社長在宅日記 アーカイブ - 株式会社 サンエイ

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社長在宅日記の記事一覧

在宅日記 第22回 最終回 長文

2020年05月06日

皆さんお元気ですか。

トリオデザイン事業部の皆さんは出張続きでご苦労様です。くれぐれも自他ともに健康で無事に帰社できますよう祈っています。

 

弊社は5月4日 「型感染症 緊急事態延長対応」(トップページ)で書いてありますように。明日7日より、トリオデザイン事業部以外の在宅を解除しますので在宅日記も今日で一度終わります。

 

社員のどれだけの人が読んでくれていたかわかりませんが、次に在宅日記を書くようなことがないことが望ましいのですが、私の健康上の理由で いつか在宅が再開されることがあるかもしれません。(その時はブログにします)

 

最終回は22日の総括と今後の暮らしについてです。やはり人間社会というものは自宅に引きこもって成り立つものではないとつくづく感じました。健康を損ねて家にいることを余儀なくされている人々の辛さが身に沁みました。外で健康に働けること、外に出て人と交わることの尊さに感謝しなければならないと思いました。

自粛明けの推奨される暮らしについては悲しいですね。感染症対策専門家会議の「新しい生活様式」実践例貼っておくのでクリックしてみてください。会食も宴会もできなくなってしまうでしょう。少なくともワクチンが開発されるまで守らなければならないし、ワクチンができてもインフルエンザがなくならないのと同じく、もう元の世の中には戻らないのです。

 

日本だけ例外ならよかったのですが。現実には外国人が来日するとき或いは日本人が海外に行くとき予防接種をすることが推奨されています。現在でも国々によって特定の感染症(例えば日本脳炎)があるのです。感染症は勝手に広まるのではなくグローバル化や環境破壊によって自らが感染症に近寄って行ってしまっているのでしょう。

適度な距離というものが国々や人、動物や自然界の間になければならないということでしょう。

 

韓国や台湾、ベトナム等がコロナの封じ込めに成功したと言われています。SARSやMERSの経験があったからとマスコミは言いますが、そうではなくて戦時の緊張感が残っているからです。

地域的な災害なら日本国民の倫理観で持ちこたえられても国中が災害地域になった場合、リアルな戦争体験が活きるのです。前にも書きましたが韓国は戦時中なのです。徴兵制があるのです。いつ戦闘再開されても良い備えがあるのです。平和ボケ日本人と比べては失礼というものです。

 

考える機会としては良かったかもしれません。個人としてはどうですか。韓国ではマイナンバーに様々な情報が紐(ひも)づけされ国家が個人を監視できます。情報を開示することも可能です。それを望みますか。国家として食糧自給率、産業のグローバル化をどう考えますか。原材料の禁輸から大東亜戦争が始まったこと知っていますか。今は、外国の圧力で日本の経済を止めることができる時代です。何かあったら要求に屈せざるを得ない社会です。日本は自主独立がもうできない(大同亜戦争後できない)ようになっているのです。あなたはどうやって家族を、地域を社会を国家を守りますか、国が守ってくれるのではないことが分かったでしょう。国民が自助、共助、公助を作るのです。

 

会社も同じ、会社に何かしてもらうんじゃない。自分たちが会社を育てていくのです。そんなことを考える機会になったのではないですか。昨夜も緊急地震速報がありました。いろいろなところが揺れています。そろそろ大きな地震が来るかもしれません。地域的な災害ではなく、もっと広い範囲の災害に備える。国家的な災害について考えておく、それに興味を持って参加していくということが これからの日本人には必要です。

 

自分でいうのもなんですが、我々の世代は少子化という選択をしました。人口を減らすという道を選びました。国が悪いのではありません。自分たちが今の社会を作った。(自分たちの前の世代の影響は当然うけています)のです。日本人がその道を選んだのですから他人のせいにしてはいけません。では、これからの世代の日とはどういう世の中を選択していくのでしょうか。大げさではなく国のことを個人が真剣に考えなければ、今の日本のようなことになってしまいます。

 

私は今の日本がみんなが望んだ社会だとはどうしても思えません。健全な社会だと胸を張って言えないと思います。いえるようならコロナの影響がこんなに長引かないでしょう。マスコミは毎日政治対する不満を取り上げています。自分たちがやれば良いだろうと思います。関東圏は2局のみ他は自主休業とか、やってみなさいと。今(感染症対策期間)の東京にあんなにテレビ局が必要でしょうか。ネットだけで充分。ネット見られない人のためにいくつかの局があればいい。

 

一人一人が未来の社会を日本を真剣に考えましょう。それができないのなら韓国のように全てを国にお任せして管理してもらいましょう。その人の感染ルートが完全に追えます。いつどこで何をしたかを把握されるのです。問題は私は嫌だというのはダメということ、全員がやるかやらないかです。戦時国家とはそういうもの、全員が協力するのかしないのか、協力しない人はスパイ扱いしないといけない社会です。さあ、どちらを望みますか。戦後日本型社会にお別れしなければなりません。全員が高徳を持った国民になるか、国家統制された国民になるか、中間はないものとして考えないといけない時代になります。

 

最終回 すごく長くなってしまいました。

でも 若い人に自覚してもらいたいから書きました。

皆さんの健康と繁栄を常にお祈りしています。

 

在宅日記 第21回 こどもの日

2020年05月05日

皆さんお元気ですか。

 

今日は、こどもの日、祝日法では

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とあります。そう、父がない。

 

お母さんが命懸で産むというのは尊いことではありますが占領ど真ん中の日本(昭和23年)で定められたことと関係あるのか。などと私は思ってしまいます。

 

もともと、奈良時代にChinaから渡った端午の節句。つき端(はじめ)の午(馬です牛ではないです)の日と云う意味だったらしいですが午と五の音が同じだから5月5日になったとか、子供に限った日ではなかったのですが、季節の変わり目に無病息災を願う。子供の生存率が低かった昔。子供の成長を祈るのはとても大事なことだったのでしょう。

戦国時代を経てだんだん勇ましいものになっていって ひな人形と同じく上級武士の風習で男の子の日になり、その後 町人まで広がって大東亜戦後に「こどもの日」になったとか、桃の節句が祝日ではないのだから、子供の日でよいけれど、せめて父母に感謝にしましょうよ。と言いたいでところです。

 

私が生まれたとき祖父母とも40代前半、両親は20代、今の自分を考えるとびっくり。祖父は嬉しくて私がお腹にいる間に平屋を2階建てに改築して出産に間に合わせたと生前言っていました。12月生まれなので白黒写真は昭和40年の5月でしょう。この飾りも、祖父が買ってくれたんだろうと思います。子供の頃は、鯉のぼりが羨ましかったけれど。下町のことだから近所にも鯉のぼりを立てられる家などありませんでした。昔の写真を見ると父も母もニコニコしています。

(二人ともお陰様で生きています)

最近、5月5日に兜だけ出すようにしています。子供は娘ですが、両親祖父母のこと、先祖のことを想うために。

 

今、子供がいる家庭が生活が苦しいとか貧困格差だとか言って「子供のいるリスク」なんてマスコミでよく取り上げられていますが、個の増大極まるということでしょう。家族制度を破壊し家庭を分断し、個としてバラバラにすると国がまとまらなくなる。という目的にすっかり乗せられていること。気づかないといけません。

 

端午の節句のような風習も、だんだん薄まってやがて廃れるのでしょう。出生数も毎年最低を更新ですからね。偶然かもしれませんがオレンジ計画とは100年前のアメリカ人も、

よく考えたものです。日の丸がオレンジ色に変わった。

 いつも言いますが、黄泉の比良坂で伊邪那美命が一日に千人殺すと言い、伊邪那岐命は一日に千五百の産屋を立てる(子供を産む)と返す。その心に背いているでしょう。日本が。経済が発達しても人の魂が向上しないのはなぜか、向上しているから少子化だ。という人もいるかもしれませんが、国に何かしてもらうことを望むより。もっと小さい喜びに感謝できないものか。

 

「親に孝養・先祖に供養」を実践すれば見えてくる。自分が幸福だったと思えば、「親の恩を子に返す」という思いも生まれるのですが物質に恵まれた現代人は、自分の幸福度のハードルが上がってしまって、昔の人が喜べたことが喜べなくなっているのです。

 

親のいない人もいる人も、ふた親がいないはずはない、生まれてきただけで感謝しましょう。

今日は父母に感謝しましょう。ほら電話、Web帰省。もういなければ想い祈ればよいです。

 

将来を担う子が幸福になれるよう導きましょう。

ハードルを上げてはいけません。どんな生活の中にも喜びや感謝がたくさんある。見方が悪いから見えないだけです。子供を自分と同じ見方の人間に育てては、子供が不幸です。なんにでも喜んで感謝できる人になったほうが幸せに生きられるでしょう。

 

在宅日記 第20回 小さくても生きてます

2020年05月04日

皆さんお元気ですか。

ハイビスカスの最後の蕾は、やはり黄色でした。これから夏にもう一度花をつけると思いますが赤は咲くでしょうか。

初めは赤と黄色 半々だったのですが。

 

この木も、クレマチスも10年以上経ちますが鉢植えでは大きくなれないですね。

その点、紫陽花(あじさい)は たくましく、鉢なんか関係なく根を地面に張っていきますから、1~2年で大きくなりすぎて、大剪定が必要になります。大きく選定した次の年は花は期待できませんが、庭が狭いので仕方ありません。

 

もう一枚の写真、メダカの赤ちゃん見えますか?100均のバケツが巨大に見えます。昨日は卵だっとのに今朝生まれていました。親が食べてしまうので卵のうちに別にします。

しばらくはエサなしでも。親(天)から与えられた栄養で生きていきます。

そこから先は、やはり100均のすり鉢で餌を粉状にして与えます。

 

初めはヒメダカ(黄色)と黒メダカ半々でしたが 自然の力でしょうか生まれてくるのは黒が多いです。写真にも一匹 白っぽいのが写っています(写真クリック)が、こういったのを集めて品種を作るのでしょう。我が家では放置飼育です。

自然のものは逞しい、勝手に育っていきます。餌をやらなくたって一定数なら苔や落ちてくるもので育つでしょう。毎度言っていますが、生かそうという見えざる力がはたらいているのです。もがき苦しまなくても生きていけるのです。本来は。暴れなけらば水に浮く。慌てて泳ごうとするとかえって沈んでしまう。力を抜きましょう。

 

 

在宅日記 第19回 亀失踪

2020年05月03日

皆さんお元気ですか。

 

今日は祝日法では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」という日ですが、敢えて日章旗を掲揚しないことにしました。今の内閣には期待しましたが、安倍首相でさえ屈してしまう何らかの力が働いているようです。保守・中道・革新・リベラル・無関心の皆さん(私は中道)に総じて評判が悪い内閣になってしまいました。

 

さて、そんなことより本日大変ショックで仕事が手につきません。(宿題が溜まっていて6日までに提出できない焦りが・・・)というのも、11年間共に暮らしてきた最後の亀。亀吾郎が失踪してしまったのです。

 

写真のように島を槽の中央に置いて出られないようにしていたはずなのに、誰かが誘拐したのでしょうか。大きくなっていたので動物ではもっていけないと思うのですが。

300件以上、空き巣に入って関西で御用になった犯人も、取り調べで我が家に来て一周ドアや窓が開いてないか確認したそうです、ただ亀は持っていっても何もならないでしょうし。

 

下の写真は、11年前の写真、一番大きいのが亀吾郎です。大きいと言っても子供の時はゼニガメと呼ばれるくらいですから、500円玉より少し大きいくらいです。亀吾郎は、お祭りのペットショップのくじ引きの景品、断ることもできたのですが娘が責任をもって買うといったのでもらってきました。もう一匹のクサガメは沼で拾ってきた亀太郎、私が昨年不注意で亡くしてしまいました。ミシシッピーの亀吉は甥が縁日で買って飼育放棄したものです、もう何年も前に これも水槽の作りが悪く溺死してしまいました。偶然 亀を3匹飼うようになったのですが、最後に残った亀吾(呼びかた)。一週間前に外に出したばかりだったのに夜蓋をし忘れた私のせいか。冬の間部屋にいるときは毎朝話しかけ、家にいる日は声をかけ、日曜日には必ず水槽を掃除して。何もリアクションはないですが、エサが食べたいときだけ寄ってきて手からエサを食べる。そんな関係でした。人懐こかった亀太郎、臆病だった亀吾郎。亀にも性格があります。

 

亀は案外俊足であっという間に遠くまで行ってしまいます。誰かが飼ってくれるとよいのですが、この陽気では一日外にいたら水が飲めなくて死んでしまいます。こんな形で お別れになってしまうとは とても悲しい日になってしまいました。どこかで生きていけますように。

 

本間拝

 

 

在宅日記 第18回 お仕事ご苦労様

2020年05月02日

クレマチスの蕾がだいぶ開いてきました。今日は30℃を超えるそうです。しかし湿度は低いので爽やかな暑さになるでしょう。

 

季節は例年のごとく進みますが世間は暗くなりがちです。東京の感染者も また100人越えですし、埼玉も多いです。地方は総数は少ないですが、減少傾向の地域と増加が混在しています。正確な数字なのかも不明。せめて気持を明るく持つしかありません。

 

こんな中、我がトリオデザイン事業部は、

九州に出張に行くわけですが(既に一部行っていますが)飛行機が欠航となってしまい全員、自動車移動です。ご苦労様とともに、事故や病気にはくれぐれも注意してください。

 

昨日、神棚の お世話で各所を回りました、

昼時のコンビニは仕事をする車で満車です。

東京や大都市中心の情報が多いので皆、在宅や休業しているかのようですが、地方の土木やモノづくりを担う人達は、お仕事をしているのです。「皆さん お疲れ様、お互い頑張りましょう」という気持ちになります。

 

埼玉、神奈川の感染者が多いのも東京との行き来が多いからです。一極集中は良くないということでしょう。集落という程度の規模は助け合いの観点から人間本来の姿だと思いますが、東京やニューヨーク、その他の国々の感染が爆発しているところの人間の数と密度は、本来の人間の姿からかけ離れているということでしょう。

 

人間らしい、ちょうど良い感じの暮らしが私たちの住む地域なのではないかと思っています。

地震や火山のリスクにも、政治家をはじめ一般市民の皆さんも備えることが必要でしょう。感染症も含め、いろいろなリスクに対応して生きていかなければならないのですから。必ずまた来る

(感染症を含めた災禍)ということを認識して、今回の反省を活かさなけれなりません。

 

 

在宅日記 第17回 月初め

2020年05月01日

月初めは神棚の清掃と榊や お供えを替えます。水は毎日替え参拝しますが、榊は月2回、米酒塩は月1回、水は毎日ということにしています。神棚が3ヵ所なので毎日は厳しいです。

 

在宅で留守部隊に水替えをお願いしておきましたが、水が涸(か)れていました。榊にしても水にしても枯れるのはよくありません。(気枯)ケガレに繋がるからです。

 

現 寄居本社の、お隣は八幡大神社(応神天皇・神功皇后) お参りのあと神棚の清掃と、お手入れをいたしました。

今年は春季例大祭も内々で行われ、神事でさえも新型コロナ禍の影響を受ける。まさに戦時という感じですね。

 

案外こういうリスクがあるということを、ビルゲイツはじめ口にする人は多かったのですが、だれも準備していない(一般人は特に)ことで非常の大きい影響を受けました。教訓として同じような疫病が起こったとしても社会生活が維持できるようにしておかなければなりません。少々脱線しますが、韓国が戦時下である(停戦中ではあるが今だ戦争中だということ)ことが、対応が早く、終息も早かったということは事実だと思います。

 

次に行田工場に向かいました。車で一時間の距離です。

新規採用のメンバーの中には訪れたことがない人がいるかもしれません。

 

工場の お向いは河原神社 お参りのあと同じく神棚の清掃をいたしました。ここは、水替えをしてくれる社員が常駐していないので、榊はお供えしていません。造化は意味がないと思うのです。形ではなく そこに生命がないといけないので。

 

自宅でも本社と同じ手順ですが神棚が先、氏神様である大雷神社の お参りは最後になってしまいます。

どの氏神様も今日は参拝の人を見かけましたが、少ないですね。風習でやっているというか、むしろこちらが生活の中心(柱)ではないかと思うのですが、そう考えている人はもはや少数なのでしょう。

 

クリスマスやハロウィンと初詣が同じイベントと考えられているように。元を知らないのですから信仰心など 起る訳がありあません。しかしそれでは動物と一緒です。日本人として自分の元がどこにあるのか。外国でも他教でもいいのですが、元を知らないと根無し草になってしまうのです。

 

畏敬の念がない人が多いです。自他双方に畏敬の念がないということ。自分の存在も小さく考えすぎている人が多いです。

神仏と心が離れている人が多い。同様に仏壇や墓参り。行動しなくてもいいので祖先を想う。先祖に心を寄せるという習慣がなくなっていますね。そうであれば当然そういった祖先や先人に対する感謝の念も起こりません。どちらが先かはわかりませんが、元を知って感謝する。感謝することから元を知る。

 

どちらにしろ知らねばなりません。

 

知識としての勉強より、そちらの方が大切です。知っていくとだんだんいろいろなことが繋がっていることに気づくはずです。腑に落ちる(なるほどな)と思うはずです。

 

目にみえないことの中に本当のことがある。我々は守られている。「あれは社長が勝手にやっていることだ」と視ている者がいるとすると私は非常に残念です。最後にもう一度言いますが、そちらの方が仕事や個人の生活より元にあるということ

在宅日記 第16回 4月最終日

2020年04月30日

皆さんお元気ですか。4月最終日です。

 

製品の出荷前 寝る間も惜しんで仕事をしたということですが、「お客様に迷惑を掛けてはいけない」それは素晴らしいことだけど。誰も望んでいないでしょう。

 

遠回しに語ります。

昨年3月のブログに書いた聖書マタイ伝の

「野の百合を見よ労(つと)めず紡(つむ)がざるなり」

春に花が咲くというもこの言葉を思い出します。(百合は春じゃないですが)猫の額の庭に1cmにも満たないような花が咲いていました。こんな小さな一輪の花、頑張って必死じゃなくても「咲かせよう、生かそう」という力が働いているということ。

人間も本当は自分に鞭打って必死にならなければ生きられないような存在ではない。ということを、この小さな花にさえ・・・・なのだから萬物の霊長である人間にはもっと大きな力が働いているに決まっている。ということですね。 花から学ぶんじゃなくて、その後ろにある大きな力について考えてみなさいということ。

 

特にトラブルがあった時はね。何か邪魔しようとして不都合が起きるように思いますけれど、何らかの示唆と捉えることが大切です。何か大きな力から(ご先祖さんかもしれませんよ)連絡が来ている。自分の何かが間違っていたのではないか。と反省することが必要です。心を静めて反省する時間がないでしょう。現代人は特にね。ある学校で授業を始める前の5分間。目を閉じてじっと心を落ち着かせてから勉強に入ったら。集中力が上がって成績が伸びたということです。これをやるとトラブルは減ります。その前に気づくから。

 

皆にやってみなさいと言っても。やってくれるかわからないですが、仕事に入る前の数分でいいから心を静める時間を作ってみなさい。 どうするかというと「瞑想」まではいかないですが、リラックスして息をゆっくり吸う、普通に吐くという、呼吸だけに意識を集中するのです。「吸う~・吐く/吸う~・吐く・・・」

 

もうちょっと上級になると中村天風先生(日本初のヨガ行者といわれる)は、お尻を締めて丹田(おへその下あたり)に意識を集中して、と言っています。息を吸うときに良いイメージ(幸福・喜び・健康など)が入ってくるよう感じて、吐くときは悪いものが出ていくと感じるようにするとさらに良いです。

 

一日の中の数分、出来れば朝夕とか、電車や移動の最中(運転してるときはお勧めしない)いつでも、このような呼吸を整えて気持ちを落ち着ける。こういうことをして自分の魂を鎮(しず)めると、直観力が上がって気づきが増えます。気がしてるだけかもしれないですが、ご先祖様の声は聞こえないけれど、私は目に見えない何かが教えてくれているような気持にります。

 

皆さんもやってみるといいです。神仏に祈る、心を寄せていくということは、近くなるんだから、そういうこともあるでしょう。一つ気をつけなければならないことがあります。自分の心を鎮めるとき、何も考えないでポカーンとしてはいけません。呼吸する意識、良いものを吸い込む意識をもっていないと、心を空っぽにするのは隙ができて別のものが入ってくる可能性もあるのでいけないのです。その点はご注意を。

 

 

在宅日記 第15回 昭和の日

2020年04月29日

皆さんお元気ですか。

 

今日は昭和の日です。 祝日法では、

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」

となっています。

 

いつの御代(天皇の時代)も「国民の平和と安寧を祈る」御心は一緒です。大東亞戦争があったのに。と信じられないという人もあるかもしれませんが事実です。

 

昨日は主権回復の日でしたが、そんなことはどこでも報じられていないようです。昭和はもう昔の出来事になってしまったのでしょうか。激動の昭和、世界中が大変だったのでしょうけれど124代 裕仁天皇(ひろひとは 諱(いみな))は最も心を傷めたであろう お一人です。

昭和天皇の教育係は日露戦争陸軍の立役者、乃木希典大将。明治天皇が迪宮裕仁親王(みちのみやは称号)のため学習院院長に任ぜられ、

「雨の日も(馬車を使わずに)外套を着て徒歩で登校するように」と言われた話は有名です。

幕末にうまれ明治に軍人として生きた乃木希典。

 

明治人最強を信ずる私としては、明治人の教えを受けた昭和天皇(実際にはいろいろな人が教育係であったわけですが)その人となり(当時は神にさせられてしまったが)は、私の知る範囲では畏れながらとても温かいお人柄です。

 

さて、令和。きっと今上陛下も心を傷められているでしょう。祈られていることでしょう。だから我々は負けてはいけないのです。日本は天災が多い国、そのたびに心を傷められる天皇。今回は世界中が苦しんでいます。天皇は日本人のことだけ祈っているわけではありません。天皇の祈りが天に通じ、やがては安寧な世が訪れることを信じて、私も祈り昭和を思う日にします。

 

 

在宅日記 第14回 ワンコ入浴で考える

2020年04月28日

皆さんお元気ですか。

 ワンコを洗ってやりました。水が怖いので抱きながらシャワーです。

鼻ぺちゃ犬(短頭種)は、かわいそうだから飼ってはいけないという人がいるくらい。人間が作り出した一種の奇形です。いろいろな犬種は人間の好みで近親交配によって作ったもの。特に鼻ぺちゃは頭の長さを短くしたのに舌の長さは変わっていない。気道も狭くなるし常に呼吸困難な状態です。

 

遊ぶことが大好きですが遊ばせすぎると危険。高所(空気が薄い)ではしゃぎすぎて死んでしまった悲しい話も聞きました。

 

飼い主(私)も呼吸困難な人種なのでよくわかります。 この犬種は皮膚が弱くアレルギーもちのワンコが多いことも特徴です。花粉症にもなります。外が大好きですが春に外出すると花粉症がひどくなるので控えています。毛もよく抜けるので毎日ブラッシングと塗薬、飲み薬が欠かせません。

皮膚炎とかゆみには私自身も悩まされています。かゆみは辛い、寝ている間に掻き壊してシーツに血がつくこともあります。ワンコも、よく見てあげないと一年中かゆそうで掻き壊してあちこち傷になり可哀そうです。

 

人間が作り出したある意味被害者(犬)ですね。 この人間中心の近代社会というのは特に産業革命以降 急速に発達、発展したものなので まだ何万年中の数百年という短期的な繁栄ですが、物質的繁栄が人間(動物も含め)を幸福にしたのか、疑問に思えてきます。

 

特にこの疫病禍に文明の無力を感じると、人間の歩んできた道が正しかったのか。と思えてなりません。 確かに美味しいものをたくさん食べていろいろなところに行って自由に暮らせる、しかも多くの人が。という世の中にはなったのですが心が追いついていかないような気がします。これからの世の中、文明と一緒に人間の心(思想にしておきましょう)も発展して変わっていくのでしょうか。すべての人や物、動物にとって幸せな世界なんて無理だとは思いますので、調和した皆が そこそこ幸せで充分満足といえるような社会になるでしょうか。なるといいですね。我々は感性を磨かないといけません。

 

何で勉強なんかしなければならないの?という子供に私はこう言います。

「あらゆる種類の勉強は、人に騙されない(たとえです)ようにするのだ。いろいろなことを知っていて自分で考える能力がなければ人間は誰かの言いなりになるしかない、特に危機の場合は。」 自分で考える癖をつけておかないと。人に従うしかなくなるよ。得られる情報から自分で判断するには普段の勉強が役に立つんだよ。ということです。

 

 

在宅日記 第13回 アフターコロナ(1)

2020年04月27日

皆さんお元気ですか。

私たちが社会人として、そろそろ考えなければならないことはアフターコロナです。

新規感染者が国内で100人を下回ったら、徐々にではありますが社会活動を戻していくでしょう。

その時の世の中は、この問題の前と後で変わっていなければ感染が再び同じように広がるに決まっています。

ワクチンや治療薬ができても、根絶することはないでしょう。新型コロナ共存することになります。

 

そしてまた新しい未知のウィルスが発生します。このサイクルが短くなっているのです。

SARS MERSを経験しなかった我が国と、他国の差が今回顕著にでました。

日頃の準備や社会システムの違いも浮き彫りになりました。

 

監視社会や国家に強制力のある国のほうが封じ込めが上手くいきました。

では我が国も同じように、国家の強制力を強くして国民を指導することを望むのですか。

否、日本はそうであってほしくないです。国家を作るのは国民。国民が政治を指導してあげるくらでないと。

 

政治の質は国民の質なのです。

会社も社員の鏡なのです。 今日の格言。中村天風先生。

 

『人間が人間として生きていくのに一番大切なのは 頭の良し悪しではなく 心の良し悪しだ』

難しいです。心が良いとはどんなことだ。頭を超えた心じゃないと誤ってしまいますからね。

 

ちょっと前にブログに書いた事があるんですが、法治国家の限界って、法治国家というのは法律に書いてなければ何をしても良い。という解釈が生まれてしまいますが、日本がかつて徳育が優れていたように徳治国家にならないと。各人が徳に基づいた行動ができないと、何をして良いのか悪いのか分からないということになってしまいます。それにはいろいろな知識が必要です。ブログに書きましたが、国家の成り立ち、神道や武士道、偉人伝等々。

 

時間がかかるでしょうね。今となっては。でも考え直す良いきっかけじゃないでしょうか。環境破壊も未知のウィルスの対応も人間のエゴと地球の関係の問題ですから。人間か変わらないと地球が変わってはくれません。

 

仕事もそうです。自らが変わらないと。今までの自分でよいのか。といつも問うて行動しないとなりません。世の中が私たちに合わせてくれる訳ないのですから。私たちが変わらなくてはならないのです。私たちの心が。