社長在宅日記 アーカイブ - 2ページ目 (3ページ中) - 株式会社 サンエイ

President Blog

社長ブログ

社長在宅日記の記事一覧

在宅日記 第12回 麗らかな日曜日

2020年04月26日

皆さんお元気ですか。

 

麗(うら)らかな日曜日です。

もう寒くなることもない(自然界ではとっくに冬眠から覚めているでしょう)ので亀吾郎を本宅に戻しました。これからまた寒くなるまで、ここで過ごします。一緒にハイビスカスも外に出しました。やはり日が強くあたる姿が似合います。

 

これだけの作業で、もう息が上がってしまいます。情けないことですが、これが基礎疾患である心不全の症状。

 

今思えば体を壊した時、何故か絶対にやってはいけないことを自ら進んでやっていました。皆さんは気を付けて自分では判断しないことが重要です。安易に自己診断してはいけません。

 

私の場合はこうでした。

①なんだか息が上がるなあ → 運動不足だな → 苦しいながら歩く → 逆効果で悪化。

②何故か そうだ水分とろう → 毎日2リットルの水を飲む → 心不全に水は禁忌 → 肺に水がたまる → 最悪の対応で悪化

①+②拡張型心筋症からの うっ血性心不全進行 手遅れ。

 

これを知らずにやっていたのですから何という運命でしょうか。最近、新型コロナで「陸で溺れる」という言葉を聞くようになりましたが正にこれ。陸で溺れるとパニックになります。息ができないと余計吸います。過呼吸に近い状態にもなります。余計パニクります。 何度救急車を呼ぼうと思ったことか。

 

まさかこんな時代が来るとは思いませんでした。今具合悪くなったら救急車呼んでも受け入れ先がないのではないか。と思っただけで血の気が引く感じ。まあ、その時はその時。

 

皆様におかれては今の時代だから一日一日を大切に、家族とのご縁も大切にした方が良いです。ネットやスマホが発達しているから すぐ声が聴ける良い時代ですね。

 

 

在宅日記 第11回 萬物の霊長

2020年04月25日

皆さんお元気ですか。クレマチスの花が咲きました。今年も蕾をたくさんつけています。これから夏に向けて楽しませてくれる美しい花です。

スイレンも水草も大きくなってメダカも水面近くで餌を待つようになりました。

 

心弾む季節ですが、残念なことにウィルスは依然収束の兆しを見せていません。夏に収束しないとなると脅威のレベルが高まります。一般的に風邪のウィルスは夏にはおとなしくしていますから。

自然界の生き物から、ウィルスが人に感染するとしたら、人間がその原因を作ったのでしょう。環境破壊や乱開発で野生動物との距離が近くなった。人間の数が増えすぎたのは確かですが、「萬物の霊長」と云われる人間が、霊長の資格を失いつつあるのではないでしょうか。

 

2018年に閉館した犬吠埼マリンパークの1頭のイルカ、引き取り先がなく今年死にましたね。今、埼玉の与野公園では飼育したバラ3000株の蕾を切っている作業をしているとか。花が咲くと人が集まってしまうからだということですが、果たしてこれが「萬物の霊長」の行いなのか。

甚だ疑問であります。

 

本能の趣くままに行動するのが良いこと、のような風潮があります。個人主義というか個性の尊重しすぎというか、私は節度ある行動のほうが人間らしい行動だと思います。人間だから我慢する。人間だから他者(動物や物を含む)を気づかう。人間だから老人や弱者を大切にする。のではないかと思います。

 

人間と人間の都合と人間と人間以外の都合、そういったものを熟慮して正しい行いをするものが「萬物の霊長」と呼ばれることを許されるんじゃないでしょうか。「萬物の霊長」って自ら言っておいて、この行動はないなぁ。と思われないように自省を込めて考えました。

 

 

在宅日記 第10回 免疫力アップ

2020年04月24日

皆さんお元気ですか。昨日の女優さんが亡くなったこと。ショックを受けた人も多いでしょう。私もその一人ですが、今日は皆さん大変興味がある免疫力アップの話です。

 

罹患しない、しても抵抗力を上げるというのは、運動やら食べ物やら薬やら、何か外から施すものと考えがちですが、実は心の影響も大きいのです。心と言ってしまうと実体のないものと思われてしまうかもしれませんので思考としても良いです。

 

今日の私の写真は、皆さんを笑わせようと思って貼ったのですが、今日は服着ているし案外マトモに映ってしまい笑いの要素が足りません。私の優れたる人格が影響しているのでしょうか。

 

左側の文字は「和顔 愛語 讃嘆 絶対感謝 無我の愛」と書いてあります。

 

穏やかな笑顔・愛と思いやりを含んだ言葉・褒めたたえあう行ない・すべての物ひとへの感謝・見返りを求めない愛、言い直すとそんなようなことです。

これがなんだというと和顔愛語は仏教用語、絶対感謝無我の愛はクリスチャンサイエンスやニューソートという以前全体会議でも説明した19世紀のキリスト教分派の考え方を引いているのですが、そちら追及すると宗教になってしまうので、今日は免疫力の話です。

 

平たく言ってしまうと最近の科学でも、笑うと免疫力が上がるということは通説となっています。そのメカニズムは私は詳しくはわかりませんが、常々申しておりますように、「明るく・前向きに・他者のために尽くす」ということは、「和顔 愛語 讃嘆 絶対感謝 無我の愛」の実践ということなんです。

こういった心は、(いや思考でいいです)運命を開くものでもあるし、免疫力も上がる作用があるということです。免疫力アップは一部に過ぎないのです。病気をすると心(思考)が暗くなります。弱気になります。当然心(思考の)免疫力も下がります。これが一番大きいと思います。亡くなった女優さんがのことは無責任なことは言えません。ただ、どんな状況でも、「明るく前向きに他者のために尽くす」「和顔 愛語 讃嘆 絶対感謝 無我の愛」を実践するということは、生活に沢山メリットがありますよ。その一部で免疫力アップも期待できます。ということを 理解してください。

 

テレビの放送は暗いことばかりです。見るだけで落ち込んでしまう。そこが免疫力低下のピンチだということ。暗い思考が浮かんだら、ただ呪文のように「ありがとうございます」と何百回も言ってみるとなんだか ありがたい気持ちになってきます。クーエの法則憶えていますか、「これから毎日あらゆる面で一層よくなります」朝晩20回。気持ちだけでどうにもならないときは、言葉の力を借りるのですよ。

 

会長や部長の笑いは頭の表面の事ばっかりだとか、品性が足りないとか。A君が芸人を目指していた割には、笑いにセンスを感じないとか、そんなことは言ってはいけません。ああいう人たちが知らず知らずに幸福を呼んでいるのです。「笑う門には福来る」は真理の言葉だったのです。

 

あと最後に言っておかなければならないのは、「感謝」。どう考えたって生きているってことだけで感謝です。あらゆる人に、あらゆる物に感謝。我々にはこれが不足していると思います。あらゆる物にですよ。感謝感謝。そういう思考が運命を開くということだけは本当のことだと言い切れます。ではお元気で。

 

 

在宅日記 第9回 業(ごう)

2020年04月23日

皆さんお元気ですか。今更ですが人間健康が一番です。心身というように、心と体は引き離すことができません。心の影響を身体が受けるのです。だから心を健康にしておかないと身体が健やかにならないのですね。遺伝病というのはもちろんDNAで説明できてしまうのですが、私は遺伝というのも業の流転(霊的な因縁)の影響があると考えています。家族が似るのはDNAだけでは説明できないものもあるでしょう。

 

私生活が体に及ぼす影響も、心や性格の問題も大きいでしょう。自分が腎臓を悪くしたのは遺伝ですが心臓のほうは性格や生き方が原因の一つだと思います。昔から非常に急(せ)く事の多い性格でした。何をそんなに急いでいるのか自分でもわからないくらい生きることさえ急いでいました。ゆっくり確実にというのができない。早く正確にを常に求める、いつも心臓ドキドキです。

 

今ましなのは、それを人に強要することが少なくなったことですね。若いころは許せなかったのですが、今はこれでも許せるようになったのです。これでもね。

 

今は歳のせいでしょうか。身体のせいでしょうか。急ごうと思ってもできないのです。在宅になってから特に、また急く性格が出てきてしまいます。ストレスでしょうか。

昔から不整脈波や動悸はあったのですが、定期的に強くなります。これは一種のサインで、また急いてるぞってことなのですが、サインが出たことにはかなり進行してしまっていて、治るのに月単位でかかるときもあります。

 

昔からそんな時は『救心』を飲んでいました。これは私の精神安定剤。不整脈や動悸が治るわけじゃないんですが、安心はします。そして入院中に聴くようになったボーカロイドの『文部省唱歌』や国民的な歌。私の心酔する明治人が聴いていた歌。もちろん最近の歌にもいいのがあります。そういったものをダウンロードして聴いています。心が落ち着きます。歌っているのは人間じゃないですけど上手に歌うもんです。唱歌は歌詞が良いです。当時その歌が生まれた背景とか国民の感情とかが感じられるから。これも私の精神安定剤。

 

入院中のベットの上でもヘッドホンで音楽を聴きながら、パソコンを広げて仕事をし、テザリングでメールをする。在宅じゃなくて 「在院勤務」してましたよね。

 在宅は一人ですから、やっぱりストレスが溜まります。追い込むもう一人の自分と常時一緒にいるわけですから、追い立てられて、サインが出で「いかんいかん」となるわけです。

 

皆さんも、長く生きている人はとくに自分の癖がわかっていると思います。良い癖もあるし悪い癖もある。魂レベルのその癖が『業』(ごう)といわれるもので、死んでも業は持って逝って同じグループの人は同じような業を持って生まれてくるのです。これを業の流転といいますが、悪い業は修正していくことができるのです。もう自分の性格は直らないと思わないで、いつからでも気づけば直していけるので、『良い業を積んで生きませう』(旧仮名づかい)

 

 

在宅日記 第8回 セルフ散髪

2020年04月22日

今朝は早く起きて食事の前にセルフ散髪をしました。見たくない人もいるでしょうが、写真を貼っておきます。

 

右利きなのに、自分の左側のほうがいつもうまくいきます。右手で右側は、やりやすいので雑になってしまうのです。そんなに時間を掛けずにやるし久々なので部分的に切りすぎてしまいますが、そのうちに生えてくるから(生えてこない人には失礼だが)気にしないことにしています。

さて本日の格言は本田宗一郎

「私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ。」

弊社に若いと言える人間はどれだけいるのかと思うかもしれないが、神道(しんとう)には常若という考え方があるのでネットで調べてみるとよいでしょう。

 

相手の心を理解する。相手というのは自分以外全て、人間だけではなくて物に対しても理解する人になってほしいものです。理解というのがまた簡単に書いてあるけれども、「深く思いを尽くす」ということであって欲しい、さらに言うと意識しなくても自然とそういうことができるような習慣を持った人間になってほしいということ。

 

これが実際は言われなくてもできる人がいる。できる人とできない人が混ざっている。これが社会というもので個性でもあるわけですが、会社人(社会人ではない)としては、出来るだけ人のレベルをそろえたいわけです。現に松下幸之助も、本田宗一郎も、きっかけを作ったけれど今はどうでしょう?みんな故人なので、今のパナソニック・ホンダを見てどう思うでしょう、イムズを継承しているのは、かろうじてホンダか、ホンダは世襲しなかったけれど、創業者とともに苦労した人が後を継ぎ、イムズというものが残っています。トヨタも今は世襲だから伝わってくる。(コマーシャルの影響?)しかし、パナソニックは全く変わってしまった。松下幸之助は天国でどう思っているだろうか。少なくとも喜んではないでしょう。

 

そこで「相手の人の心を理解する人間」という話になる。「顧客の人の心を理解する会社」でもいい。会社は個人の集合体なんだから、個人がダメなのに会社が立派。なんてことはないのだ。私が社長だから言うのではないけれど、集団として『優秀で強く明るく前向きなチームの一員でいたい』と思わないのか不思議だ。

 

そういうチームはぶら下がってる人がいたら出来ない。みんなが同じ気持ちじゃなきゃ。一人一人がチームを引っ張る自覚を持っていないと。正社員15人くらいの会社じゃないですか。これが何千何万も社員がいたら総和逝かないでしょうけれど、我々はそうなれるんですよ。そうしようではないですか。

 

 

在宅日記 第7回 美人薄命

2020年04月21日

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」

 

小説家、林芙美子の詩の一部。この部分だけをよく色紙に書いたそうです。貧しい家に生まれ昭和26年(連合軍占領下)に47歳で亡くなりました。この言葉を聞くと何だか世を嘆いているように聞こえますが逆なのです。短い命の中に一生懸命に生きているからこそ咲いている一瞬に他の人にはわからない幸せを見ることができる。原文の前後から、生き方からそう思います。

 

さて、私たちが苦しめば苦しむほど幸せを感じることができるには、ただ受け身で苦しい思いをするというのではなく、自ら努力している中で苦しさと出会って克服するということでなければなりません。

今度はヘンリーフォード1世です。

「ビジネスマンは、自分がやってきた古い方法に自己満足し、 そこから変化することができないために 敗北するのです」

これは全体会議でやってきました。君たち(弊社の社員)は、いま充足しています。

でもそれは勘違いです。過去の他人の苦労で成った実を今食べているだけなのです。

 

自分で生み出したものではない。しかし、

これからは自分で生み出した実を食べていかなければなりません。自分だけでなく他人をも食べさせていかなければならないのです。世の中は変化します。

 

自動車の生産に革命をもたらした ヘンリーフォード 「変化できなければ敗北が待っている」と言っています。

昨日のニュースを見た人もいるでしょう。

歌舞伎座前の お弁当屋さん「木挽町辨松」(こびきちょうべんまつ)152年の歴史に4月20日で幕を下ろしました。電気を消して店の前で頭を下げる店主の気持ちを考えると胸が痛みます。

 

出店していた百貨店の閉店、仕出しを取る習慣の減少、後継者不在とコロナによる歌舞伎座の休演、譲渡先を探すも見つからず廃業。もっと早く何らかの手を打てなかったのか。

外野が言うのも失礼ですが、本当に惜しい。企業として150年続くには、それなりの大きな価値があったはずです。

 

我々は、まだ30年経っていません、かつて企業の寿命昔は20年と言われていました。要は世代が変わるとき、従来のままのやり方も変化しなければいけないということです。

 

私(本間)たちがいなくなった時のことを考えてください。それでも20年30年先を見据えておかなければなりません。「美人薄命」「花の命は短くて」は、いずれも、その分輝きが大きいということです。人生そのものが短い、その一瞬に輝くには、理念をもち絶えず努力することが必要なのです。

 

 

在宅日記 第6回 月曜日 訓話

2020年04月20日

皆さんお元気ですか。元気だということは聞いているので安心しています。さて毎日コロナの話題で恐縮です。本当はこんな時こそ、もっと明るい話をしなければならないのですが希望を込めてコロナの話をします。

 

Chinaや韓国が正確な情報を出しているなら、ピークを越えて終息に向かっている。特に新規感染者が一桁なんていうのは良いニュースですが、ヨーロッパでピークを迎えていないところやアフリカなどは今後の懸念があります。アジア圏で最も封じ込めが成功したのは台湾で、その理由については指導者の決断と国民性に負うところが大きいと思います。昔の日本人的な良識ある人たちが多いのです。

一方の我が国ですが、戦後の分断工作によって一つにまとまれません。一つにまとまらないように洗脳教育されてきたのですから当たり前なんですが、一般民や芸能人、著名人などがSNSで政権批判していますが、ダメ政権でも自重して難局を乗り切れる人民じゃなきゃダメなのです。戦時になったらSNSだって機能するかわからない。何も情報なくても自分達で考えて、自分を家族を地域を国家を守らなきゃいけないんですから。

 

今我慢していることが成果を出してくれば光は見えてくると思います。いうも言うように、全員がやらなきゃ意味がないのです。一部の私だけは良いかというような行動。これは噂ですが(ネット上の)富山にコロナ持ち込んだ女子大生一家は引っ越す羽目になったとか。一人の行動が何千何万という人に影響しますから気を付けなければなりません。

5月の連休明けごろ埼玉県をはじめとする周辺地域の新規感染者が陰性になる人より少なくなっていれば、終息に向かっているということで、出勤とし、そのころトリオのGW出社組は代休を取ってもらって自宅で経過観察という予定を考えています。

 

今は世の中の行動がどちらの方向(収束か拡大か)に結びつくのか見守るしかありませんが、

くれぐれも業績は下げないように努めてくださいますよう、お願いいたします。

 

 

在宅日記 第5回 休日 新型コロナ情報

2020年04月19日

今日はお休みさせてもらいますよ。

今までは、来客やら何やらで実務の遅れを週末に取り返す、みたいなことを長くやってきましたが、これからは土日のどちらかは完全にお休みするようにします。

 

今回の新型コロナをきっかけに世の中(文明)は大きく変わるでしょう。モノ作りの価値は不変ですが、もっと効率を上げて時間短縮しないと。余裕なさすぎでしたからね。

なんで昔の人のほうが仕事できたと言われてしまうのでしょうか。現代の方が生産効率上がって当然なのに。パソコン使う仕事は効率上がったでしょうけれど、モノづくり、特に手作り物は落ちていますよ。職人仕事などは典型ですね。

 

在宅勤務で会社の業績が落ちなかった企業では出勤の必要あったのか?ということになるでしょう。在宅で仕事ができる人が増えます。弊社はともかく、都内は相当数、在宅やシフト出勤みたいなものが増えるでしょう。ますます地方と都市、ホワイトカラーとブルカラーの格差ができるかもしれません。ホワイトが良いという意味ではないですよ。ブルーの誇りを持ちましょう。仕組みも変わるけれど、産業や農業のあり方も変わるでしょう。日本はついていけるでしょうか?我々も含め日本人の質がねぇ。

コロナのことで言っておきますよ。新たな感染症の発生する間隔が短くなっているそうです。2002年、中国で発生したSARSは9ヵ月でほぼ終息。2015年に中東で発生したMERSは7ヵ月、これから先も新しいコロナが次々出てくるということ。なぜかわからないけれど、人間が森林破壊や地球破壊をしたことへの野生動物の仕返しかもしれません。

 

一方、大切なことを忘れています。日本で被害が少なかったからでしょう。MERSは未だに中東でクスぶっています。SARSもMERSもワクチンがいまだにできていません。ワクチンできる前に下火になってしまったので製薬会社も本気にならないからともいわれています。

 

SARSもMERS日本では感染症例なしでしたが、MERSは韓国に教訓をもたらしました。それでも感染者186人、死者38人です。これが今回の新型での対応の速さと行動制限を受け入れる強さに繋がっているのです。(いまだに朝鮮戦争の停戦中という体制もあるが)日本人も学ばなければなりませんね。

 

SARSとMERSが止められたのに新型コロナはなぜ拡散し続けるのか。それは、SARSとMERSは下気道で増殖するので強い咳をしないと外に出にくいのでサインが出るわけです。一方の新型は上気道に留まって放出するので無症状の人が拡散するステルス方式なのです。しかも判るのは2週間後。だから「うつらない・うつさない」 自分は感染しているつもりの行動が必要なのです。知識として社員のみなさんは知っておいてください。

 

 

在宅日記 第4回 いのち

2020年04月18日

皆さんお元気ですか。毎日行動記録書いていますね。
今日は雨です。風もかなり強くて木々が強くなびいています。 この雨がウィルスも流し去ってくれるとよいのですが、今日で日本の感染者も1万人を超えるでしょうね。
ただ、皆さんは過剰に恐れることはありません。感染者数が落ち着いたら 一度かかっておいたほうが良いくらいです。健康って大事ですね。いつも私が云う生活習慣病くらいバカバカしいものはないのです。生活変えれば予防できるのに なんでわざわざ病気の素を作るのか? 遺伝病でどうしようもない それこそ運命というものなら受け入れるしかありませんが、そうならないで済むのに、ねぇ。もったいないです。

かくいう私もコロナ感染しても、これだけベスト尽くして なるなら仕方ないというところまで予防に努めようとは思っていますが、完全に隔離して生きられるはずもなく。今日も下水のことで 水道屋さんと接触しましたが、この雨の中やむを得ず接近遭遇となってしまいました。

 

皆さんも、感染は仕方ないですが、万全を尽くしたうえで なってください。生活習慣も努力を尽くしてください。家族のため会社(チーム)のためにね。誰が欠けても、惜しい人にならなければだめです。いなくなっても影響ないようじゃ。自分が寂しいではないですか。

 

我が家では私よりワンコがいなくなったほうがダメージが大きそうですが。

昨日まで蕾だった 部屋のハイビスカスが2輪咲きました。この花の命は短いのできれいに開いているのは2~3日 すぐに落ちてしまいます。この木はもう10年くらいうちにあって黄色と赤色の花がつくはずですが黄色が多くなって赤い花はあまり咲きません。人は何で家に草花を植えたくなるんでしょうか。

 

やっぱりそこに命がある事を感じていたいんだと思います。水や光、肥料を上げたりしないと死んでしまいますものねぇ。花でさえ枯らさないように面倒みるでしょう。人間てそういうとことがあるのですよ。植物も人の話が分かるらしいし。何かで繋がっているんでしょうね。

 

頓首再拝。

 

 

在宅日記 第3回 運命

2020年04月17日

皆さんお元気ですか。日記と言っても毎日机に向かって仕事しているだけで日記にならないですね。昨日も書いたようにメッセージです。

 

よく自分探しの旅に出るという人がいますが、自分というものは見つけるもんなのでしょか。見つけられるものでしょうか。そんなものはどこかに落ちているものではないので見つかったつもりにはなっても見つかりはしないのです。

自分の人生、思い通りに生きている人ってどのくらいいるでしょうか。誰だって1年前には寄居に勤めてるなんて思っていなかったでしょう。そういうものです。所詮与えられたところでベストを尽くすしかないのです。昨日書いた事がすべて、与えられたと言いますが輪廻転生を信じる私としては偶然というものは一つもないと信じていますので全てが必然なのです。

 

サンエイという会社に集ったことも、結婚や出産だってそうです。誰が誰のところに生まれるということでさえ自分で決めたのです、人のせいにはできません。全部必然で集っているのです。会社や結婚も残念ながら、別れなければならないこともあるでしょう。

 

それでも、その場所にご縁がある限りは、そこでベストを尽くすのです。どんなにつまらない(と思える)役割でも、誰よりその役割をうまく果たすという意気込みが必要です。

人生はスタートラインから、どのくらいハンデや実力を持っていて、それを使ってどのくらい伸ばしたかということが最終的な成績になるのです。はじめから恵まれていている人は高得点から始めなければいけないし、努力しなくてもできてしまう人は、努力しなければできない人より同じことをしても点数が低いのです。要は、最終地点からスタートの引き算に、どれだけ努力したかを掛けた結果が人生の価値というものです。そういう意味で、恵まれずに身体や心にハンディがある人が、人並みの人生を送ったら大変な高得点になるわけです。何もハンディがない人はいないと思いますが、そんなことは関係ない、むしろそれを有難く受けてバネにする人の人生は美しく価値があるってことになるのです。