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日本神話 一旦整理
2022年10月10日
日本神話 一旦整理します。
日本の国柄の理念を記したのが「古事記」です。このブログの易しい古事記解説の一番初めの記事から読んでいただかないといけませんが単に歴史を記録したものではありません。
「記紀」と言われている「古事記」と「日本書紀」が何故同じ時代に2つ必要だったのでしょうか。これも以前書きましたが。共に天武天皇が西暦の680年ごろ同時期に編纂を命じたのです。記紀を別々の編者に命じ意味について今一度確認します。初回記事のほうが詳しいのでそちらもご覧ください。
『古事記』は稗田阿礼(ひえたのあれ)の口伝を太安万侶が[日本型紀伝体]で筆記したものです。音で残したもので誰も読めなかったものを江戸時代に「本居宣長先生」が当て字をし直して文書として残っています。本居宣長先生の翻訳(文字を当てた)の正しさは「宣長にまねぶ」(志を貫徹する生き方)を読んでいただければわかると思います。ですから今多くの古事記の解釈がある中で『言葉を文字で残した』ということを考えなければなりません。しかも近代になってからです。大和言葉も恐らく神代の言葉を現代人が聞き取ることはできないでしょう。ましてその意味を知るには音の持つ意味を知る「言霊学」というものが重要ですが、その重要性に気づいている人は少なくて多くの人は文字(漢字)の意味を辿ろうとします。
意味がないとは言いませんが「音」が重要なのであって漢字はあてたものだとすると本当の神話の意味を理解するには個の文字で読んでも意味がないことがわかるでしょう。大和言葉の音が現代人にわからない以上「この一文字にこのような意味があるからこの文字が語るのはこれだ」という解釈は成り立たないのです。

さて「日本書紀」は漢文で書かれていて意味も読み解けます。しかし当時の公務員が外国向けに書いたこの[編年体]の文章にどのような意図があるでしょうか。一種の外交文書で唐(China)が用いたような国際様式です。この文章は天皇の系譜や皇位継承の説明分のガイドブックなのです。歴史研究家が底本に「日本書紀」を持ってきた場合、そこに日本の正史(真実的な)や理念があると思うのは誤りです。

「邪馬台国」の王「卑弥呼」元字「臺」は「トゥ→ト」 伝聞で「ヤマト国のヒメミコ」 と書いたのだと思う
関連して「卑弥呼」と「邪馬台国」について私見を述べます。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』という3世紀のChinaの文書を何故そんなに奉るのか全く理解できません。そもそも『魏志倭人伝』という文書はなく、歴史書の『三国志』(フィションではないほう)中の魏書の項のごく一部にあるたった2,000文字の記載のことをいっているのです。
「倭」(これはのちに日本でも自国に使いましたが)「卑」弥呼と「邪」馬台国。これら「 」の字は何れも良い言葉ではありません。
これらの悪い言葉を日本人が伝えるはずがない(文字がない)のでChinaの人の伝聞を記録した文章なのです。これをあたかも正史としてみるのがなんとも違和感があります。「卑」(いや)しい「邪」(よこしま)な「倭」(わ)(弱々しい)という国と言われて喜んでいるのが可笑(おか)しいのです。
当時Chinaは他国は全て野蛮で劣るとみる中華思想(華夷秩序)の国柄なのです。しかし呼ばれた側の日本人がそれを歴史のロマンだなどと言ってしまうことには疑問です。「邪馬臺國」の当用漢字がないので邪馬台国です。
臺の字はトとChinaで発音したという説もあります。そのほうが私の考えには合います。日本人は皇子が男子の場合「彦御子」(ひこみこ)女子の場合「姫御子」(ひめみこ)と呼んでいました。大和の国(当時は)は文字がない当時Chinaで倭と書き「やまと」と呼んだと推測しますが「大和の国の姫御子」(やまとのくにのひめみこ)が伝聞で「邪馬台国」の「卑弥呼」になったのだろうと個人的は思っています。だから永遠にこのとこと証明できないでしょう。無いことの証明を「悪魔の証明」と言います。歴史上の悪魔の証明になってしまうのだと思います。
我が国に失望することはありますが自分の生まれ育った国を貶めようとは思いません。「卑弥呼」と「邪馬台国」は私にとって気持ちの良いものではありません。どうしてもそれらの存在を先に事実だとして、その歴史の証明を求めるのでしょう。私たちにとって必要なのは事実ではなく真実です。
日本神話の整理が違う方向にいってしまいました。
これまで書いてきた神話の世界は前後しましたが主に「高天原」(たかあまはら)についての事です。読み方は色々ありますが私は「たかあまはら」と呼んでいます。天地初発から天孫降臨までの天津神(あまつかみ)の語り、まだ天孫降臨(天照大神のお孫神が地上に降りる話)まで進んでいませんが、地上の話も並行しておこうと思います。高天原のみが神話ではありません。主役の地は「豊葦原千五百秋之瑞穂国」(とよあしはらちいほあきのみずほのくに) 短く言うと他に葦原中国、中津国、瑞穂国、その他たくさん呼び方が出てきますが日本の人間界です。人間界とはいっても日本では皆、神の子孫なので地上とでもいいますか。「葦原中国」(あしはらなかつくに)
そう、だから中国は日本を示す言葉なので使い分けをしています。私は。
神話の大切なところは、そこに大和民族の理念と眞實が書いてある。祈るような信念の想いが書いてあるということです。何とありがたい事か我々はそれを捨てることも改竄することもなく残してきた世界に稀な民族です。神の系譜天皇という存在も戴いています。まだ残っているこの奇跡的な歴史を閉じようとする動き、軽視する現代人の何と多い事か。もったいない。先日、「宗教法人に課税を」とヤフコメしたら4万を超える反応がありました。地方の神社仏閣がなくなると。文化財は別にして、保護してもらわないとならない程、神道が廃れてしまったということでしょうか。日本人の基であり帰結先でもある神道。その程度の事でなくなってしまうほど脆弱になってしまったとしたら大和国が守れるはずがありません。
神話に戻ります。
これまでも繰り返し述べているように、拙著ブログは私の浅薄な知識と思い込みで書いています。興味を持ったら自分でもファクトチェックしましょう。
日本神話(20)のとおり 天照大御神の「天の岩屋戸隠れ(籠り)」の危機を神々が力を合わせて明るい方法で脱しました。高天原にも葦原中国にも光と希望が戻ります。つまり高天原(天上)と葦原中国(地上)は連なっているということです。危機を脱した後は事を起こした責任を取らなければなりません。日本神話(21)建速須佐之男命 御被避(みやはらえ)のくだり。ここまでで記事が止まっていました。

宮崎県高千穂町 天安河原(仰慕ヶ窟)天岩戸籠りの地 天手力男神が投げた岩戸は長野県「戸隠山」へ飛んだ
もう一度日本神話(21)建速須佐之男命 御被避(みやはらえ)のくだりを読んで追記したいことがあります。日本は火山列島であり気象的にも天災が非常に多い国柄です。その中で人々は生活を営んできました。現代に於いても様々な困難に逢うたび世界から日本人の優れた対応能力が称賛されますが、これはやはり自らが育んだ神話にも書かれている理念の表れということができます。御被避のくだりで大宜津比売神が殺された後に生まれた稲、麦、小豆、大豆、粟、蚕は、いずれも後の日本の主要産業であり生命線です。これが一柱の神による一柱の神の死から生まれるということ。非常に示唆深いものがあります。

日本でなければそのような神話は生まれにくいと思います。死ぬことからより大きいものが生まれる。大災害に遭ってなお希望を失わずに復興できる力が日本人に備わっているということが書かれています。
今私は少し心配しています。日本人のその復興の力が他力本願になっているのではないかということ。これは戦後の占領方針WGIPとも無関係ではありません。占領目的の一つは神国日本を再び立ち上がらせないこと。スイス民間防衛の手引書にもある武器を使わない侵略です。目的達成の為、占領軍は神道を国民から遠ざけ神道のトップである天皇の役割を変えました。今でも国の防衛さえ他国に依存し自らが国を守る力を持てません。日本の制空権を日本は持っていません。そんなことで東日本大震災を大きく超える災害に襲われたとき。過去の日本人のようにそれを受け入れバネにしてよりよい社会づくりにつなげられるほどの気力が現代日本人にあるでしょうか。「神話を忘れた民族」と検索エンジンに打ち込んでみましょう。
「神話を捨てた民族の末路」が目に見えるようになってきました。ガス、水道、道路、電気等の生活インフラの維持さえ外国に頼ろうとしている今の日本人には、古事記が語る日本人の理念。それを理解して継承することが第一なのです。人間が一代限りのものなら私のこんなブログには意味がないのです。悠久の歴史のつなぎ手として義務感をもって書いています。保守というのは外国に向かって威勢のいい態度をとることではありません。国柄に相応しい行動をとることです。
ここで再度神々の系譜と位置関係について記したいと思います。ここに書いた表はあくまで私見です。
特に根堅洲国と黄泉国の位置関係については諸説あります。


ここから、「天孫降臨」「国譲り」「神武天皇東征」と続く お話は戦前は誰もが知っている常識でした。
「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」「海幸彦と山幸彦」いずれも葦原中国を舞台とした神話ですが、私たちでさえ「グリム」や「アンデルセン」「イソップ」の童話で教育された世代です。
グリム兄弟(ドイツ)アンデルセン(デンマーク)英名イソップ(ギリシャ)も素晴らしいお話ですが日本が舞台ではありません。八百万(やおよろず)の神々も出てきません。
新渡戸稲造はドイツ留学時にベルギーの法学者ド・ラブレー氏に「宗教を教えない日本でどうやって道徳教育ができるのか」と問われ「武士道」を書きました。武士道はChina由来の儒学や陽明学というものを多く取り入れていますが根底には神話があるのです。神道の基礎の上に儒学や陽明学を学び「武士道」が開花したと私は考えます。
日本にも、かつて誰もが先人から聞き継がれた御伽噺(おとぎばなし)があったのです。その中には古事記の神話を基にした。或いは変化させた話がたくさんあり。そこには神話の理念(エッセンス)が入っていました。舞台も当然日本です。日本人の生き方を導く日本人のためのお話です。このブログの今後の記事の幾つかも「御伽噺」的な書き方になっていきます。「ヤマトタケル」はもう書いてしまいましたが。では、また改めて。
日本神話 悲運の皇子 倭建命(ヤマトタケルノミコト)日本武尊
2022年02月06日

もっと後に書こうと思っていましたが敢えて日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のお話しです。日本武尊と郷土の物語の2本立てです。まず初めに本稿は記紀(古事記/日本書紀)の中で皇子の御名も地名も場所も年代も若干のズレがあって説が定まっていないこともあることをご理解ください。
以前も書きましたが古事記は日本人用、日本書紀は海外主にChina向けであること。ともに40代 天武天皇の時代に編纂が始まったこと。私は学者でも研究者でもないこと。真実と事実は異なり私は真実のほうを大切にしたいと思っていることを記しておきます。
ここからは日本書記の日本武尊という字を用いていきます。知らないことをいつ気づいても問題はありません。今知ったって昔から知っていたって価値は同じです。知らないまま知ろうとしないことを恥ずるべきです。私は高校生の時オートバイ大好きで教室にポスターを貼っていました。壁3面がオートバイのポスターで埋まるというすごい環境でした。オートバイで主に埼玉/群馬/長野を走っていました。武尊(ホダカ)山//吾妻郡嬬恋村/旧碓氷(ウスイ)峠/秩父/長瀞等のルートはよく行きました。これも以前書きましたが熊谷に住んでいて何故航空自衛隊が熊谷にあってその近くに御稜威ケ原なる地名があるのか高校生の時には深く考えませんでしたがオートバイで走っていたルートの地名にも何か引っかかるものがありながらも深く考えることはありませんでした。
さて、日本武尊のお話です。(日本書記は天皇を海外に紹介する面があるので書かれ方が古事記と違います)
日本武尊は12代 景行天皇の数多く(80人といわれる)の子の第2子。大碓(オオウス)命の弟である小碓(ヲウス)命(後の日本武尊)に命に従わない兄を諭すように言われるのですが小碓命は兄を殺害してしまいます。景行天皇は小碓命に危険を感じて自分から遠ざけようと九州南部の討伐を命じます(この過程で熊曾健から倭建命(日本武尊)の名を受ける)難なく出雲まで平定して大和(やまと奈良県)に帰ります。これが日本武尊の征西です。しかし今度は直ちに東十二国の征伐(東征)を命ぜられます。きっと父(景行天皇)は自分に死んでほしいのだなと感じた日本武尊は悲しみますが叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に励まされ天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ(須佐之男命がヤマタノオロチの尾から取り出した剣)と小さな袋を授かって旅立ちます。駿河の国(静岡)で国造に焼き殺されそうになった時。天叢雲剣で草を焼き払い逆に袋に入っていた火打石で相手に火を放ち返討ちにします。これよりこの地を焼津とよび剣も草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになります。
この東征に同行していたのが后の弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)です。走水海(浦賀水道)を渡るとき海が荒れ船が転覆しそうになります。

弟橘比売命は皇子が天皇の務めを果たすため自らが入水して海の神を鎮めます。無事に船が渡った7日後に弟橘比売命の櫛が浜で見つかります。
『さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の火中に立ちて 問ひし君はも』 弟橘比売命が入水時に詠んだ辞世の歌
(相模野で火に囲まれたとき火中に立って私を気遣ってくださったあなたがどうかご無事でありますように)
この危機を乗り切った日本武尊は東夷十二国を平定した帰路の碓氷峠で霧で道に迷った際に八咫烏が現れ紀州熊野の梛木(ナギ)の葉をくわ先案内し山頂に着きました。日本武尊は碓氷峠の山頂から相模灘で荒波を静める為に海中に身を投じた弟橘比売命を偲び「吾嬬者耶(アヅマハヤ)」(ああ、いとしき我が妻よ)と三度繰り返し叫びます。この由来により碓氷峠には群馬長野にまたがる珍しい県境鎮座の熊野神社があります。また群馬の嬬恋・吾妻(あずま)・霧積 ・武尊(ほたか)山等の地名も古事に縁のあるものなのです。
更に地元埼玉秩父の三峰神社の由来は碓氷峠に向かう途中三峯山に登り山川の美しい様子から国生み二神(伊邪那岐命/伊邪那美命)を偲んでお祀りしたのです。この時道案内したのが狼(山犬)であったとされ神様の使いとして一緒にお祀りされています。(絶滅したニホンオオカミは秩父で生きているという伝説もあります)

もっと会社に近い長瀞の宝登山でも山火事にあった際、巨犬に助けられたという伝説から巨犬(山犬=おおかみ)を大口真神として祀っています。山名もこの逸話から「火止山」=「宝登山」となったといわれ三峰神社とともに狛犬は犬の形をしています(獅子形ではない)。後に景行天皇も日本武尊が平定した東国を巡幸されたということです。


日本武尊は東征から大和を目指す途中、美夜受比売と結ばれますが古(いにしえ)の習慣ですから弟橘比売命への愛には変わりはないのです。近江の伊服岐山の神に受けた傷がもとで日本武尊は命を落とします。あともう少しで大和に帰れるのに。故郷に愛されなかった日本武尊の気持ちはどんなものだったでしょうか。
『倭(やまと)は国のまほろば
たたづなく青垣山隠(ごも)れる 倭しうるはし』
(やまとのくには最もよい国である重なり合った青い山々が前後するやまとは美しい)
日本武尊 辞世の歌です。
(辞世の歌とは最期の歌であり出征死したたくさんの人も残しています日本人の習慣みたいなものですね)
日本武尊の魂は大きな白鳥となって能褒野(のぼの)を飛び立ち河内の国の志幾に地に降りたので御陵(みはか)を造り魂を鎮めました。その御陵は「白鳥(しらとり)の御陵(みささぎ)」といいます。
日本武尊の物語は大和朝廷の真実の記録です。これからは事実現実の世界のお話に入ってまいります。
10代から21代の天皇の系譜を貼りました。大事なのは直系の嫡子で継承しているわけではないということです。男系男子の継承が例外なく行われており
これは初代神武天皇から126代 今上天皇まで2682年間一度も原則を外れたことはありません。

さて景行天皇の悲劇の皇子である日本武尊。13代 成務天皇は景行天皇の第4子ですが日本武尊とはお母様が違います。14代 仲哀天皇は日本武尊の皇子、更にその御子は私がそこまでは書こうと思っている15代 応神天皇、諱(いみな)は譽田天皇(ほむたのすめらみこと)八幡神社の御祭神です。お母様は最も有名な皇后、神功皇后です。16代 仁徳天皇以降は風土記などの史実との一致が多くなっていきます。21代の雄略天皇のころ大和の勢力範囲は日本武尊の治めた東北から九州までに拡大していることが証明されるようになってきました。
私たちに縁の深い埼玉県行田市に埼玉(崎玉サキタマ)という地名があり埼玉の地名の基と言われています。埼玉古墳群という関東最大の古墳群9基の古墳が残っています。おそらく古代はもっと多くの古墳が同時期に存在していたでしょう。丸墓山古墳は円墳、それ以外の8基は前方後円墳であることから大和朝廷との関係は昔からあるといわれてきました。その中の稲荷山古墳から1968年に出土した副葬品 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)は出土10年後X線検査をしたところ剣身に表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が金象嵌で刻まれていることがわかりました。年号は西暦で書いてありませんから辛亥年の解釈は西暦471か531年かですが、書かれている獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ)が日本書記から雄略天皇のことだと推察されています。いろいろなことがつながってきたので仕上げに入りますが私の若いころからの郷土の由来が少しずつ繋がってきました。12代 景行天皇の御代で東北から九州までを平定した大和朝廷は21代 雄略天皇の時代に古墳時代のピークを迎えたのだと思います。


銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)という剣も明治期に発掘されて国宝指定されています。こちらには銀75文字の銘文が刻まれています。一部判読不明な部分がありますが後に発見された金錯銘鉄剣の読み方からやはりワカタケルと書いてあることがわかりました。雄略天皇のことですね。双方の剣に雄略天皇の朝廷に仕えたことが書いてあるということはそういうことです。銀象嵌銘大刀が出土したのは熊本県玉名郡和水町江田船山古墳です。
埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)
熊本県玉名郡和水町江田船山古墳から出土した 銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)
埼玉県と熊本県が繋がったでしょう。私は古のご縁を感じざるを得ません。もう1800年以上前には同じ文化文明で結ばれていたわけです。私たちと同じ暮らしをあなたたちもしていたんですね。こんなに離れていても。そして郷土地域にはそれぞれに神話とつながった地があります。神話と歴史が一つにつながっていているということが他国に類を見ないことであるという事実。日本人として大事にしなければなりませんね。
日本神話 番外 「たったひとつのきまりごと」
2021年08月28日
また前回の更新からだいぶ時間が経ってしまいました。本年度もサンエイは無事に決算を迎えました。隠身(かくりみ 神の語源とも)と皆様の御陰様でございます。ありがとうございます。直下私共の製造業は大変な部品不足に陥っており来期(30周年記)は厳しいものとなりそうです。部品不足の原因は様々ですが大雑把に申しますと
①製造のグローバル化によって大手企業の資材調達が世界的になったことで一つの製品の部品を何カ国に渡っているためロックダウンした地域で生産した部品が遅延し全体の数%の部品が入荷しなくても製品として完成しない。
②半導体不足という政治的な生産力の不備がもたらした構造的な問題。のようです。通常1か月程度で入る部品が半年、10か月、1年とかかるようになってきました。今後1年以上、景気押し下げ要因になると思われます。
日本のグローバル化を掲げた小泉竹中政治の結果
「今だけ、金だけ、自分だけ」という本来日本にない価値観が生んだ弊害です。毎度登場の渡辺京二著「逝きし世の面影」の中の日本人からはそんな価値観全く感じられません。「晴天を衝け」で描かれている渋澤栄一もまた
「後世のため、お金を超える価値を、公共のために」と常に思い続けています。明治を生きた日本人の多くは悠久の歴史を持つ日本ならではの心を持っていたのだと思います。もちろん我欲が悪いことではないし当時も「自己中心志向」の人もたくさんいたでしょうけれど割合の問題と国を動かすような大志と使命を持った人たちの中に「真の公共の幸福の追求」という心理があったと思います。
「真の」というところが問題です。「幸福とは何か」今までも述べてきましたが、何も努力なしに悠々と生きられることではありません。丁度パラリンピックが開催されておりますが、どんな障がいをもっていてたとしても(私は人は皆障がい者であるという意味において障害者はいないと思っていますが)生長する喜びを自ら得られる。或いは人に与えられることが「真の幸福」だと考えています。
「逝きし世の面影」挿絵

江戸時代の「おもてなし」 宿に着いた旅人の足を洗い飲みものを出す。
「逝きし世の面影」挿絵

杖から盲人の按摩師と思われる。 身なりと街への溶け込みが大変自然だ。
前置きが長くなりました。この日本人思考の根本はその理念が記されている最古の書「古事記」だと思います。大東亜戦争以降「敗戦利得者」により日本の教育が明治から戦前の歴史を否定的に捉えています。しかし本当は当時の日本人が一番その理念を発露させた時代であったのではないでしょうか。
この度インターネットで「神道政治連盟青森県本部」が6月に発行した小冊子「たったひとつのきまりごと」を知りクリアファイルと共に300冊購入して社員と来社した皆様に差し上げています。1冊30円とても安価です。この冊子の内容は「皇統は万世一系の男系男子に限る」ということが「たったひとつのきまりごと」ですよ。ということが易しく書いてあります。(日本書紀の内容を多く引いているようです)
この件については「男系女子」「女系男子」「女系天皇」「女性天皇」の意味が良く理解できていない多くの国民にとって良い冊子であると同時に今年が「皇紀2681年」であり今上陛下が「126代天皇」であることを知らない(昔では考えられないことなのですが)人に実際は今でも皇室と共に日本人があるのだということが感じられると思います。
小冊子「たったひとつのきまりごと」

クリアファイル「ご歴代天皇系図」

神話から連綿と続く万世一系の皇室を持つ国に生きている事実を知ればそれだけで幸せという人もいるでしょう。皇統の危機は何度かありました。そのたびに先人は智慧と努力で紡いできたのです。史実としても一千年以上継続している世界に類のない皇統を私たちの代で「断絶することは許されない」と常々申している意味が当小冊子から解ると思います。PDF版も用意されていますが安価ですので1冊お手元に置き読んでみることをお勧めいたします。
冊子をお渡しした多くの方が「こういうものに興味はあったが知る機会がなかった」と仰います。教育は大切であると同時に怖いものです。
先の敗戦でも守られた一千年を超える国体が今、内外からのサイレントな侵食を受け絶たれる危機にあることを
一人でも多くの日本に住む人々に知っていただきたいと思います。
日本神話 補足 神蚕
2021年01月10日
神産巣日命から授けられた稲・粟・小豆・大豆の五穀(古事記による)のほかに唯一の動物である蚕について書いておきます。きっかけは、ある印刷物に載っていた記事を読んだことです。記事によると小学校で蚕の体験飼育をしたのですが幼虫が全てが死んでしまい教師がゴミとして捨てたという記事でした。これがなぜ記事になったのかというと神社で配った印刷物だったからです。起ったことは「飼っていた芋虫が死んだから捨てた」それがどうしたということかもしれませんが、日本人にとっては大事件なのです。

私が子供のころ家の周りは桑畑だらけでした。今は桑の木などなくなりましたが養蚕の盛んな土地柄だったのです。日本人は神話とともに養蚕も捨てました五穀もどこまで守れるかわかりません。日本以外でも養蚕は行われますが日本では神話で神に授けられたとされるほど大切なものであり昆虫で唯一家畜化された生き物です。ヤママユ蛾科ですのでもともと成虫は羽化してからは食べることをせず繁殖のための1週間程度の命です。
千年以上、家畜化されたことで幼虫では桑の葉につかまる力がなくなりました。よって養蚕農家では広く桑の葉を寝かせて置きます。小学校で死なせてしまったのは桑の葉を立てておいたためのようです野生では生きられない昆虫なのです。
蚕は繭を作って羽化してしまうと糸を紡ぐことができないので生きたまま茹(ゆ)でられます。糸を紡ぎ死んだ蛹(さなぎ)は食用か他の動物のえさにします。繁殖のために成虫にしても殆ど飛ぶことも出来ません。人間に命を捧げるために生まれてくるのです。
養蚕農家では「お蚕様」「お蚕さん」と呼び大切に育て各地で供養もしています。学校の教育目的は何だったのでしょう。蚕と日本人の関係と性質も教えず、ただ飼うなら命の無駄です。「一寸の虫にも五分の魂」という言葉を日本人は忘れてしまったのでしょうか。日本という島国に生まれたから日本人なのではないのです。日本人を育てないと日本人にはならないのです。日本が心配、DNAだけの日本人ではだめです日本文化が大好きで文化や伝統を守っていこうとする外国人に住んでいただいたほうが良いと思うくらいです。
飛躍しますが皇族も生まれながらにして皇統を継ぐにふさわしい資格をもって生まれてくるのではないことが秋篠宮家をはじめわかってきました。教育が大切です。少しでも日本の神話を知ってもらいたいと思って書く身にとって、日本の祭司の皇大神宮の本家があの状態では心もとない限りです。誰を信じればよいのですか。上皇陛下の教育係はGHQに派遣されたエリザベスヴァイニングです。以降宮内庁の方針も戦前のものと明らかに違います。戦前の日本が間違っていたと言っていたアメリカを見てください間違っていたのは彼らかもしれないし後追いの現代日本も危険です。
日本神話(21)神やらひ 穀物・お蚕の祖
2020年04月19日
さて、天照大御神が天の岩屋戸からお出ましになり、高天原(天上界)も葦原中国(地上界)も明るさが戻りました。今のコロナ禍の世界も早く天照大御神のお出ましが待たれます。一方の須佐之男命はどうなったのでしょう。
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是(ここ)に八百萬(やおよろず)の神、共に議(はか)りて、速須佐之男命(はやすさのおのむこと)に千位置戸(ちくらおきど)を負(お)おせ、亦鬚(またひげ)を切り手足の爪をも抜(ぬ)かしめて、神(かむ)やらひやらひき。又食物(また おしもの)を大氣都比売神(おおげつひめのかみ)に乞(こ)ひたまひき。爾(ここに)に大氣都比売、鼻口また尻より、種種(くさぐさ)の味物(たなつもの)を取り出でて、種種(くさぐさ)作(つく)り具(そな)へて進(たてまつる)る時に、速須佐之男命、其(その)の態(しわざ)を立ち伺(うかが)ひて、穢汚(きたなき)もの奉進(たてまつ)ると爲(おも)ほして、乃(すなわ)ち其(そ)の大宜津比売神を殺したまひき。故殺(かれ ころ)さえたまへる神の身に生(な)れる物は、頭(かしら)に蚕(かいこ)生(な)り、二つの目に稲種(いなだね)生り、二つの耳に粟(あわ)生り、鼻に小豆(あずき)生り、陰(ほと)に麦(むぎ)生り、尻(しり)に大豆(まめ)生りき。故是(かれここ)に神産巣日御祖命(かみむすびみおやのみこと)、茲(これ)れを取らしめて種(たね)と成(な)したまひき。
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須佐之男命 御被避(みやはらえ)のくだり

一般的に須佐之男命は高天原から追放されたとされています。「ひげを切りて足の爪を抜かれて神やらいされた。」と書かれているのですからそう受け取られますが、これはある意味卒業というものに近いと私は考えます。もう髭も爪も必要ないので「海原を知らす」ために旅立たせた。ということです。
そして大氣都比売神に食べ物を乞うのですが書き下しにあるように殺してしまうのです。しかしそこから日本人にとっても大切なものが次々生まれてくるわけです。ここのとろこも日本人以外は到底理解不能な、ただの残酷物語にしか聞こえないと思います。
しかし、日本人には死して尚生きる(死以上に価値のあるものを生む)という死生観みたいなものがあるのです。去ってもっと貴いものが新たに生まれる。造化三神である神産巣日神(かみむずびのかみ)が、そこから生まれたものを種となした。(すべてのものの元と成した)ということで、ここから主に穀物と、御蚕様(おかいこさま)が生まれたのです。稲作や養蚕等 農業のはじまり。日本の生活文化の素です。
私の地元では昔、それは養蚕が盛んで家の周りじゅう桑畑だったものです。農家の皆さんは本当に「お蚕様」と呼んでいました。人のために命を投げ出してくれるということと、天上界から伝えられたという意味が込められていたのですね。今になってわかります。それが外国の安価な絹に押されてあっという間に廃れてしまいましたが、上皇后陛下が養蚕を古来種で行っておられたように日本人にとって養蚕とは利益に関係なくやっていかなけれなならないことなのではないですか。それを簡単に捨ててしまうことは畏れおおいことだと私は思います。ある意味、日本そのものの一部を捨てたといってもよいくらいです。
伊邪那美命が神避り坐(ま)したときも吐瀉物や排泄物から神々が生まれました。その時生まれた和久産巣日神(わくむすびのかみ)の子(みこ)が豊宇氣毘売神(とようけびめのかみ)。天照大御神をお祀りする伊勢神宮の外宮に鎮まります。
食物を司る神という意味の御饌都神(みけつかみ)であり、外宮のみにある御饌殿(みけでん)では、(みけ=御食=食べ物のこと)毎日午前8時から午前9時までにかけての朝大御饌。午後3時から午後4時までにかけての夕大御饌の毎日2回、天照大御神をはじめ、豊受大御神、各相殿神(あいどののかみ)、各別宮の神々に大御饌(おおみけ)を捧げています。
このお祭りは「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」といい、禰宜(ねぎ)1名、権禰宜(ごんねぎ)1名、宮掌(くじょう)1名、出仕2名により奉仕されています。1500年以上も欠かすことなく、太古の方法で火を熾し土器を使って調理してお供えします。
大氣都比売神(おおげつひめのかみ)と豊宇氣毘売神(とようけびめのかみ)は古事記にのみ書かれている(外国向けの日本書紀には書く必要がなかった)穀物神です。大切な日本の生活文化・食文化の祖の神なのです。
本日はここまでと致します。
日本神話(20)天の岩屋戸隠れ 本当は天の岩屋戸籠(こも)り
2020年03月21日
天の岩屋戸隠れのくだりは、隠(かく)れるという言葉が定着してしまっている感がありますが、これは本来の意味は籠(こも)るです。天照大御神が驚いて隠れたというのは間違いというより少し理解が浅いと思います。闇は闇というものがあるのではなく光の不在だというのは、谷口雅春先生の言葉ですが、天照大御神は自らのお考えで岩屋戸にお籠りになったのです、これは光の不在、闇の中で様々な禍(わざわい)が出現します。今もコロナ騒ぎでだんだん世の中が暗くなっており光が遮られようとしています。光の不在の状態に近づきつつあります。さて、神々はどんな方法で この危機を乗り越えたのでしょうか。参考になります。

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是(ここ)を以(も)て八百萬(やおよろず)の神 天安之河原(あめのやすのかわら)に神集(かむつど)ひ集(つど)ひて、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の子(みこ) 思金神(おもいがねのかみ)に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集(つど)へて鳴かしめて、天安之河の河上(かわら)の天堅石(あめのかたしわ)を取り、天金山(あめのかなやま)の鐵(かね)を取りて、鍛人天津麻羅(かぬちあまつまうら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に科(おお)せて鏡を作らしめ、玉祖命(たまのやのみこと)に科(おお)せて、八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の玉(たま)を作らしめて天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)を召びて、天香山(あめのかぐやま)の眞男鹿(まおしか)の肩を内抜(うつぬき)きに抜きて、天香山(あめのかぐやま)の天波波迦(あめのははか)を取りて、占合(うら)へ麻迦那波(まかなわ)しめて、天香山の五百津眞賢木(いほつまさかき)を根許士(ねこじ)に許士(こじ)て、
上枝(ほつえ)に八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流の玉(みすまるのたま)を取り著(つ)け、中枝(なかつえ)に八咫鏡(やたのかがみ)を取り繋け、下枝(しずえ)に白丹寸手(しろにぎて)青丹寸手(あおにぎて)を取り垂(し)でて、此(こ)の種種(くさぐさ)の物は布刀玉命(ふとたまのみこと)布刀御幣(ふとみてぐら)を取り持たして、天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀詔戸言祷(ふとのりとごとね)ぎ白(もう)して、天手力男神(あめのたじからおのかみ)、戸(みと)の掖(わき)に隠(かく)り立たして、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)天香山の天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)に繁(か)けて天之眞拆(あめのまさき)を鬘(かづら)と為(し)て、天香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐあ)に結(ゆ)ひて、天之岩屋戸(あめのいわやど)に汙気伏(うけふ)せて、踏(ふ)み登抒呂許(とどろこ)し、神懸(かむかがり)為(し)て胸乳(むなじ)を掛(か)き出で、裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂(た)れき。爾(かれ)高天原(たかあまはら)動(ゆす)りて、八百萬神(やおよろずのかみ)共(とも)に咲(わら)ひき。
於是(ここに)天照大御神(あまてらすおおみかみ)怪(あや)しと以為(おも)ほして、天岩屋戸(あめのいわやど)を細めに開きて、内より告(の)りたまへるは、「吾(あ)が隠(こも)り坐(ま)すに因(よ)りて、天原自(あまはらおのず)から闇(くら)く、葦原中國(あしはらなかつくに)も皆闇(みなくら)からむと以為(おも)ふを、何由以(なにとかも)天宇受賣(あめのうずめ)は楽(あそび)し、亦(また)八百萬神(やおよろずのかみ)諸咲(みなわら)ふぞ」とのりたまひき、爾(すなわ)ち天宇受賣(あめのうずめ)、「汝(な)が命(みことに)に益(ま)さりて貴(とうと)き神(かみ)坐(いま)すが故(ゆえ)に、歓喜(よろこ)び咲楽(えら)ぐ」と言(もう)しき。如此言(かくもう)す間(あいだ)に、天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)其(そ)の鏡(かがみ)を指(さ)し出(い)でて、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に示(み)せ奉(まつ)る時に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)愈奇(いよいよあやし)しと思(おも)ほして稍戸(ややと)より出(い)でて臨(のぞ)み坐(ま)す時に、其(そ)の隠(こも)り立てる天手力男神(たじからおのかみ)、其(そ)の御手(みて)を取りて引(ひ)き出(いだ)しまつりき。即(すなわ)ち布刀玉命(ふとたまのみこと)尻久米縄(しりくめなわ)を其(そ)の御後方(みしりえ)に控(ひ)き渡して「此(ここ)より内(うち)にな還(かえ)り入(い)りましそ」と白言(もう)しき。
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天の岩屋戸のくだり
あらゆる神々(八百萬)が天安之河原に集まって対策会議を開き、ここは造化三神(一番初めにご登場の姿のない神様)高御産巣日神の子(みこ)知恵の神でもある思金神(日本書紀では思兼神)(おもいがねのかみ)に御指導いただこうということになりました。その内容とは。
- ①常世の長鳴き鳥を集めて鳴かせる(夜明けをおもわせる)
- ②天金山の鐵(かね)で鏡を作る(八尺鏡 皇室の三種の神器現代に伝承)
- ③八尺勾璁の五百津の美須麻流(みすまる)の玉(たま)を作る(八尺勾璁 皇室の三種の神器現代に伝承)
- ④天香山の五百津眞賢木(いほつまさかき)を根っこから持ってくる
- ⑤上枝に美須麻流の玉 中枝に鏡 下枝に白・青の和幣(にぎて)を垂らす
- ⑥鹿の肩甲骨を焼き割れ目の模様で占なう(答え合わせと確認の儀式)
- ⑦天児屋命布刀詔戸言祷(ふとのりとごとね)ぎ白す(祝詞をあげる)
- ⑧天手力男神を岩戸のわきに隠れ立たす
- ⑨天宇受賣命が小竹葉を手に天之眞拆を鬘に神懸りし胸もあらわに踊る
- ⑩八百萬神がそれを見て愉快に笑う
天照大御神は外の様子がおかしい、高天原(天上界)も葦原中國(地上界)も光の不在の状態なのにこのにぎやかさは何。とお思いになります。お籠で御自らの御立場についても整理がついたのでしょう。ちょっと戸を開けて聞いてみます。「天上開も地上界も暗いはずなのに天宇受賣は楽しそうに踊り八百萬神は笑っているのか」と、天宇受賣は答えます「天照大御神様に遜色ない貴い神様が お出ましになったので歓んでいるのです」その時、天児屋命、布刀玉命が鏡を差し出します。どんな神様だとさらに戸を開いて覗こうとしたとき天手力男神が御手を取り岩屋戸よりお出ましになったのです。岩屋戸は天手力男神が放り投げて戸隠山(長野県)に当たって山が今の形になったという伝説があります。尻久米縄を引き渡したことが注連縄(結界縄)の起源とも言われています。
ということで、天上界、地上界とも光が差し込んだことで闇が駆逐され、すべてが明るく生き生きと復活した次第です。思金神、天宇受賣命は後でまた御出ましになります。
中村天風先生の言葉にも「人生あまり難しく考えなさんな。暗かったら窓を開けろ、光がさしてくる」というのがあります。光は元々射しているのです。それにカーテンや戸を立てているのは私たちのほう。暗い時こそ明るく前向きに取り組むことの必要性がこの神話によって諭されていると思うのは私だけでしょうか。
新型コロナウィルスの影響が世界中で大変なことになっています。これからの状況読めませんが、私たちは今回紹介した神話を戴き、日清・日露・大東亜、隠忍自重・臥薪嘗胆の先祖を持つ民族であることを忘れているでしょう。思い出しましょう。こんな時こそ天照大御神の御出ましを待ちましょう。ちょっと日が陰っていますが、その上には常に燦燦と太陽が照り輝いているのです。明けない夜はないのです。
日本神話(19)かちさび/詔(の)り直(なお)し/天の岩屋戸隠れ(序)
2020年03月07日
建速須佐之男命は清明心(せいめいしん)が手弱女(たわやめ)=たおやかな三女神を生んだので私の勝ちだとお考えになったのですが、そこに天照大御神のお力もあるということには思いが到らなかったのです。
一般的に 須佐之男命に起ったこの御心を勝佐備(かちさび)として慢心のような意味にとられがちですが、私は自信(確信)をもったというニュアンスだと思います。その確信がその後の行動を過激にするのですが、元々、御名の通り力強く行動力のある神様ですから、その探求心が自信を持った場合、高天原の神々には大変乱暴な行いに見えたのです。
建速須佐之男命の探求は、父神、伊邪那岐命から授かった「汝が命は、海原を知らせ」という御言葉に通じます。海原とは地上世界である葦原中国(あしはらのなかつくに)のことです。地上界で役に立つ研究をなさっていたということです。
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爾(ここ)に速須佐之男命 天照大御神に白(もう)たまわく 「我が心清明(こころあか)きが故(ゆえ)に、我が生めりし子(みこ)手弱女(たわやめ)得つ。此(これ)に因(よ)りて言(もう)さば、自(おのづか)ら我勝(われか)ちぬ」と言ひて、勝(かと)ちさびに、天照大御神の営田(みつくだ)の阿離(あはな)ち、溝埋(みぞうめ)、亦其(またそ)の、大嘗(おおにえ)聞(きこ)し看(め)す殿(との)に屎(くそ)まり散(ちら)しき。
故(かれ)然(し)か為(す)れども、天照大御神は、とがめずして告(の)りたまわく、屎如(くそなす)は、酔(よ)いて吐(は)き散らすとこそ、我(あ)那勢命如此爲(なせのみことかくし)つらめ。又田の阿離(あはなち)溝埋(みぞう)むるは、地(ところ)をあたらしとこそ我(あ)那勢命如此爲(なせのみことかくし)つらめと、詔(の)り直(なお)したまえども、猶其(なお)その悪(あ)しき態(わざ)止あ(や)まずて、轉(うた)てあり。
天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(ま)しまして、神御衣(かむみそ)織(お)らしめたまう時に、其(そ)の服屋(はたや)の頂(むね)を穿(うが)ちて、天斑馬(あめのふちこま)を逆剥(さかは)ぎ剥(は)ぎて、堕(おと)し入るる時に、天衣織女(あめのみそおりめ見驚(みどおどろ)きて、梭(ひ)に陰上(ほと)を衝(つ)きて死(みう)せにき。
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須佐之男命 荒備(あらび)のくだり

天照大御神の営田の畔を壊したり用水路を埋めたり、お食事処である大嘗殿に屎尿を撒くという行いに出ます。
それでも天照大御神は咎(とが)めることをせず、各々の行為は場所と時期が異なれば有益あったかもしてない、今回のことは きっと事情があってのことだと御自らも詔(の)り直(なお)しによって、起きた現象の正しいところを観ようとされるのです。
建速須佐之男命のここまでは主に稲作についての探求でしたが 天斑馬を逆剥ぎにして神様に献上する神御衣を織る服屋の屋根から放り込み、それに驚いた織女(おりめ)の陰上(ほと)に 機織りの際、横糸を通す道具である梭(ひ)が刺さって死んでしまいます。
ここに及んで天照大御神は自らの御心も反省してみようと、お考えになり天岩戸にお籠りになるわけです。
(伊邪那美命も機織女も陰上の傷が元でお隠れになる事が興味深いです)
天斑馬を逆剥ぎについては、地上の生活に於いての肉食或いは、動物の毛皮の利用等の研究ということが当たると思います。我々人間は、自分では手を下さずともそれ等を自然に利用しています。神々に使命を託された人が、現代に於いてもその役目を果たされているわけです。
多くの解説書(者)は、須佐之男命の乱暴にびっくりして、天照大御神が逃げ隠れてしまう。としていますが、
私の解釈ではそうではありません。古事記は日本人の理念が書かれていると信じていますから、天照大御神が逃げ隠れるなど信じるわけには参りません。そんな弱い心からの行いではないのです。
日本人には、どんな局面においても事物の明るい面を観、自らを反省し前向きにとらえ、進歩向上の力に変換するという力を持っている(た)のです。思い出しましょう。それが光明思想ともいうのです。
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故是(かれここ)に天照大御神 見畏(みかしこ)みて天岩屋戸(あまのいわやど)を閇(た)てて、刺しこもり坐(ま)ましましき。
爾(すなわ)ち、高天原(たかあまはら)皆暗く、葦原中國(あしはらのなかつくに)悉(ことごと)に闇し。
此(こ)に因(よ)り常夜(とこよ)往(ゆ)く。是(ここ)萬神(よろずのかみ)の聲(おとない)は、狭蠅(さばえ)なす皆涌(みなわき) 萬(よろず)の妖(わざわい)悉(ことごと)く發(おこり)き。
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天岩屋戸のくだり 序文
太陽神 天照大御神が天の岩屋戸に お籠りになったことで、天上界の高天原だけでなく、地上界である葦原中国も暗闇になり、騒がしく様々な災いが起こるようになりました。さて、こてからどうなりますでしょうか。
本日はここまでと致します。
日本神話(18)宇気比/誓約/受霊(うけひ)
2020年02月15日
宗像三女神は思い入れのある方も多いのではないでしょうか、玄界灘に一直線に鎮まる お宮に祀られる神は、現代人の目から見ても至極神秘的な地で神意というものを強く感じます。私は古事記派ですが日本書紀でも三柱の神は特別に尊いご存在であるとされています。
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として平成29(2017)年に世界文化遺産に登録されましたが、信仰のある人にとっては、そんなことはどうでもよいでしょう。この海路がどれほど大事なものであったか、それを鎮め守ることが日本にとってどれほど大きな意味を持つものであったかは現在でもどんな戒律があり祭祀が行われているかをみれば明らかです。
神宿る島はキャッチフレーズではなくて真実なのです。日本人はもっと神の御前で謙虚でなければなりません。私は特に沖ノ島などは旅や観光気分で訪れることには反対だったので一般人の上陸や女人禁制が貫かれていることに安堵しています。誰が何と言おうと信仰上曲げられないことがあって良いのです。
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故爾(かれここ)に各(おのもおのも)天安河(あまのやすかわ)を中に置(お)きて、宇気布(うけぶ)時に、天照大御神、先ず建速須佐之男命の佩(みはか)かせる十拳剣(とつかのつるぎ)を乞(こ)い渡して、三段(みきだ)に打ち折りて、奴那登母母由良(ぬなとももゆら)に天之眞名井(あまのまない)に振り滌ぎて、佐賀美邇迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)。亦(また)の御名(みな)は、奥津島比賣命(おきつしまひめのみこと)と謂(もう)す。
次ぎに市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。亦の御名は狭依毘賣命(さよりびめのみこと)と謂す。次ぎに多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)。三柱。
速須佐之男命、天照大御神の左の御(み)美豆良(みづら)に纏(ま)かせる八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流珠(みすまるのたま)を乞(こ)ひ渡して、奴那登母母由良(ぬなとももゆら)に天之眞名井(あまのまない)に振り滌ぎて、佐賀美邇迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかつはやひあめのおしほほみのみこと)。また右の御(み)美豆良(みづら)に纏(ま)かせる珠を乞い渡して、佐賀美邇迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は天之菩卑能命(あめのほひのみこと)。亦(また)御鬘(みかづら)に纏(ま)かせる珠(たま)を乞(こ)ひ度(わた)して佐賀美邇迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)成りませる神の御名(みな)は天津日子根命(あまつひこねのみこと)。亦(また)左の御手(みて)に纏(ま)かせる珠(たま)を乞(こ)ひ度(わた)して佐賀美邇迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は活津日子根命(いくつひこねのみこと)。亦(また)右の御手に纏かせる珠を乞ひ渡して佐賀美邇迦美(さがみにかみ)て吹(ふ)き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神の御名(みな)は熊野久須毘命(くまぬくすびのみこと)。井(ならびに)に五柱。是(ここ)に天照大御神、速須佐之男命に告(の)りたたまはく「是(こ)の後(のち)に生(あ)ませる五柱(いつはしら)の男子(ひこみこ)は、物實(ものざね)汝(あ)が物(もの)に因(より)て成(な)りませり。故自(かれおのずか)ら吾(あ)が子也(みこなり)。先(さき)に生(あ)れませる三柱(みはしら)の女子(ひめみこ)は、物實(ものざね)汝(みまし)が物(もの)に因(よ)りて成(な)りませり。故乃(かれすなわち)汝(みまし)の子也(みこなり)」如此詔(かくの)り別(わ)けたまひき。
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下表はクリックしてください。

さてこの受霊(うけひ)をもって自(みずから)の心の清明(あか)きことを証明したはずの須佐之男命でしたが「果実をみてその樹の真価を知れ」ということを勘違いしてしまいます。確かに自らの清明き心によって、尊い三柱の女神が誕生されたのですが、それが自分だけのお働きだと思ってしまったのです。
思い起こせば私たちの周りにも必ずこういう人間がいますね。自分一人で成し遂げたと錯覚している人。神様ではなく人間の話ですけれど、自分一人でできることなんて何一つありません。そもそも生まれてきたのが自分一人の力ではないし、心臓や胃や腸を動かしているのは自分だと思ってますか。だったら部分的に止めたり動かしたりできますか。
須佐之男命は自分だけの力(清明き心)が三女神を誕生させたと思い込んで、高天原でまた事件を起こしてしまうのであります。
本日はここまでと致します。
日本神話(17)天照大御神・建速須佐之男命 宇気比/誓約/受霊(うけひ)
2020年02月08日
あなたは自らの心(清く正しきこと)を証明しなければならない局面で、どんな方法でそれを示しますか。
古来、日本人は「穢(きたな)き心」「清明(あか)き心(きよい心)」というものを非常に大事なこととして生活してきました。(穢(けが)れ(汚れ))というものを忌み嫌い、清いということを好む民族なのです。
身を清める、手を清める、建築物はシンプルな白木で作る。悪いことをしたら(していなくても)切腹。生き方も、経済も清きを求め汚き行いを最も軽蔑しました。
今はどうでしょう。お金持ちの方が特権を持っていたりしませんか。もちろん世のため人のため(神のため)に努力をした結果、お金持ちになったのなら結構ですが、自己の利益の追求や他を犠牲にしての成り上がりは古来最も軽蔑されたのです。江戸時代の藩主(殿様)も食事は一汁三菜の質素なものが多く、外国人はびっくりしたとか。とにかく世を治めるのは『徳』なのだ。という大変うらやましい価値観の社会だったのです。脱線が長くなってしまったので本題に戻ります。

あなたが自らの清き心を証明しなければならないときどうしますかという問いですが、
神の世ではいみじくも キリスト教のルカ福音書6章にあるように「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない」⇒「果実をみてその樹の真価を知れ」ということを実践されるわけです。
これは、神様だからできるのであって、私たち人間はどうするのでせうか。はい、日頃の行動の上でしか果実を見せられませんね。時間をかけて結んだ実を神に見ていただくしかないのですから、その場で証明しようとしても無理なのです。
日々が大切なのです。片時も忘れてはなりません。
天照大御神・建速須佐之男命のお話に戻します。
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「何故(など)上(のぼ)り来ませる」ととひたまひき。爾(ここ)に速須佐之男命(はやすさのおのみこと)の答白(もお)し給(たま)はく 『僕(あ)は邪(きたなき)心なし、ただ大御神の命以(みことも)ちて、僕(あ)が哭き伊佐知(なきいさち)流事(ること)を問ひ賜(たま)ひし故(ゆえ)に、白(もう)し都良久(つらく)「僕(あ)は妣(はは)の國(くに)に往(まか)らむと欲(おも)ひて哭(な)く」とまおししかば、大御神「汝(みまし)はこの國にはな住(す)みそ」と詔(の)りたまひて、神夜良比夜良比賜(かむやらいやらいたま)う故(ゆえ)に、罷(まか)なむとする状(さま)を請(まお)さむと以伊為(おも)ひてこそ参上(まいのぼり)つれ。異(け)しき心無し』とまうし給(たま)へば天照大御神 「しからば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にて知らまし」と詔(の)りたまひき。於是(ここに)速須佐之男命「各(おのもおのも)宇気比(うけひ)て子生(こう)まむ」と答白(もお)し給(たま)ひき。
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天照大御神が弟神、建速須佐之男命を武装してお迎えしたのは、真剣な姿勢をお見せになる謂わば『正装』です。ここで、参上(まいのぼり)の理由をお聴きになったあと「あなたは自(みずから)の心の清明(あか)きことをどうやって証明しようと考えていますか」と問われます。
建速須佐之男命は「各(おのもおのも)宇気比(うけひ)て子生(こう)まむ」とおっしゃいます。
これが「果実をみてその樹の真価を知る」という意味です。
(絵は 出雲井晶先生の建速須佐之男命の受霊(うけひ)の場面、内容は次回です)
本日はここまでと致します。
日本神話(16)建速須佐之男命 高天原に参上(まいのぼり) 騒動へ
2020年01月25日

高天原の天照大御神は不信感の下 須佐之男命を迎えます。その姿は御髪(みかみ)を解(ほど)いて左右に御美豆羅(みみづら)を結います。これは本来男的武装、左右の手にも八尺勾璁之五百津美須麻流珠(やさかのまがたまのいほつのみすまるたま)を巻き、背に千本、脇に五百本の矢が入る靫(ゆぎ)を付け、大きな音を立てる鞆(とも)を身に着け、弓を振り立て、堅い地面を腿(もも)がめり込むくらいに踏みしめ、沫雪のように土を蹴り散らかして、荒々しく地面を踏み込み、威勢よく雄々しく勇猛に振る舞い。と完全武装でなかなかの覚悟を示されています。そのお気持ちを量るのは畏れ多いですが、真剣に対峙する覚悟が伝わります。
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彌(ここ)に天照大御神 聞き驚ろかして。「我那勢命(わがなせのみこと)の上りきます由(ゆゑ)は。必(かなら)ず善(うるは)しき心ならじ。「我國を奪はむと欲(ほ)ほすにこそ」とのりたまひて、即(すなは)ち御髪(みかみ)をとき御美豆羅(みみづら)に纏(ま)かして、左右(ひだりみぎり)の御美豆羅(みみづら)にも御鬘(みづら)にも、左右の御手(みて)にも、各(みな)八尺(やさかの)勾璁(まがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の珠(たま)を纏(ま)きもちて曾比良迩(せびらに)は千入(ちのり)の靱(ゆぎ)を負い、ひらには五百入(いほのり)の靱(ゆぎ)を附(つけ)また伊都(いつ)の竹鞆(たかとも)をとり佩(おば)して。弓腹(ゆみはら)振りたてて。堅庭(かたにわ)には向股(むかもも)に蹈(ふ)なづみ、沫雪如(あわゆきなす)蹶散(くえはらら)して。稜威(いつ)の男建蹈(おたけびふ)み建(たけ)びて。待ち問ひたまひしく。
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今回は区切りの都合でここまでです。さあ皆さん、この後 二柱の姉弟神はどうなると思いますか。
天照大御神は須佐之男命の本意を計りかねておられます。またまた騒動の予感です。
本日はここまでと致します。
プロフィール
代表取締役社長:本間 剛1964年12月生まれ
東京電子専門学校
メディカルエレクトロニクス科卒
趣味 : 読書/仕事
座右の銘 : 吾以外皆吾師カテゴリー
- a) 会社や仕事について想う (17)
- b) 人生/社会観(若人へ) (59)
- c) 健康観(カウントダウン) (7)
- d) 体験/プライベート (28)
- e)日本神話 古事記 やさしい解説 (28)
- f)日清日露大東亜 (9)
- 社長在宅日記 (22)
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