託された民族の誇りも誰が守っていくのでしょうか。お盆の線香の前で心細く祖先に祈るばかりです。

政治の混乱は望ましくない
2022年08月13日

世界に類なき皇統万世一系
安倍晋三元総理がテロの犠牲になってから国民の関心を逸らそうという動きがある気がしてなりません。SNSにあげでも反対意見が圧倒的であって危ない気さえするのでブログに書いておきたいと思います。
宗教の問題についてはセンシティブな問題なので深堀は避けます。ただし、国家神道を新興宗教と同列に語るのは違和感があります。国家神道とは言わなくなりましたが神道の祭祀の長は天皇陛下だからです。天皇を戴く万世一系の世界最長の歴史を持つ国は、まごうことなく日本国であって皇統が断絶しない限り、これを超える国は現れることがないということが真実です。そう、逆説的には皇統を断絶させることができればその事実はやがて過去のものにすることができる。日本の残った唯一最大の誇りを消し去ることができるということです。
国民の関心をそらそうという動き、それは特定の新興宗教とその関連団体と政治家の関係を深く追及することで接点の大きさはともかく何らかの関係があることを誇大に問題視し突き上げようとする動きのことです。国会が開催されてもこの問題の追及に時間を割けば他が疎かになります。日本の政治はその繰り返しですがそんなことをやっている場合では本来ないのです。
様々な関心ごとがあるでしょう。一番多くの国民の関心は物価高や所得の問題。つまりお金なのだと思いますが、私の場合は安全保障全般です。軍事、食料、資源、経済、すべての安全を他国に依存している状態が最も危ないということが歴史上経験しているのになぜわからないのでしょうか、その問題は最も関心の高いお金に直結することがなぜわからずに枝葉の見える問題に目を奪われてしまうのでしょう。そうしている間に取り返しのつかない時間が過ぎてゆくのです。歴史は教えてくれていますよ。何らかの意図で目を逸らす動きが働いていることに気付かないと。同時に関心を持ってもよいです。せめてもう片側で起こっていることを忘れないでください。
今見えていることを少し掘り下げて考えてみましょう。ズブズブという言葉がはやっていますが、ズブズブとはなんですか表現が刺激的過ぎます。イメージが刷り込まれるという点では使う側には良いフレーズですね。
若い皆さんは韓流なんていう言葉でKoreaに親近感があると思いますが反日教育を受けていた私の世代には得体のしれない負い目のような感情があるのではないでしょうか。朝鮮人街で育った私は、埼玉に引っ越して反日教育を受けるようになってから何故か贖罪の意識を持ってしまっていました。韓国の半導体産業の立ち上がった時期によく訪問することがありましたが「彼らを助けることが自分の務め」のような意識がどこかにありました。刷り込まれていたのですね。「先人が悪いことしたんだからお返ししないと」なんて、今は歴史を自ら勉強してやっと平等の意識を持てるようになりました。
若い人はちょっと違う親近感があるのでしょう。しかし気を付けて欲しいのは韓国ではまだ公教育で反日教育を現在進行形で行っているということです。そんなものに惑わされる人ばかりではないので過度に警戒するのは良くないですが一面そういう現実があることも知識として知っておく必要があると思います。しかもその公教育で使われる史実が現実と異なるものが混ざっているのが厄介です。
脱線しました。今話題の新興宗教の事でしたね。世界中に広がっているこの宗教はキリスト教からの分派のように見えますが新興宗教の一つであり教義には触れませんが問題は日本が一番貢ぐ役割を負っているということです。日本には母の国として父の国に送金する役割があるというのは且て私が抱いていた得体のしれない負い目と無関係ではないと思います。そもそもキリスト教自体、人間は罪をもって生まれおちてくるという考えもありますから一生懸命それを償おうと真面目な人ほど考えてしまいますね。宗教の良い面もたくさんあるでしょうけれど悪い宗教といえるのは人の善意や恐怖の心を突いてくるものだと思います。その善意や恐怖心にお金が絡む。日本人が陥りやすいロジックなのでしょう。
韓国の話です。多くの皆さんは韓国を民主主義の国だと思っているでしょう。事実そうですが私のよく訪問していた1990年頃は日本語の歌を放送するのは禁止でした。民主化されて日が浅かったですから。
1987年の民主化運動によって大統領選挙が行われて盧泰愚大統領が選ばれるまで韓国は軍事独裁政権だったのです。民主主義の歴史は40年とまだ日が浅いのです。韓国に南北がありますが同じ民族で朝鮮です。その南北が戦争をしました。同じ民族が戦争をしてしかも現在は停戦中。まだ戦時下です。今では年一度のようですが北の攻撃を想定した訓練のサイレンが全土で鳴ります。日本にとっての防共の砦、赤化の匕首Koreaはまだ安定した政治状況とは言えません。隣に共産主義国家があるという点では気の毒な状況です。
そんな中、長く軍事政権であり。共産主義と対峙していた韓国、 懲役22年の判決を受けて収監中だった朴槿恵元大統領が恩赦で釈放されたのは良かったです。彼女のお父さん朴正煕元大統領は日本名を高木正雄という満州国陸軍軍官学校出身の日本エリート軍人。彼も大統領在任中に暗殺されてしまいます。
緊張の軍事政権には日本にはない諜報機関CIAを持っています。大韓民国中央情報部(KCIA)です。アメリカにもありますけど日本にはない。なぜでしょう。ある種平和ボケですが諜報機関は必要ないからです。実は今となっては必要ですけど国会で反対意見があって作れないっていうのは、これができると不都合が生じる議員でもいるのかと疑ってしまいますが必要だけど出来ないのです日本では。

70年安保 昔の学生は元気が良すぎた。
ここからどうやって宗教に繋がるのかっていうのは案外簡潔です。韓国は北朝鮮の共産主義と対峙しているわけですから当時の軍事政権は反共産主義・防共主義なわけです。国内で新興宗教を立ち上げた教祖の政治思想はわかりませんが、国内の政治家に取り入るのは反共を使うのが効果的だったわけです。朴正煕大統領政権は1963年-1979年。教祖は1968年の1月に反共主義政治団体「国際勝共連合」(勝共)を立ち上げます。3月にはすでに日本でも立ち上がっており名誉会長に笹川良一氏、顧問にも政財界のメンバーが入っている時点で思想信条は不明でも強力な保守団体としてKoreaと日本の超大物をバックに設立されたわけです。
1960年代後半といえば日本では60年安保、70年安保の学生運動全盛期。左翼系に加え新左翼系が派生。左傾思想は共産主義とは相性が良いわけですが、この時代は全国の大学で学生運動の嵐が吹いたわけです。勝共連合には「世界思想」「世界日報」などの機関紙があって、現在問題になっている多くの政治家が勝共連合から派生した関連団体や機関誌のイベントやインタビューなどに応えたもので霊感商法に直接加担したと例はそう多くはないのです。テレビでやっていましたが「ワシントン・タイムズ」という当該宗教団体系の保守系新聞があって一定数購読者があるそうです。なかなか絶妙なネーミングですよね。ここの取材は米国人アメリカ人なら受けるでしょう。本や記事を見せられてこのメディアのインタビューですと言われたら、私でも受けてしまいそうです。
もとはといえば政治利用が目的か教祖が実際に反共産主義だったのかは確認しようがないですが、保守政治との親和性が反共という点で一致しており。団体の規模からいっても政治家を利用することが可能だったのでしょう。自民党に関与が多いのは保守政党ですから当然ですし、その他保守系の政治家にはお互いにひきつけあうものがあったでしょう。(団体側の目的は知る由もないですが)
我々はこのような背景があって政治と主に国際勝共連合が結びついたのであって教祖が発起人であったとしても宗教と同一視しては本質を見誤る。或いはミスリードを受ける可能性があるということに気付くべきです。日本は自由の広い国だと思います。フランスには反セクト法があり日本で認められているいくつかの宗教団体は監視対象になっていますし程度の差はあるものの共産党を非合法化している国は、アメリカ、スペイン、韓国など約40カ国近くあると言われています。今回のことを過大に報じ国会が本来するべき議論ができないほど騒ぐと利するのは誰かということを考えなければなりません。
革命思想とは多数決では実現できない体制を力で実現しようとするものです。正しいと信ずる思いは理解しますがそれを実現するためには暴力をも肯定してしまう危険性があります。安倍晋三元総理の負の部分を誇大に報じることで氏の受けた様々な直間的暴力が肯定されるようでは革命思想に染まっていると言わざるを得ません。
半旗の「海の日」
2022年07月18日

7月の第3月曜日 本日18日は海の日。国民の祝日に関する法律では「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」となっています。
しかし、我が家は半旗掲揚。一つは安倍晋三元首相への哀悼の意を表すること。もう一つは三浦春馬氏のご命日だからです。
--------
2020年7月19日·Twitterに私は書きました。
永遠のゼロで「特攻は自爆テロではない」と友人を諭すシーンに感動しました。貴方が演じてくれたことはとても嬉しかった。時を戻せるなら、空間も移動できるなら一日時間を戻して貴方の肩を抱いてあげたい。「大丈夫だよ」って。
--------
映画の脚本のセリフだったのかもしれませんが「よくぞ言ってくれました」と何十年ぶりかで行った映画館で叫びそうになりました。
純粋でナイーブすぎる感受性は時に危ない。自分を大切にしてほしかった。一つ山を越えたら違う景色があったろうに。残念でなりません。
6,852の島から成る海洋国家日本。最近対馬がKorea領という発言があるようですが、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱による国生みの順は淡路島・四国・隠岐島・九州、壱岐島・対島・佐渡島・・・本州。です。対馬がKoreaだったら我々全部Korea人です。この先人が遺した大八洲、我々は守れますかね。それこそたかが80年前に若者が千人以上最新兵器だった飛行機で突入した意味を知りましょう。
そんなことやって勝てると思ってやったのではありません。戦争という狂気に惑わされたのでもありません。
「永遠のゼロ」はゼロ式戦闘機(皇紀2600のゼロの説もあります。皇紀2700には生きていられるかな)だから海軍の特攻機です。映画では宮部少尉は52型での出撃が決まっていたのに部下の大石が乗機予定の21型に替えてもらいます。結果、大石に後を託すわけです。
ここからは実話です。陸海軍双方の特攻基地が九州各地にありました。海軍の鹿屋基地から出撃した西田中尉の言葉に私は特攻の神髄をみます。また別の時にも書きますが19歳の彼は決死の出撃直前語ります。
「学鷲(学徒)は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです。おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう。民族の誇りに。。。」
日本の若者が沖縄にて命がけで効果の低い特攻を行えば敵国はこのまま戦争を継続すると自国民の犠牲も増える。命を惜しまない心を見せれば相手の戦意を挫き有利な条件で負けることができる。そしてそのような歴史を残せば後世の日本人の誇りとして語り継がれる。そう信じたのですよ。その期待に我々は応えられますか。私は立場違いですがウクライナの若者に「さっさと白旗上げて戦争をやめたほうが良い」とは言えません。
民族の誇りを失わせようとする教育や政治に注意したいものです。
「日本をとりもどす」「美しい国へ」を掲げた安倍晋三元総理も同じ想いだったと信じます。そんなわけで本日我が家は半旗掲揚です。
追悼 安倍晋三元総理
2022年07月09日

youtube 安倍晋三チャンネルより
昨日の安倍晋三元総理の事件、大変ショックでした。オシドリ妻の昭恵さんにとって昨年の愛犬ロイ君に続いてかけがえのないパートナーであり夫(つま)を失った御心痛は察するに余りあるものがあり衷心より哀悼の意を表します。会社のホームページに政治的なメッセージを書くのはどうかという意見もありますが、このブログに関しては私が遺した私文書としての側面もありますのでそうとっていただけると幸いです。
2020年08月29日に「安倍総理辞任に想う」という記事をあげました。潰瘍性大腸炎という難病を持ちながら総理大臣という要職を続けられたということから勇気をいただいていたことと、「日本を取り戻す」という意気込みを表明されていたことで支持していたからです。残念ながら目に見える結果を残すことはできませんでした。私も零細企業ですが社長になれば思い通りに事が運ぶかと考えていたところが現実は全く違いました。外交を含む国政を担うこととは比較できませんが、一国のリーダーという重みと果たせぬ責務に大変な御苦労があったものと思います。
今回の事件で私は改めて深い闇の中にいるような漠然とした不安に襲われました。2020年08月29日にも掲載した中川昭一元財務大臣の事が真っ先に頭に浮かんだのです。自由民主党保守の家系に生まれ若くして政治家として大成した二人でしたが共に道半ばで無念の死を遂げることとなりました。尊敬を持って敢えて彼らと呼ばせていただきますが彼らが戦っているものが何だったかについて思うところを少し書いて安倍晋三元総理を偲んでみたいと思います。
中川昭一氏は将来日本のリーダーになるべき人でした。彼の死は日本の将来をも暗いものにする予感がありました。初めに彼を意識したのは生前の人権擁護法案の成立に反対する行動に対してでした。その時の発言。この法案が通れば自分を含む多くの国会議員の「政治生命が終わる」という趣旨でした。大げさな冗談と当時の私は思っていたのですが彼は2009年2月にローマG7財務大臣中央銀行総裁会議での酩酊会見がもとで辞任します。6人で飲んだ1本のワインで酩酊。各種の薬を飲んでいたという話もあります。(医者には言えませんが私も色々な薬とお酒を飲んだことがありますが千鳥足まではなっても呂律が回らなくなって発言も行為も記憶から飛ぶほどにはなりません)彼は秋の選挙で落選後、自宅で不審死します。死因は今でもはっきりしません。(諸説あり)彼の父、中川一郎代議士は57歳で自死しています。
(中川昭一元財務相56歳。安倍晋三元総理67歳。父、安倍晋太郎元外相67歳で病死。)
中川昭一氏は日本の国益第一主義の保守色の強い政治家でした。安倍晋三氏はもう少しマイルドな感じを受けます。1997年2月「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が設立され会長に中川昭一氏、事務局長に安倍晋三氏が就任します。当時、慰安婦や強制連行の記述が日本の教科書でありながらあまりに自虐的であるということが問題になっていました。私もこの問題には関心がありました。以前にも書きましたが私は川崎市の桜本という朝鮮出身者が非常に多い土地の生まれです。実体験や出征経験のある祖父の話と自分が受ける教育のギャップに違和感をもっていました。自分で受けた教育はともかく子供ができて意識が変わります。本当の事。事実と眞實を教えなければならないという意識が生まれ色々調べて社会の仕組みや矛盾に気づきます。
安倍、中川両氏も敵の多い政治家でした。外国ばかりではなく国内にこそ敵がいるのです。最も大きな敵はマスコミと教育界です。これらと戦ったことがこのような結果になったのではないかと私は考えています。NHK番組改変問題=2001年1月放送の日本軍戦時性暴力を扱った内容に当時の安倍晋三幹事長代理と中川昭一経済産業相が圧力を掛けたのではないかと問題になり追及されました。彼らは反マスコミ、反日教組的政治家として捉えられていきます。某新聞社の「安倍の葬式はうちでだす」との発言のうわさがありました。少なくとも当該新聞社の元主筆の故人は政治評論家の故三宅久之氏に「安倍叩きは社是」と言ったということは記録に残っています。個人の発言ですが。
なぜこんなことを書いているかというとマスコミの力は核に勝ると、どこかの党首が最近使う文句ですがマスコミが繰り返す印象というのは「言葉の力」という人間の潜在意識に刻印を打つ力を持っているのです。繰り返しある方向の報道を続ければ余程気を付けていないと影響を受けます。私から見ると安倍晋三元総理は本心を抑えて政治活動をしていたと思います。しかし違った方向の印象を多くの国民は持っていたのではなでしょうか。多くの人にある印象を与え続ければ、そのうちの一部が過激な行動を起こすかもしれません。事実に基づかなくてもバイアスを掛けることがマスコミにはできるのです。その思想を一定の方向に導く力の本源が何かは確証がありませんが事実関係を並べて正確な判断の両方向性を持った報道がされているかといえばそうではありません。
嘗ては保守でありマスコミに「倒すべき相手」とされていた自民党も玉石混淆(ぎょくせきこんこう)状態であると一部の保守政治家が嘆いています。安倍晋三氏(1954年生)と中川昭一氏(1953年生)は同志でした。中川昭一が遺志を託した安倍晋三までがいなくなって「おまえら日本を頼んだぞ」という言葉が非常にむなしく私の身に染みます。中川昭一氏の葬儀で安倍晋三氏は弔辞を述べています。一部を記します。
*--*--*--*--*--*--*--*--*--
弔辞
故中川昭一元自由民主党政調会長の御魂に見える為、ここに哀悼の誠を捧げます。
(略)先般の総選挙直後御目にかかった時は流石にお疲れの様子でしたが、2週間程前お電話で話した際は非常に元気で「安倍ちゃん、保守再生の為に頑張ろうよ」と語りかけてくれました。その矢先の突然の訃報に私は愕然とし、言葉を失いました。
(略)「このままでは日本が危ない」という危機感の中で、教科書問題にも取り組みました。中学校の歴史教科書全てに従軍慰安婦・強制連行の記述が載ることになり、「このような自虐的な歴史観を何とか正し、子供達が日本に、我が国に誇りを持てる教育に変えたい」と、その一心でした。当時の政治状況・マスコミの報道ぶりから考えれば圧倒的に不利な情勢であり、まさに多勢に無勢でした。
その中で私達は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、メンバーの総意で昭一さんに会長をお願いしました。批判の矢面に立たされる危険がある中、俗に言えば票にも繋がらない、政治キャリアにはマイナスかもしれない約束を、昭一さんは「俺がやらねば」という気持ちで引き受けてくれました。拉致問題も全力でしたね。憲法改正問題も同様でした。
(略)東シナ海の油田問題で、貴方の毅然とした外交姿勢は資源外交の重要性・国益を守るとは何なのか、ということを私達に身をもって示してくれました。
安倍内閣が誕生した時、私は迷わず貴方に政調会長就任をお願いしました。平成19年1月通常国会で昭一さんは代表質問の壇上に立ちました。その冒頭、昭一さんは張りのある声でこう切り出しました。「国家の骨格を成すものは、憲法・安全保障・教育であります」結びで「アインシュタインが称賛した日本人の謙虚・質素などの美徳を保ちつつ、誇りと自信を持った国民によって、見える部分、見えない部分も共に、真に「美しい国日本」が実現されるよう全力を挙げて努力することをお誓いします。」と述べられました。
まだまだ国家のために一緒に戦ってほしかった。私たちは貴方を必要としていました。こんなことを申し上げていると、あの魅力的で誰をも虜にする、はにかんだ笑顔で「そんなに褒めるなよ安倍ちゃん」という昭一さんの声が聴こえてくるようです。国家の行く末、残されたご家族、昭一さんにとって心残りだと思います。そして私たちは、あなたが目指した誇りある日本をつくるため、保守再生に向けて全力で取り組むことをお約束し。弔辞とさせていただきます。昭一さん、さようなら。安らかにお眠りください。
友人代表 衆議院議員 安倍晋三
*--*--*--*--*--*--*--*--*--

在りし日の盟友 日本を……
安倍晋三さん。悔しかったでしょう。拉致問題も解決できなかった。領土問題も美しい日本を取り戻すことも、自民党最大派閥とはいってもまさに玉石混淆。何とかしなければというあなたの思いは感じていました。前記の弔辞。昭一さんのところを晋三さんと言い換えれば全くあなたに捧げる言葉になるではないですか。
社員20名に満たない零細のトップの私でさえ思い通りにならず力不足に悩む日々です。
今の心を失いつつある日本人のトップになって国を動かすことの難しさ。一時は、あなたの行動を物足りなく思ったこともありましたが今ではわかります。貴方も自分の力不足を感じておられたことそして何より憂国と無念の想いを。
#安倍さんありがとう
国家神道が廃れるとき日本人が廃れる
2022年07月03日
7月になりました。今月も三社に詣でて参りましたが神事では6月と12月は大祓式の月です。それぞれ月の最終日は「夏越の大祓」「年越の大祓」とよばれて大祓詞(おおはらえのことば)という祝詞(のりと)を宣読して穢(けが)れを祓い清め次の半年の新たな区切りをつける日です。6月30日に神社に詣で「茅の輪くぐり」をした人もいるでしょう。私の地元熊谷の高城神社の御祭神は高御産巣日神(たかみむずびのかみ)です。覚えていますか造化三神。「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名」と古事記の書き出しにある神の一柱です。この高城神社では6月30日に茅の輪をくぐる神事を「胎内くぐり」と呼びます。子供の頃は何も考えずにお祭りに行ったものです。「胎内くぐり」の言葉通り母親の体内から生まれた時の純粋で穢れのない状態に戻るという意味の行事です。大祓いには人形(ひとかた)を自分の身体になでつけて息を吹きかけ神社でお祓いしてもらう行事もあります。我が家も穢れを払う意味でやっています。


皇室は神道の大本。天皇は祭司のトップです。それが日本の国体です。西暦2022年は日本では皇紀2682年。第126代の徳人(はるひと)天皇を戴き男系男子の皇統を守りながら存続する日本人の心がこれだけ神道や神事から離れてしまったのはなぜか。もう一度考えてほしいと神社をめぐりながら思います。(神道の読み方は(しんとう)ですよ。念のため)
荒廃した神社をみると哀しくなります。日本人の営みがあった場所には必ず神社があります。今でも台湾や南方の島々など且つて日本が統治した地で現地の人によって神社が守られていますが肝心の日本人の心がこんなにも神から離れてしまったことは日本人が日本人であることを忘れようとしているように思われてなりません。そのように第三者によって導かれていることに気が付いて改まる日が来ることを祈っています。
日清日露大東亜についての記事の間隔があいてしまっています。私自身余裕を失っていました。私も神からちょっと心が離れていたのかもしれません。7月を迎え改めて自分の運命から逃げずに向き合おうと思っています。
現在、ロシアが本性を露(あら)わにして独立国に侵攻しています。大東亜戦争以前の日本はまさに、この状態を恐れていたのです。この状況を改善するために日清日露を戦いました。そのカギは朝鮮半島。この二つの戦争は日本の国益上、朝鮮という緩衝地帯を守るために戦いました。
日露戦争では後の大東亜戦の日米の差以上に戦力差があったのです。秦の始皇帝の時代は別として近代戦争で有色人種が白人に勝利することは考えられない時代でした。「戦わずにして勝つ」孫子の兵法にもありますがこれが最も有効で、今後も変わらぬ真理です。核を含む圧倒的な戦力差を以て相手を屈服させるのも良し、経済上の立場を利用して勝つも良し。相手の戦意を削げば勝ちです。平時から戦えないよう洗脳してしまえば常勝です。
ウクライナはファイティングポーズをとりました。ロシアの誤算です。圧倒的な戦力差を見せ屈服させようと思っていたのです。80年前と同じ危機が日本にもあります。対象国がより多い日本のほうがリアルな危機です。日露戦争では日本はファイティングポーズをとりました。今の日本はどうでしょう。自分たちが先ず戦わなければ他国は助けてはくれません。その事実を我々は知ったはずです。
そう、日露戦争でした。戦況は後述しますが敗戦した大東亜でも神州日本の不滅を信じていた人が多かったですが日清日露まではそういう新しい神話が多かったのです。その中で私が好きな話をいくつか記しますので自分でも調べてみてください。圧倒的な戦力差を覆して勝利した理由に人間の力以上の何かが働いたのではないかと考える人も多かったことでしょう。
【ロシア軍が見たありえない日本兵の話】
ご存じ203高地の戦い。日清戦争で得た権益を日本から奪ったロシアは旅順に隣接する標高203メートルの台地を要塞化しました。海に面し高台にある要塞を落とすのはどう考えたって難しいのです。相手陣地に攻め込むのはただでさえ難しい上に固めた守りと戦力と地形が日本にとっては大変不利な状況です。ただしここを落とさないことには勝利はない。さて、結果は。
捕虜になったロシア兵士から「赤い軍服を着た兵士には銃の弾が当たらない」「白い軍服の兵士は銃で撃っても倒れない」等の証言が複数あったといわれています。当時、赤や白の軍服は日本軍にはあません。


日清日露の戦争では日本国内の神社で神が戦場に赴いたといううわさ話がよく聞かれます。出雲大社では境内の白鳩が開戦後にいなくなり戦争が終わると戻ってきたそうです。各地でも狸(たぬき)が人間に化け参戦した話が残っています。有名な軍隊狸は愛媛大気味神社の喜左衛門狸で(喜)という文字がある赤い軍服を着て戦い「この兵士を撃つと目がくらむ」とクロバキトン司令官の手記に書いてある。とか。
茨城では出征する兵士が乗った汽車が鹿島神宮(全国にある鹿島神社の総本社)の近くで一時停車してから走り出したことがあったとか。鹿島神宮の御祭神は建御雷之男神(たてみかずちおのかみ)。国譲りの神話で大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)を出雲から諏訪湖まで飛ばして封じ込め大国主大神に天上神に国を譲ることを決意させた神です。鹿島神宮は昔から武士や軍人が武運長久を祈願する神社です。
この一時停車の時、建御雷之男神から何らかの力を与えられたのしょう。日本人の中に神と共に戦う(神任せではない)。目に見えない力を得て戦うという気持ちがあったのは確かです。唯物論が跋扈する現代。目に見えるものだけが真実であると考えるのは私には違和感があります。目に見えないことなかにこそある眞實に気づくべきです。
そんなこともあって結果的に日本軍は旅順を落とします。この要塞を占領したことで後のバルチック艦隊も撃破することに繋がりました。
この世界の有色人種を勇気づけた勝利は日本にとっては20億の戦費と20万人の犠牲を出して得た、かけがえのない勝利です。当時の日本の国家予算は7億円、重税や生活の切り詰めによって日本人全員が協力しました。
戦死8万4千人、戦傷14万3千人、旅順戦の第三軍司令官、乃木 希典(学習院第10代院長で昭和天皇の教育係)は戦死した二人の実子に良く死んでくれたと言い。妻、静子は神社での百度参りで子の命も自分の命とも引き換えに勝たせてくれと祈りその通りになります。ただしこの日露戦争の勝利が後に日本を縛ることにもつながります。
宗教の自由を大切にする欧米先進国は日本の宗教に対しては自由は認めませんでした。今も。そして彼らの思惑通り日本人は自分たちの基盤であった神道から心が離れ。なぜそうなったかを考えもせず皇統にさへ意見します。
日本人の敵の日本人を作り日本人の人心を分断させることに成功した彼らが日本の科学や経済をもコントロールしていることに気づき国益を守る行動を起こさないと日本人(意味深ですが日本は残ります)は滅びます。狸の世界もラスカルのイメージで侵入したアライグマに追われ狸は生息域を減らしています。今度は日本人が狸を助けてあげないといけませんね。イメージは他人(外部)から植え付けられる。学びましょう。
最近、神道を貶める報道があります。そういうものがあったときその背景を疑いましょう。
神道は日本人の生活や思想の基盤であって飾りにしてはいけないものです。
ウクライナをみて想う。藤井一中尉 没77年
2022年05月29日
5月28日は藤井一中尉の命日です。先に逝っていたフクさん、一子ちゃん、千恵子ちゃんと再会した日です。昨年の今頃、誰が現在進行形の戦争を目の当たりにすることになると思ったでしょうか。大国ロシアの西側に接するウクライナ、この国も昔のソ連兵の祖国というのが少々複雑ですが東に接する我々の脅威はロシアだけではありません。危険な国がいくつもあります。脅威はむしろ日本が感じなくてはいけないのです。


写真は内閣府のホームページからダウンロードできる『沖縄戦記』のほんの一ページです。当時の軍人やお役人の記録がその場で書いた記録です。それぞれ受け止め方があると思いますが内閣府にアクセスして読んでみるとよいと思います。教えられていることと違う当時の沖縄の人々の感覚がなんとなく理解できます。
ウクライナでなぜ一般人が戦争に巻き込まれているのでしょう。理由がわかりますか。なぜ沖縄で多大な犠牲を出してしまったのか。ことはそう簡単ではないのです。現在でも一般人が巻き込まれる危険性は端っこから生じます。
日本の端っこが戦場になり犠牲者が出たのは日本が沖縄を捨て石にしたという理由では説明できません。沖縄戦記でも軍と行動を共にしたほうが安全だと思う人も多かった。戦況が進むにつれ人の心も異常になって感覚がマヒするということはウクライナで起きていることと似ていますね。泣きながら戦争は嫌だと言いながら、その場にとどまっているお年寄りの映像を見ると胸が締め付けられます。同じことが沖縄でもあったのでしょう。
だから我々は端っこに注意しなければならないのです。ロシアの議員が言っています。『アイヌはロシアと同じ民族であり北海道に渡った』日本の政治家が言っています『アイヌは日本の先住民族である』これが両方本当ならばロシアがウクライナに侵攻したのと同じ理由が作れますね。Chinaの言い分は『古代琉球は中国の「属国」だったので日本の領土ということはあり得ない』です。一定数琉球独立を掲げる人もいます。そうしたら元々Chinaの属国であった琉球を救うという大義名分が生まれますね。

かつての日本人だったらウクライナ人のように圧倒的に不利でも戦ったでしょう。有名な『戦っても亡国、戦わずとも亡国』と言った軍令部総長・永野修身。正確には『戦わないなら国が滅び、戦ったとしても国は滅びる。けれど戦わずに国が滅びるというのは日本民族が身も心も永遠に国を失うことになる。もし戦い、護国の精神に徹するなら、たとえ戦いに勝てなかったとしても祖国を護るという日本精神が残る。そうすれば私たちの子孫が必ず再起しあるいは三起する』いやあ実に恥ずかしいですね。日本人は戦に負けて日本精神も残らなかったのではないでしょうか。もし本当に日本精神がなくなっていたら大東亜戦争で命を懸けた英霊は本当に無駄死にとうことになりますよ。私は南方のぬかるみで足を取られて餓死した一兵卒でも大事な英霊として靖国で鎮まっていると信じています。藤井中尉を初め沖縄に急いで特攻して逝った人たちはもちろん歩兵でも軍属でも皆日本を守った英霊で、その人々が守った日本に今生きているのが私たちです。私たちも色々な意味で日本を守る義務があるでしょう。
私たちも歴史の中に生きています。侵攻、侵略、戦争と立場の違いで言い方が変わる事実を見ています。私たちにとって戦争に見える行動はロシアは平和維持活動と言っていてウクライナではジェノサイドなのです。今現在の情報社会でもこの状況で正義の味方など現れず。武器供与するから自分で守れと言われてしまうのです。
では大東亜戦の時はどうだったのでしょう。私の中の解釈では(もちろんそれ以前の流れを現代ウクライナ同様無視して開戦当時だけ切り取ってのものですが)

第45振武隊(快心隊 藤井一少佐 搭乗機)
欧州は特にアヘン戦争以降、China(地方名)の中にいろいろな権益を持っていて日本も日清日露の戦勝国であった。欧州はChina以外の植民地でも搾取し上げた利益を自国に還元して栄え、日本は人口増加と家督制度の中で次男三男が相続する土地や仕事がない、資源がない等の事情から中南米やアメリカに移民を送っていた。そんな中、満州はChinaの端でソ連との緩衝地帯、且つ移民先として有望だった。ましてChinaには正当な権益を持っていて求められて出兵した関東軍が治安を維持していた。5族協和の満州国も作った。(五族=日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)みんな仲良く栄えて誰も文句言うまいと思ったらクレームが入った。中南米で移民排斥運動が起こり世界はブロック経済化し日本は弾かれる。関東軍の行動を調査したリットン調査団の結論は日本にとって甘いものだったが日本はそれを良しとしなかった。欧州や遅れてきた大国アメリカが日支事変に介入してくる。日本はますます孤立する。欧米に許され日本には許されないことがあってよいのか。日本人には理不尽に思えた。日露戦争で得た権益は8万人の命と国家予算の3倍の戦費を賭けて得たものだ。到底簡単に手放すわけにはいかない、コミンテルンの介入もあり欧米との正面対決となる。

その後は皆さんの知る通りです。問題はその後です。日本が二度とアメリカに立ち向かえないようにする。その緻密な戦略は多岐にわたり結果として依存性の高い人間を量産します。自分の生存さえ他者に依存する。強い者に従えと、核を持った国には逆らわないほうが良いとなれば北海道と沖縄は失ったも同然。また抵抗すれば北海道と沖縄が戦場になるのも必然。日本人の覚悟が迫られております。『備えあれば患いなし』考えることから逃げてしまってはいけません。どうやって日本を守るのですか。家族のある人はどうやって家族を守るか。子供たちや地域を守るのか。昔の人は身近に防衛を考えていたでしょう。
日本は今でも資源がない、食料自給率が低い、労働生産人口の低下等の危機を抱えています。大東亜戦争前と変わっていないのです。1990年代にGDPの上昇カーブはいずれアメリカをとらえるかのような勢いでした。半導体の50%をDRAMの80%は日本が作っていましたが経済戦争でそのほとんどを失い25年間経済成長していない唯一の先進国(いずれ先進国でなくなります)です。なのなのにどうして現代日本人は経済や軍事での安保や生存について考えなくてもよいと思っているのでしょう。憲法9条があるからですか。日米安保という曖昧な約束があるからですか。それらが破られた時の事。なぜ考えなくてもよいと思ってしまったのでしょう。WGIPが日本人から考えることを捨てさせたのです。『今だけ』『金だけ』『自分だけ』に向かっていけば必然的に日本が日本でなくなることを彼らは研究済みだったのです。
#憲法記念日
2022年05月03日
5月3日『憲法記念日』は国民の祝日に関する法律に「日本国憲法の施行を記念し国の成長を期する」とあります。国際状況や日本のことを知らない日本人が増えている現状を考えると遅きに失した感はありますが憲法について皆で考えることが必要でしょう。改めて書きますが私は専門家や学者ではないので事実の確認や考察は其々で行ってください。ここに書いてあるのは私の史観(私感)です。
大日本帝国憲法の時代が全否定されていること。その時代の歴史や民族教育が行われていない。一種タブー視されていることが現代日本人の一つの罪であるとさえ思っています。形だけの日本は残っていますが中身が問題です。法務省のHPには「日本国憲法とは、自由で公正な社会を築き、支えていく上で重要な国家と個人、あるいは個人相互の基本的な在り方を、国民自身が定めたものであり、本来、私たちにとって身近でなければならないものです」とあります。さて、現在私たちが戴いている日本国憲法はその趣旨に準じているのでしょうか。成立のいきさつはどうだったのでしょうか。現在の憲法は1946年11月3日に公布され翌年5月3日に施行されたものです。
連合国の指導の下策定された憲法であり占領下におかれ自主権が制限されている状態でのものですので文脈や文法がおかしいなど基本的な問題はあるものの当時の国家国民が選択した結果と言えないこともないですし受け入れなければならない立場だったのですから無効だと否定する主張も無理があると私も思います。ただもっといけないのは独立を果たして自主権が与えられ自由民主党という改憲を党是とした政党が与党を担っているにもかかわらず1度も改正どころかまともな議論も70年近くしてこなかったことです。WW2の日本・ドイツ・イタリアの同盟敗戦国でさえイタリアが15回、ドイツが58回の憲法改正をしています。日本は一言一句変えていません。「完全無欠だから変えない」「変える必要がないから変えない」「変えたら戦争を起こす」といろいろ考えはあるのでしょうが、議論さえしないというのはどういうことですか。
そうかと思うと平成24年 4月に自民党が出した「憲法改正草案」あれはショック療法的な考えがあるのか少々強引な感が否めません。それを党として出すことで論議を始めるきっかけにしようとする意図があったのかもしれませんが内容が強くて抵抗を感じる部分もありました。しかし為政者が国民の生命と財産を守るとすることが使命の第一義であるなら憲法という国の在り方について理想を語ったり変更について議論をしたりしてこなかったことは無責任の極みです。現にウクライナはロシアによる侵攻を受けています。ロシアは迫害された国民を守る平和維持活動と言い。日本は侵攻と言いい諸外国は侵略戦争と言っています。立場によってとらえ方が様々だということを学びました。そうすると日本がシナ事変から大東亜戦争に至った経緯も当事者であっても正確なところは検証不能なのだろうと察せられます。現在進行形でも何が真実かわかりませんから。とにかく戦争は勝った側の理論が正しいということになります。歴史さえ上書きされる可能性もあります。そのことは敗戦国民として知っておいたほうが良いでしょう。

ウクライナでの戦争行為が行われる前は憲法について日本の理想的な姿や国の在り方について書くべきだと思っていましたがどうやらそんな悠長なことも言っていられないようです。見れば見るほど日本というのは難しい位置にあるものです。この地図に国名を入れていってごらんなさい。問題のある国ばかりです。
4月1日ロシアの野党「公正ロシア」の党首セルゲイ・ミロノフが「一部の専門家によると、北海道の全権はロシアにある」という発言したことを脅威に感じた人も少なくないはずです。この発言の伏線は「ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い利用していた。そこ(北海道)にはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ」「ロシアがどう対応しなければならないかは不透明だ」
そう、ロシアのクリミア併合と今回のウクライナ東部侵攻は彼らにとっては自国系民族の解放という名の平和活動です。同じ動機が日本に対してもあって決断さえすれば実行する用意があるということを言っているのです。もう一つ警鐘を鳴らしておきます。北海道の先住民がアイヌであるという刷り込みです。政府も認めたこの史実。歴史書の95%もそうなっていますが、これはロシアの主張を肯定するものになっています。北海道は確かにアイヌ民族が住んでいますが、それ以前に住んでいた日系人がいたのも事実です。しかし一方の主張が強く反映されて補助金や施設建設が政府の後押しでできていて何れも「アイヌが迫害された歴史」というストーリーになっています。(そういった事実を否定するものではありません)同じく沖縄でも琉球王朝が日本により併合されたという歴史観があります。どっちもどっち論というのは良くないことですが、アメリカ、オーストラリア、カナダなどもその理屈からいうと民族の正当性を失ってしまいます。このような刷り込みが政治レベルや知性の高い人たちの中で起こっていることを知れば、いかに今危機であるかがわかります。北と南の端で民族解放と叫べば平衡な軍事力を持たない日本に対して強硬に侵攻する国があっても不思議ではない流れ。それに加担しているのも日本人という矛盾と理不尽。私はこういう事柄こそ多くの人に議論してほしいと思います。

北方領土に関してどれほどの人が関心をもっていてどの程度の知識があるのでしょうか。国の端ほど危ないのです。日本の場合は北海道と沖縄。対馬あたりでしょうか。今回は北方領土について私がお伝えしたいことを書いてみたいと思います。というのも私の父は北海道紋別郡湧別町の生まれです。オホーツク海に面しサロマ湖に挟まれた場所。東京へは就学当時36時間かかったとか。最果ての地です。今回の悲しい知床の海難事故で国後島の近さを改めて感じた方も多いと思います。日本領ですが実効支配されているために許可なく入ることができません。実に理不尽ですが力による現状変更は許されてしまうわけです。
国後も歯舞群島も歴史の正当性などどうでも不法占拠だろうとなんだろうとロシアの実効支配のほうが正当ということになるのです。Koreaに不法占拠されている竹島も同じです。
2006年8月16日、歯舞群島付近でカニかご漁船をロシア警備艇が追跡のうえ銃撃により漁師さんが死亡する事件がありました。あのニュースで私は目が覚めました。同じく不法占拠されている竹島でも過去に8人殺されているのです。日本領で日本国民が拿捕されて殺され。何もやり返せないのが日本です。それでよいのですか。
カムチャッカ半島から択捉島の隣の得撫島(ウルップ)まで伸びる列島を
日本名で千島列島。ロシア側(英語も)ではクリル諸島と呼びます。
千島列島は25程度の島からなります。50Km2以上は以下の13島です。
北千島=①占守(しむしゅ)島②阿頼度(あらいと)島③幌筵(ほろもしり)島
中千島=④温禰古丹(おねこたん)島⑤春牟古丹(はるむこたん)島
⑥捨子古丹(しゃすこたん)島⑦松輪(まつわ)島
⑧羅処和(らしょわ)島⑨計吐夷(けとい)島
⑩新知(しんしる)島⑪得撫(うるっぷ)島

南千島(日本)=⑫択捉(えとろふ)島⑬国後(くなしり)島
色丹島(しこたんとう)と歯舞群島(はぼまいぐんとう) は50Km2以下
歯舞群島=貝殻(かいがら)島/水晶(すいしょう)島/秋勇留(あきゆり)島/勇留(ゆり)島
志発(しぼつ)島/多楽(たらく)島他
カムチャッカ半島に一番近い=①占守(しむしゅ)島と日本との国境⑪得撫(うるっぷ)島は覚えましょう。
日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島の領有権を放棄しましたがソ連は条約に非加盟であり国後/択捉/色丹/歯舞群島等の南千島はロシア(ソ連含む)領になったことは一度もないというのが正史です。(何度も書きますが正史は力の前に無意味です)
千島列島に樺太(サハリン)を含めロシアと日本は国境を接しており幾度となく境界が変更されてきました。その明確な歴史の初発はともかくロシアが樺太、カムチャッカの南部と同じ民族が北海道に住んでいると言っていることからこれまでの国境の概念は意味をなさないでしょう。ウクライナを見ていればわかりますね。ロシアが勝てばすべての歴史は上書きされて正当なものとなるでしょう。ここで今回私が述べるのは日本人にしか通じない理屈ということになってしまいます。
万が一ロシアが自国民保護のもと平和維持活動といって北海道を併合したら今の北方4島と同じ運命になる可能性があるのです。憲法に何か書いておけば大丈夫などということはあり得ないのです。アメリカが助けてくれるかもわかりません。ウクライナに誰か助けに行ってあげないのだろうか。と日本人は思うでしょう。現実は助けてはくれません。あくまでも自国は自国民が戦って守るしかないのです。

意味のない理論を書いておきましょう。国境は幾度となく変更されてきました。上の地図が4枚並んでいる図は近代史で学ぶものです。
1855年 日露親和条約は米国(ペリー)に先を越されたロシアが最初の国境協定として締結したものですが樺太は雑居地して棚上げし、北方領土(択捉/国後/色丹/歯舞諸島)は日本が実効支配していたので得撫島と択捉島の間に国境を定めたのです。
1875年 樺太千島交換条約。これはちょっと重要です。なんで交換という言葉を使ったのでしょうか。樺太が自分のものだったら交換する必要はありません。樺太をロシアにしてください。占守島(シムシュ)からすべてのクリル半島は日本でよいです。ということになりました。
1905年 ポーツマス条約。日露戦争での多大な犠牲の下。戦勝国となった日本は当時代の常識としてロシアから南樺太(北緯50度以南)を割譲します。大東亜敗戦で当条約が元に戻ったなら理解できますが後に侵攻されました。
1951年 サンフランシスコ平和条約。北海道の割譲要求はアメリカの反対で通りません。終戦(1945年8月15日)の日前後に起こったことを日本人は忘れてはいけません。以下に記します。
1945年8月9日、日本の劣勢を見た当時のソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し満州に侵攻。11日、南樺太でも日本領へ侵攻。樺太の「真岡郵便電信局事件」は映画にもなりました涙なしには語れません。(調べてみてください)スターリンはヤルタ会談でルーズベルトとチャーチルとの秘密協定を結んでいたと主張します。(従軍した祖父が火事場泥棒と呼んでいたソ連。崩壊したのに国連常任理事国に居座る傲慢)当時日本軍にはポツダム宣言受諾のための武装解除(武器の放棄)の指令が出ていました。
8月18日、占守島の樋口季一郎中将は独断で自衛権を行使。すでに統帥権を失った軍隊。彼らは独断(自己判断)で日本を守ろうとしました。この戦いで日本人600~1000人の死傷者を出しましたが結果的に北海道は守られました。日本人の多くは8月15日で戦争が終わったと思っているでしょう。しかし北の果てで日本を守るために命を懸けていた者がいたことを忘れてはいけません。8月23日占守島の日本軍降伏(兵士はシベリア送りになりました)

8月25日ソ連が全樺太占領、同日択捉島、9月1日色丹島を占領。2日に国後3日に歯舞群島に上陸5日全島を支配下に置き戦闘を停止。スターリンは北海道を占領しようとしました日本軍(すでに軍ではなかったが)の抵抗とアメリカの反対により4島でとどまった形になりました。しかし4島は侵略されたのです。行われていることが今のウクライナの状況と同じですね。ソ連の言い分は「日本に不法に侵略されたサハリン(樺太)とクリル諸島(千島列島)を解放した」といものでした。戦後もシベリアに抑留された日本兵や満州居留民の惨状を見ればウクライナからロシアに送られる人々の先行きが心配されます。
(樋口中将が同盟国ドイツに抗ってユダヤ人を助けた話も調べてみてください)

ロシア(旧ソ連)の言い分は侵略そのもので過去のいきさつからの合理性もないということは図からもわかります。上の図(旧ソ連の教科書にあった記載 水津満著 北方領土奪還への道)からは昔からその野心があったこともわかります。教科書というのは国民を洗脳するにも使われるもので水津満氏の著書の中では様々な根拠が述べられていますが1940年を除く地図すべては1953年のソ連初等学校の歴史教科書を書き写したもので100年以上前には国後島まで自国領のように書いているものがあります。ただし歴史的根拠は全くありません。逆説的にも彼らが近代においては特に4島に関して日本領だと認識していたのは確実なのですが、そんな事実はのどうでもよいというのが残念ながら世界共通の概念なのです。日本の周辺国家が今起こしていることを見ればわかります。「話し合えば」とか「外交努力」などというものは軍事力が対等であることが最低条件として必要なのです。

実感はないかもしれませんが日本が正しく立ち振る舞っていれば日本の形はこうだったのでしょう。
さあ国の在り方。特に防衛と外交についてはエネルギーや食料自給力が低く、産業力も労働生産人口も低下気味の日本の死活問題です。
そういったことへの準備を怠ってきたツケを若い人に払わせるのでしょうか。私は忍びない。少なくとも戦後を生きてきた団塊世代以降の責任として国民の生命財産を守り発展していくための憲法改正をお願いしたいと思いますし、我々も無関心でいてはいけないでしょう。
最後にもし本気で憲法を改正してみたら今と一言一句違わないものになったというならそれはそれでよいのです。「自分たちのことは自分たちで決める」という心の持ち方が「自分たちのことは自分たちで守る」という当然の大人の国家になる道だと信じます。
紀元節 皇紀2682年 日本国のお誕生日
2022年02月11日

今日は日本国の誕生日。多くの祝祭日が改名させられて元来の意味が分からなくなっています。本当は『紀元節』ですね。橿原の宮で初代神武天皇が即位して今年で建国2682歳になりました。おめでたいですがただ長ければよいというものではありません。そこに住む国を構成する国民が成り立ちを知らない誕生日に意味はないですから。皆で祝ってこそのの誕生日です。外出していませんがきっと近隣で日章旗を掲揚している家は少ないでしょう。もちろん我が家は掲げています。本当はみんなでお祝いしたい、そのための祝日ですからね。
大東亜戦争前のすべての歴史の自己否定が未来の日本に何の意味があるのでしょうか。戦前の日本の否定が戦争しない国になることにつながるという人もいますが私は自分の脚で立つことができない依存性の高い人間が量産されて結果的に国力が落ちていくと思っています。
このことは多くの先人が懸念していました。三島由紀夫・西部邁・最近では石原慎太郎各氏が知られていますが皆、自立できない日本の将来を憂いて鬼籍に入られました。自主独立をしないままの国と国民性が関係していないわけがありません。このままでは国が精神から失われるという危機を私も感じています。

そんな中、行われている北京の冬季オリンピックで考えさせられたことがありました。一つは数日前に初めて行われたスキージャンプの男女混合団体。高梨選手が失格になったこと。選手には大変気の毒なことでした。この規格検査は全員ではなく抜き打ちで今回に関しては計測の仕方も普段と違っていたそうです。5か国失格なんて異例なことですから検査側に問題があった可能性もあります。今回は事後抗議の意見書の提出がありそうですがこういったとき日本は堂々と意義を主張すべきだと思います。波風立てずに自重するのが日本人の美徳みたいな考えは国民性かもしれませんが「いつか必ず言える立場になる」という強気が昔の日本人「そのうちみんな忘れるだろう」という弱気が今の日本人のように思えます。行動は同じでも意味は全く違います。

モヤモヤしている中で今日のスノーボードハーフパイプの平野歩夢選手の事件です。2回目に人類最高難度のルーティンを成功させるも採点がトップの92.50点に届かず91.75の2位。誰もがこの採点に疑問を持ったはず。普通ならここで心が折れたり腐ったりしてしまい3回目にも影響が出ると思ったところが平野歩夢選手はこの採点への怒りをバネにして3回目は2回目と同じ構成で96点を得て金メダルを獲得しました。
その間、彼は感情に表さず淡々としていて結果で周囲をうならせました。日本の若者も捨てたものじゃないと希望を持たせてもらい自からの行いも反省させられる思いでした。建国記念の日(紀元節)と、この若者の立ち振る舞いを結び付けた人は少ないと思いますが、これも何か因縁を感じないわけにはいきません。若者は日本の希望の源泉です。若者に希望が持てるうちは国は大丈夫。会社や家族も同じことです。
追記 (ハーフパイプ採点)
審判員 1回目→2回目
スウェーデン 96→98
フランス 92→95
カナダ 90→96
アメリカ 89→96
日本 95→97
スイス 90→95
カナダ/アメリカ/スイスがブレすぎですね。先のスキージャンプでもジャッジと対象国の関係を見ると思惑を感じないでもありません。採点競技特有の何かがありますね。それを行動で誰にも文句を言わせない結果を出すというところが今回、私が感動した点であります。これで誰も文句言えないだろうというクールな中に燃えたものがあったのでしょう。実に日本を感じる出来事でした。
日本神話 悲運の皇子 倭建命(ヤマトタケルノミコト)日本武尊
2022年02月06日

もっと後に書こうと思っていましたが敢えて日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のお話しです。日本武尊と郷土の物語の2本立てです。まず初めに本稿は記紀(古事記/日本書紀)の中で皇子の御名も地名も場所も年代も若干のズレがあって説が定まっていないこともあることをご理解ください。
以前も書きましたが古事記は日本人用、日本書紀は海外主にChina向けであること。ともに40代 天武天皇の時代に編纂が始まったこと。私は学者でも研究者でもないこと。真実と事実は異なり私は真実のほうを大切にしたいと思っていることを記しておきます。
ここからは日本書記の日本武尊という字を用いていきます。知らないことをいつ気づいても問題はありません。今知ったって昔から知っていたって価値は同じです。知らないまま知ろうとしないことを恥ずるべきです。私は高校生の時オートバイ大好きで教室にポスターを貼っていました。壁3面がオートバイのポスターで埋まるというすごい環境でした。オートバイで主に埼玉/群馬/長野を走っていました。武尊(ホダカ)山//吾妻郡嬬恋村/旧碓氷(ウスイ)峠/秩父/長瀞等のルートはよく行きました。これも以前書きましたが熊谷に住んでいて何故航空自衛隊が熊谷にあってその近くに御稜威ケ原なる地名があるのか高校生の時には深く考えませんでしたがオートバイで走っていたルートの地名にも何か引っかかるものがありながらも深く考えることはありませんでした。
さて、日本武尊のお話です。(日本書記は天皇を海外に紹介する面があるので書かれ方が古事記と違います)
日本武尊は12代 景行天皇の数多く(80人といわれる)の子の第2子。大碓(オオウス)命の弟である小碓(ヲウス)命(後の日本武尊)に命に従わない兄を諭すように言われるのですが小碓命は兄を殺害してしまいます。景行天皇は小碓命に危険を感じて自分から遠ざけようと九州南部の討伐を命じます(この過程で熊曾健から倭建命(日本武尊)の名を受ける)難なく出雲まで平定して大和(やまと奈良県)に帰ります。これが日本武尊の征西です。しかし今度は直ちに東十二国の征伐(東征)を命ぜられます。きっと父(景行天皇)は自分に死んでほしいのだなと感じた日本武尊は悲しみますが叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に励まされ天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ(須佐之男命がヤマタノオロチの尾から取り出した剣)と小さな袋を授かって旅立ちます。駿河の国(静岡)で国造に焼き殺されそうになった時。天叢雲剣で草を焼き払い逆に袋に入っていた火打石で相手に火を放ち返討ちにします。これよりこの地を焼津とよび剣も草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになります。
この東征に同行していたのが后の弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)です。走水海(浦賀水道)を渡るとき海が荒れ船が転覆しそうになります。

弟橘比売命は皇子が天皇の務めを果たすため自らが入水して海の神を鎮めます。無事に船が渡った7日後に弟橘比売命の櫛が浜で見つかります。
『さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の火中に立ちて 問ひし君はも』 弟橘比売命が入水時に詠んだ辞世の歌
(相模野で火に囲まれたとき火中に立って私を気遣ってくださったあなたがどうかご無事でありますように)
この危機を乗り切った日本武尊は東夷十二国を平定した帰路の碓氷峠で霧で道に迷った際に八咫烏が現れ紀州熊野の梛木(ナギ)の葉をくわ先案内し山頂に着きました。日本武尊は碓氷峠の山頂から相模灘で荒波を静める為に海中に身を投じた弟橘比売命を偲び「吾嬬者耶(アヅマハヤ)」(ああ、いとしき我が妻よ)と三度繰り返し叫びます。この由来により碓氷峠には群馬長野にまたがる珍しい県境鎮座の熊野神社があります。また群馬の嬬恋・吾妻(あずま)・霧積 ・武尊(ほたか)山等の地名も古事に縁のあるものなのです。
更に地元埼玉秩父の三峰神社の由来は碓氷峠に向かう途中三峯山に登り山川の美しい様子から国生み二神(伊邪那岐命/伊邪那美命)を偲んでお祀りしたのです。この時道案内したのが狼(山犬)であったとされ神様の使いとして一緒にお祀りされています。(絶滅したニホンオオカミは秩父で生きているという伝説もあります)

もっと会社に近い長瀞の宝登山でも山火事にあった際、巨犬に助けられたという伝説から巨犬(山犬=おおかみ)を大口真神として祀っています。山名もこの逸話から「火止山」=「宝登山」となったといわれ三峰神社とともに狛犬は犬の形をしています(獅子形ではない)。後に景行天皇も日本武尊が平定した東国を巡幸されたということです。


日本武尊は東征から大和を目指す途中、美夜受比売と結ばれますが古(いにしえ)の習慣ですから弟橘比売命への愛には変わりはないのです。近江の伊服岐山の神に受けた傷がもとで日本武尊は命を落とします。あともう少しで大和に帰れるのに。故郷に愛されなかった日本武尊の気持ちはどんなものだったでしょうか。
『倭(やまと)は国のまほろば
たたづなく青垣山隠(ごも)れる 倭しうるはし』
(やまとのくには最もよい国である重なり合った青い山々が前後するやまとは美しい)
日本武尊 辞世の歌です。
(辞世の歌とは最期の歌であり出征死したたくさんの人も残しています日本人の習慣みたいなものですね)
日本武尊の魂は大きな白鳥となって能褒野(のぼの)を飛び立ち河内の国の志幾に地に降りたので御陵(みはか)を造り魂を鎮めました。その御陵は「白鳥(しらとり)の御陵(みささぎ)」といいます。
日本武尊の物語は大和朝廷の真実の記録です。これからは事実現実の世界のお話に入ってまいります。
10代から21代の天皇の系譜を貼りました。大事なのは直系の嫡子で継承しているわけではないということです。男系男子の継承が例外なく行われており
これは初代神武天皇から126代 今上天皇まで2682年間一度も原則を外れたことはありません。

さて景行天皇の悲劇の皇子である日本武尊。13代 成務天皇は景行天皇の第4子ですが日本武尊とはお母様が違います。14代 仲哀天皇は日本武尊の皇子、更にその御子は私がそこまでは書こうと思っている15代 応神天皇、諱(いみな)は譽田天皇(ほむたのすめらみこと)八幡神社の御祭神です。お母様は最も有名な皇后、神功皇后です。16代 仁徳天皇以降は風土記などの史実との一致が多くなっていきます。21代の雄略天皇のころ大和の勢力範囲は日本武尊の治めた東北から九州までに拡大していることが証明されるようになってきました。
私たちに縁の深い埼玉県行田市に埼玉(崎玉サキタマ)という地名があり埼玉の地名の基と言われています。埼玉古墳群という関東最大の古墳群9基の古墳が残っています。おそらく古代はもっと多くの古墳が同時期に存在していたでしょう。丸墓山古墳は円墳、それ以外の8基は前方後円墳であることから大和朝廷との関係は昔からあるといわれてきました。その中の稲荷山古墳から1968年に出土した副葬品 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)は出土10年後X線検査をしたところ剣身に表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が金象嵌で刻まれていることがわかりました。年号は西暦で書いてありませんから辛亥年の解釈は西暦471か531年かですが、書かれている獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ)が日本書記から雄略天皇のことだと推察されています。いろいろなことがつながってきたので仕上げに入りますが私の若いころからの郷土の由来が少しずつ繋がってきました。12代 景行天皇の御代で東北から九州までを平定した大和朝廷は21代 雄略天皇の時代に古墳時代のピークを迎えたのだと思います。


銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)という剣も明治期に発掘されて国宝指定されています。こちらには銀75文字の銘文が刻まれています。一部判読不明な部分がありますが後に発見された金錯銘鉄剣の読み方からやはりワカタケルと書いてあることがわかりました。雄略天皇のことですね。双方の剣に雄略天皇の朝廷に仕えたことが書いてあるということはそういうことです。銀象嵌銘大刀が出土したのは熊本県玉名郡和水町江田船山古墳です。
埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)
熊本県玉名郡和水町江田船山古墳から出土した 銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)
埼玉県と熊本県が繋がったでしょう。私は古のご縁を感じざるを得ません。もう1800年以上前には同じ文化文明で結ばれていたわけです。私たちと同じ暮らしをあなたたちもしていたんですね。こんなに離れていても。そして郷土地域にはそれぞれに神話とつながった地があります。神話と歴史が一つにつながっていているということが他国に類を見ないことであるという事実。日本人として大事にしなければなりませんね。
必要です。日本の成り立ちを知ること。
2021年12月31日

御幣やお札を授かりに神社を回りましたが何処も準備をしているのは年配の方ばかりです。文化の崩壊とはこのようにやってくるのだと思います。日本は神道と仏教が共存する国家ですが神棚も仏壇もない家が多くなっていると思います。新築で神棚を設置する割合はどのくらいでしょう。旗日に日章旗が並んだ昔が懐かしい。昔はお祭りも盆踊りも盛大でしが除夜の鐘さえ騒音にされる現代で日本文化は日本人が守れるのでしょうか。
新渡戸稲造の「武士道」は日本文化を外国人に紹介するものでした。新渡戸が英語で書いたものを日本語に翻訳してあるのです。今では日本人が過去を知る手段として読むものになりました。武士道を書くきっかけはベルギーの法学者ラブレー氏との宗教に関する会話(新渡戸はキリスト教徒)で「あなたがた(日本)の学校では宗教教育がない、とおっしゃるのですか?」と聞かれ「ありません」という返事をします。ラブレー氏は驚き容易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子供に道徳教育を授けるのですか」と繰り返し言ったそうです新渡戸は答えられません。新渡戸は幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校で受けたものではなくそのような観念を吹き込んだものは武士道だという思いに至り外国人向けに武士道を書いたのです。
明治期の日本人には武士道が道徳の基だったかもしれませんが神仏が私の道徳の柱です。やはり学校で教わったものではありません。祖父母から神仏が必ず存在するという教育を受け神仏の存在を基準として人生を歩んできたのです。おかげで道を踏み外しませんでした。放火で多くの人を巻き添えにした犯人が死にました。世間はこれで原因がわからなくなったといいます。原因はともかくいじめにせよ巻き添え殺人にせよ同じ方法で減ると思います。しかし多くの世論のように原因を掘り下げ対処療法での解決方法を採るならば更に深刻な事態になっていくとも思います。

自宅の神棚 お正月様準備完了

コロナ禍で無償配布のお札
新渡戸稲造はキリスト教徒であり日本人の道徳感の源泉を武士道にみましたが私は日本に千年以上根差している神仏の教えを基にして人間教育をすべきだと思います。教育とは大げさですが日本国の成り立ちを皆が知るだけで充分です。今、家庭でも学校でも日本の神話を教えません。神話から現実が連続して存在している国は日本しかないのに故意に教育から外し学ぶには自分で調べるしかなくなりました。今では一部の人しか自分の国の成り立ちを知らないのです。神仏を基にした教育が行われれば「親殺し子殺し」「無差別の殺人」「いじめ問題」などは減少すると思います。そんな未来が日本に訪れますように。
プロフィール
代表取締役社長:本間 剛1964年12月生まれ
東京電子専門学校
メディカルエレクトロニクス科卒
趣味 : 読書/仕事
座右の銘 : 吾以外皆吾師カテゴリー
- a) 会社や仕事について想う (17)
- b) 人生/社会観(若人へ) (59)
- c) 健康観(カウントダウン) (7)
- d) 体験/プライベート (28)
- e)日本神話 古事記 やさしい解説 (28)
- f)日清日露大東亜 (9)
- 社長在宅日記 (22)
ブログ検索
-
最新ブログ
月別投稿

