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e)日本神話 古事記 やさしい解説の記事一覧
日本神話番外 確認 『古事記の味わいかた』
2019年10月20日

古事記を知らない人に興味を持っていただくために、これまで自分なりにブログを書いてきましたが、今ここで一度、古事記の意義について確認したいと思います。理由は意外にも身近に古事記が好き、とか古事記を何十年も研究しているというかたが多かったので、無論そういう方はご存知でしょうし説明の必要もない、というよりむしろ私が教えを請わなければならないのですが、皆さん一致しているのは古事記の中に日本人の生き方、こうするべき、こうすべきではないということが神話という形で描いてあるということを知っている。そして日本現状をみたとき、古事記を再考して知らしめなくてはいけないのではないかと皆思っているのです。
そこで古事記はどういうふうに味わうか。ということを一度お話ししておこうと思いました『味わう』というところがミソ。(味だから味噌ではありません)
カテゴリーの初めに書いたように原典は稗田阿礼(ひえたのあれ)の口伝を太安万侶が筆記したものです。
漢文で書かれて、外国向けの日本書紀の陰に隠れた存在であったものを、古事記こそ大和民族のための原書であるということを歴史学者でもある水戸光圀公が気付かれ国学者(本業は医師)の本居宣長先生に至って古い漢文の形で残っていた古事記を日本人が読める『古事記伝』というかたちであらわしたものを現代の私たちが受け継いでいるわけです。本居宣長先生が35年の歳月をかけて44巻の注釈書としてあらわしたのが『古事記伝』これに、訓読みをつけたものが『古訓古事記』さらに漢字かな交じりで書き改めて、がようやく我々が読める『書き下し文』ができたという流れです。
ですから古事記の原書が読める人はいないと思いますが、『古事記伝』の原文を勉強しているかたが大和民族の理念を理解するのに近いと思います。しかしそれだけではありません。学問や研究だけではないし、そんな難しくしなくてもいいと思います。もっと『古事記』は身近でいいんです。というより身近じゃなければならないのです。
古事記は口承されたものであるということは『音』が大事ということなのです。『音』で解釈する。逆説的ですが、大和民族なら音で、或いは書き下し文でも『解釈』できるでしょう。というものなのです。何十年も人生をかけて解釈した本居宣長先生の注釈がより正確なのは当たり前なのですが、その精髄は日本人なら感じることができると私は思っており。ブログには私なりの解釈を若干加えさせていただいていることを再度申しておきます。
だから皆さんにも興味を持ったらいろいろな本を読んで、それぞれに感じてほしいです。それが味わうということなのだと思います。古事記は味わうもの(自らの生活に重ね汲み取るもの)ということです。
日本神話(7)最愛の神 お別れ
2019年09月28日

対偶神としての伊邪那岐命・伊邪那美命、神世七代の一番最後に現れた対の神は一方を、お失いになられました。
共に地球・国土・住居に関する神々・自然現象の神々・生産に関する神々・水・土・山・等、生きとし生けるものを生かすための基本をお産みに鳴った神。人間の夫婦という形の手本ともいうべき神。一柱になられてどうなるのでしょうか。
(イラストは故・出雲井晶先生の『絵で読む日本の神話』のものです。出版社には電話をしましたが故人であり許可をとることは出来ないということでしたので関係者から問題と連絡いただければ直ぐに削除します。)
《6》 『古事記』 お別れ2 迦具土神被殺(かぐつちのかみころさえ)のくだり
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故(かれ)爾(ここ)に伊邪那岐命 詔(の)りたまわく、愛(うつくしき)わが那邇妹命(なにものみこと)や。子の一木(ひとつげ)に易(か)えつる乎(かも)と謂(の)りたまいて、乃(すなわ)ち御枕方(みまくらべ)に匍匐(はらばい)、御足方(みあとべ)に匍匐いて、哭(な)き給う時に、御涙に成りませる神は、香山の畝尾(うねお)の木本(このもと)に坐(いま)す、名は泣澤女神(なきさわめのかみ)。故其(かれそ)の神避(かむさ)りましし伊邪那美神は、出雲國と伯伎國(ははきのくに)との堺、比婆之山に葬(かくし)まつりき。於是(ここに)伊邪那岐命、御佩(みは)かせる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜きて、其の子(みこ)迦具土神の頸(みくび)を斬りたまふ。爾(ここ)其の御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血湯津石村(ちゆついしむら)に走(たばし)り就きて成りませる神の名は石拆神(いわさくのかみ)、次に根拆神(ねさくのかみ)、次に石筒之男神(いわつつのおのかみ)。次に御刀(みはかし)の本(もと)に著(つ)ける血も湯津石村に走(たばし)り就きて成りませる神の名は甕速日神(みかはやびのかみ)
次に樋速日神(ひはやびのかみ)、次に建御雷男神(たけみかづちのおのかみ)、亦の名は建布都神(たけふつのかみ)、亦の名は豊布都神(とよふつのかみ)、次に御刀(みはかし)の手上(たがみ)に集まれる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出て成りませる神の名は闇淤加美神(くらおかみのかみ)、次に闇御津羽神(くらみつはのかみ)。上の件(くだり)、石拆神より以下(しも)闇御津羽神まで、併(あわ)せて八神(はやしら)は御刀(みはかし)に因(よ)りて生(な)りませる神なり。
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このくだりは現代人の私たちには、かなりショッキングです。『十拳剣という長剣で自らの子(みこ)迦具土神の頸(みくび)を撥ねた』なんて野蛮な人種なのと言ってしまう人もいる訳です。これを大東亜戦争と結びつける人もいます。何しろ教育勅語を戦争と繋げてしまう人もいるくらいですから。
しかし私は思います。現代の価値観で当時の神話を語るのはナンセンスであると。大東亜戦争の時代のことでさえ現代の価値観で語ってはいけないのだと。
私たちの祖先が行った行為は今の価値観で蛮行と感じても当時は正義だったということで良いのです。当たり前ですが今の人が当事と同じことをやってはだめです。それと、当事あったであろう個々の人間の犯罪行為は非難されるべきでしょう。でも少なくとも、私の祖父母が行った日本国を守ろうとする行為は崇高なものであったと私は信じます。脱線しました。
御刀(みはかし)によって迦具土神を斬り、そこから八柱の神々が生まれます。其の中で建御雷男神(たけみかづちのおのかみ)= 建御雷(たてみかづち)は後の國譲りで大きな働きをする神ですので覚えておきましょう。
そして、物語は、伊邪那岐命と伊邪那美命の再会と本当の最後の別れに繋がってまいります。ここから貴方は何を汲むでしょうか。純愛の最後に訪れるもの。次のくだりは悲しくても美しい男女の物語であります。
本日はここまでといたします。
日本神話(6)神生み 身近なる神々の誕生 そして別れ
2019年09月28日

国産み(日本の国土)を終えた伊邪那岐命、伊邪那美命は次に『居住』『自然現象』『生産』と、人間が生きていくうえで必要な神々を産んでいきます。また、二柱の神によって産まれた神々も、それぞれに関係する神を産んでいきます。それら一柱一柱については、ここでは最低限のお名前しか触れません。あまりに多くて難しくなってしまいますから。
二柱の神が生んだのは 14嶋35柱とも40柱ともいわれ、正確な数はわかりません。(数えても一致しない)重複や抜けもあるのだとは思いますが数などは無意味なのです。
順調な神産み、しかし別れは突然やってきます。
《5》 『古事記』 お別れ 伊邪那美命御石隠(みいわがくり)のくだり
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次に産みませる神の名(みな)は、鳥之岩楠船神(とりのいわくすぶねのかみ)、亦(また)の名は天鳥船神(あまのとりふねのかみ)と謂(もう)す。次に大宣都比賣神(おおげつひめのかみ)を生みまし、次に火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)を生みましき。亦の名は、火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)と謂し、亦の名は火之(ひの)迦具土神(かぐつちのかみ)と謂す。此の子(みこ)を生みますに因り、美蕃登(みほと)灸(やか)えて病み臥(こや)せり。多具理(たぐり)に生(な)りませる神の名は金山毘古神(かみやまびこのかみ)次に金山毘賣神(かみやまびこのかみ)次に屎(くそ)に成りませる神の名は波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)次に波邇夜須毘賣神(はにやすびこのかみ)次に尿(まゆり)に成りませる神の名は彌都波能賣神(みつはやめのかみ)、次に和久産巣日神(わくむすびのかみ)。此の神の子(みこ)を豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)と謂す。故(かれ)伊邪那美神は、火の神を生みませるに因りて遂(つい)に神避(かむさ)り坐(ま)しぬ。
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伊邪那岐命と伊邪那美命による神生みでしたが、火の神、迦具土(カグツチ)を生むことで、伊邪那美命は美蕃登(みほと)灸(やか)かえる = ほと(陰部)に火傷を負い臥せた。とあります。神様が火傷し臥せる。これは象徴的に口承された伝聞なので真実であって事実ではないのです。(真実と事実の違いはブログの初めのほうに書いてあります) 臥せた状態でさらに伊邪那美命による神生みはつづきます。
私が、この件(くだり)で興味深い点は、『天鳥船』という空飛ぶ船の出現が予言されていること。屎や尿からも神々が生まれる、循環型社会の発想が既にあること。等です。古事記は古代日本人が口承で受け継いできた理想とする概念や発想を記したものと以前書きましたが読み聴きした人の数だけ解釈があっても良いと思います。しかし、読み聴きすれば日本人なら同じような何かを感じると思います。そう、感じるんです。
豊宇気毘売神は今でも伊勢神宮の外宮、豊受大神宮(とようけのだいじんぐう)に、天照大御神のお食事をお世話する豊受大御神(とようけのおみかみ)として祀られるいますね。
伊邪那美命は神避り坐した。消滅したのでは決してありません。天界から違う次元に行かれたという意味です。
本日はこの続きまで書かせていただきます。この件は、ここまでといたします。
日本神話(5)国産み 日本(大八洲)誕生
2019年09月15日
伊邪那岐命、伊邪那美命が国の他、多くを産んでいきます。
「イザ」は剣術の立会いの「イザ」(二つが結び合うこと)
「ナギ」「ナミ」は凪と波。記紀、特に古事記は口述(言葉)を表音文字(音で表す)当て字で書かれているので文字に意味が無いものもあるわけで、音のイメージが真実に近いのです。
この二柱の「ナギ」と「ナミ」の神は高天原(たかあまはら)での実績だけでなく、後々その心の動きや、行動等が現代の日本人の生き方に語りかけるものが沢山あるので、この項は私も心を込めて記したいと思います。
「淤能碁呂嶋」古事記の時代、日本は地動説があったのではないと思いますが、「自轉島」(じてんじま)と書いてあるところに古代日本人の理屈ではない感性の一端を見る思いがします。
《4》 『古事記』 国産み 難産(みとのまぐわいのくだり)
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其の嶋に天降(あも)り坐(ま)して、天之御柱(あまのみはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。
於是其(ここにそ)の妹伊邪那美命に 「汝(な)が身は如何(いかに)か成れる」 と問日(とひ)たまへば、「吾(あ)が身は、成(な)り成(な)りて成(な)り合はざる處(ところ)一處(ひとところ)あり」 と答へたまひき。
於是(ここ)に伊邪那岐命詔(の)りたまはく、「我が身は、成(な)り成(な)りて成(な)り餘(あま)れる處一處(ところひとところ)あり。故(かれ)此の吾が身の成り餘(あま)れる處(ところ)を、汝が身の成り合はざる處にさし塞(ふさ)ぎて、國土(くに)生成(うみな)さむと以爲(おも)ふは奈何(いかに)」とのり給へば、伊邪那美命 「然善けむ(しかよけむ)」 と答へたまひき。
爾(ここ)に伊邪那岐命、然らば吾と汝と是の天之御柱(あめのみはしら)を行き廻(めぐ)り逢(あ)いてみとのまぐわい為(な)せと詔(のり)りたまいき
如此言(かくい)い期(ちぎ)りて、乃(すなわ)ち汝(な)は右より廻(めぐ)り逢(あ)へ、我(あ)は左より廻り逢はむと詔(の)りたまひ、約(ちぎ)り竟(お)へて廻ります時に、伊邪那美命、先ず「阿那邇夜志(あなにやし)愛(え)袁登古袁(おとこを)」と言(の)りたまひ、後に伊邪那岐命、「阿那邇夜志(あなにやし)、愛(え)袁登売袁(おとめを)」と言(の)りたまひき。各言りたまひ竟(お)へて後に、其の妹(いも)に「女人(おみな)を言先だちて良(よ)はず」と告日(の)りたまひき。然れどもくみどに興(おこ)して、子(みこ)水蛭子(ひるこ)を生みたまひき。此(こ)の子(みこ)は葦船(あしぶね)に入れて流し去(す)てつ。次に淡嶋(あわしま)を生みたまひき。是(これ)も亦(また)、子(みこ)の例(かず)には入らず。
於是二柱(ここにふたはしら)の神議(かみはか)りためひつらく「今吾(いまあ)が生める子不良(みこふさわず)。猶天神(なおあまつかみ)の御所(みところ)に白(もう)すべし」とのたまひて、即ち共に参上りて、天神の命(みこと)を請(こ)ひたまひき、爾(ここ)に天神の命以(みことも)ちて、布斗麻邇(ふとまに)に卜相(うら)へて詔(の)りたまひつらく、「女(おみな)を言先(ことさき)だちさしに因(よ)りて不良(ふさわず)。亦還(またかえり)り降(くだ)りて改め言へ」とのりたまいき。故爾(かれすなわ)ち反(かえ)り降(くだ)りまして、更(さら)に其の天之御柱(あめのみはしら)を先(さき)の如往(ごとくゆ)き廻(めぐり)りたまひき。於是(ここに)伊邪那岐命先ず「阿那邇夜志(あなにやし)、愛(え)袁登売袁(おとめを)」と言(の)りたまひ、後に妹伊邪那美命、「阿那邇夜志(あなにやし)愛(え)袁登古袁(おとこを)」と言(の)りたまひき。如此言りたまい竟(お)へて、御合(みあ)いまして、子(みこ)淡道之穂之狭別嶋(あわじのほのさわけのしま)を生みたまひき。次に伊予之二名嶋(いよのふたなのしま)を生みたまひき・・・
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かなり長くなってしまったのですが、大切なところなので分割しませんでした。
伊邪那岐命、伊邪那美命が地球上に八尋殿という神殿と天之御柱を建てました。この二柱の神が我々ような物質的な存在だと考えてしまうのは私には違和感があります。生命が誕生する前の神をわかりやすく人格化して原理を説明していると理解することをお勧めします。
陰陽相鳴って国土をはじめ色々なものが産まれてゆくお話の始まりです。異なる働きの生きものが互いに結束して新しいものを産む。生産とはうまく云ったものです。
伊邪那岐命は鳴っても鳴っても収まらぬところがある。伊邪那美命は鳴っても鳴っても埋まらぬところがある。そこで伊邪那岐命が「貴女の埋まらぬところに私の収まらぬところを刺し塞ぎて国を生もうと思うがどうか?」とお尋ねになった。その答えが伊邪那美命の「然善けむ」(しかよけむ)。『それは良いことですね』です。この素晴らしい日本語はどこで無くなってしまったのでしょうか。「然善けむ」・・響きが良いですね。また、とても誠実な感じがします。また、伊邪那岐命も私がそう決めたのだから従えではなく、あなたはどう思うか?と聞いているところも日本の男神(男性)独特の矜持みたいなものを感じます。
次に天之御柱を伊邪那美命(女性神)が右から伊邪那岐命(男性神)が左から回ることになりますが、女性神(陰)= 水極(みぎ) 男性神(陽)= 火足(ひたり)。ちょっと前までは手相を観るときは女性が右手、男性が左手だったことも関係しているように思います。(今はどちらの手ということはないようですが)
さて天之御柱を廻って逢ったとき、先に伊邪那美命が「阿那邇夜志愛袁登古袁」(なんて愛おしくいい男でせう)と言った後、伊邪那岐命が「阿那邇夜志愛袁登売袁」(なんて愛おしくいい女でせう)と言ったのです。結果生まれた子(みこ)は水蛭子(ひるこ)と淡嶋(あわしま)共に不完全だったのです。
二柱は悩んで天神(あまつかみ)に相談に上がります。神様が悩んで相談、そう悩んだときは目上の人に相談すべき。(目上なら誰でも良いわけではないです)天神はフトマニで占い、「女性神が先に声をかけたのがいけなかった。やり直しなさい」ということで、今度は男性神から声をかけることで、淡路島を始めとし、大八島を生んでいきます。8つだけではなく後に追加もありますが地図と地域を貼っておきました。この時代(古事記が書かれた時代)、東北や北海道の情報が乏しかったことがわかります。
国生みがはじめ失敗したわけは、天地(あめつち)陰陽の絶対法則に反したからです。男が偉いから先、女が偉くないから後、なのではなく野球でいう投手と捕手のような役割分担、厳然たる天地の真理に反した場合、
物事が成就(鳴らない)しないということが書かれているわけです。『分担・区別ありて差別なし』であります。
大変長くなりましたが 大事な部分ですので繰り返しお読みください。
本日はここまでといたします。
日本神話(4)地球誕生 神様の初めのおはたらき
2019年09月14日

前回は『神世七代』まで書きました。神様一柱一柱に、別々のお働きがありますが、そこは一挙省略させていただきます。
神世七代の最後にお出ましに鳴った。男女一対の神。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)。神様は肉体を持っているわけではありませんから、男(陽)の役割、女(陰)の役割を持つ神といえます。
この二柱の神様のお働きから神話は一気に身近になってきます。日本の神様は、とにかく人に近いと申しますか、人間味があります。海外の神様は、全知全能で何でも出来てしまう、すごい力をお持ちのイメージが強いですが、日本の神様は「泣いたり」「笑ったり」「悩んだり」「苦しんだり」するのです。
伊邪那岐命・伊邪那美命この重要な二柱のお話をするのに、無料のイラスト屋さんの絵はあまりにも可愛すぎるので、Wikiさんから「天瓊を以て滄海を探るの図」
小林永濯(明治時代)の絵をお借りしました。
《3》 『古事記』 伊邪那岐命・伊邪那美命のはじめのおはたらきを紹介します。
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於是天神諸(ここにあまつかみもろもろ)の命以(みことも)ちて、伊邪那岐命、伊邪那美命 二柱の神に「この多陀用幣琉国(ただよえるくに)を修理(つくり)固め成せ」と詔(のりこ)ちて、天沼矛(あまのぬぼこ)を賜(たま)ひて言依(ことよ)さし賜いき。故(かれ)二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指(さ)し下(お)ろして画(か)きたまへば、塩許袁呂許袁呂(しおころこおろ)に画き鳴して 引き上げたまう時に、其(その)の矛(ほこ)の末(さき)より垂(したたり)り落つる塩、累積(つも)りて嶋(しま)と成りき。 是(これ)淤能碁呂嶋(おのごろじま)なり。
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初めてのおはたらきは、天神(あまつかみ)(高御産巣日神・神産巣日神)の御言葉のままに多陀用幣琉国(ただよえるくに)これは『天地初発』の浮脂(うきあぶら)の如くして、久羅下那洲多陀用幣琉時(くらげなすただよえるとき)の暗くドロドロの世界のことです。そこを天地貫く天沼矛(あまのぬぼこ)を使って二柱の陰陽の力で作り固めよ(創造せよ)と天沼矛(高天原の沼矛)を授かりました。二柱の神は天の浮橋の上に立ち、塩コオロコオロとかき鳴らし(混ぜ)たところ沼矛の先端から滴(したた)った塩が凝固して淤能碁呂嶋(おのごろじま)になった。ということです。
神様が天神に命ぜられたとおりにしたら淤能碁呂嶋(自ら転がる島 → 自転する嶋 → 地球)ができた。国生みの初めの一歩、地球誕生の件りでした。(淤能碁呂嶋には諸説ありますが私は地球のことと信じています)
本日はここまでといたします。
日本神話(3)天地初発 神世七代まで
2019年09月07日

前回は、『天地初発』、天地のはじめのとき初めて鳴り響く神(日本人)の理念について書きました。
古事記については、いろいろな書物を読んだりDVDやネットを見たりして得た現在の知識としてあることが、どこに出典があるのかわからなくなってしまっていますが、解釈については基本的に写真の2冊が基になっています。いずれも「光明思想家」谷口雅春先生の著書です。文字の無い時代の神話を中心に『古事記』が「紀伝体」で書かれているということは、文字ではなくて、言霊(ことだま)的に読む(解釈する)ということが大切です。よって古事記の言霊的解釈の部分は雅春先生の本が参考になります。
しかし2冊をそのまま引用すると、難しすぎるのと、かなり宗教的になってしまい私の意図とかけ離れてしまうので、参考にはしていますが、当ブログは私の解釈で書かれているとご理解ください。
これは私、個人の見解ですが 古事記を研究した人はたくさんいた(今でもいる)のですが、古事記に書かれている文字を研究しても、そもそも古事記の基になっている現存しない『帝記』『旧辞』は文字が無かった時代に口承されてきたお話ですから、その意味を太安万侶が筆記した文字に求めても概ねの意味は読めても一文字一文字にこだわるのはナンセンスなのではないでしょうか。そこで研究者ではない素人の私は戦前の教育を受けていた人、或いは各家庭で常識的に語り継がれていたことを現代の若い人にも知ってもらいたい。そして日本人というもの(血統や出自でいっているのではありません)がどのような理念で生まれ、どのように繋がって、どう生きていけばよいのかということのヒントが、ここに書かれていますよ。ということを、お知らせするという趣旨でブログにアップさせていただきます。
少し戻りますが、谷口先生は、始めに鳴り響いた『天之御中主神』は天の真ん中を貫く神という意味で名詞ではなく、その名の之は「天の〇〇」の之、「身を隠したまひき」とは、姿形が無いから、それらの神の之は同じく説明の之、以降の神の之は名詞(之まで入れて名前)と云われています。その中でも『天之御中主神』は特別です。この唯一絶対神は、初発の一番初めにお出ましに鳴られるだけで後には出てきません。逆に申しますと天之御中主神の理念が後の神話の中心を貫いているから天の真ん中の本源神とも云えるのです。
《2》 『古事記』 2回目は 『神世七代』 までを紹介します。
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次に成りませる神の名(みな)は、国之常立神(1)(くにのとこたちのかみ)、次に豊雲野神(2)(とよくもぬのかみ)。此の二柱の神も独神成(ひとりがみな)り坐(ま)して、身をかくしたまひき。次に成りませる神の
名は宇比地邇神(3-1)(うひぢにのかみ)、次に妹須比智邇神(3-2)(いもすひぢにのかみ)
次に角杙神(4-1)(つぬぐいのかみ)、次に妹活杙神(4-1)(いもいくぐいのかみ)
次に意富斗能地神(5-1)(おおとのぢのかみ)次に妹大斗乃辨神(5-1)(いもおおとのべのかみ)
次に淤母陀琉神(6-1)(おもだるのかみ)次に妹阿夜訶志古泥神(6-1)(いもあやかしこねのかみ)
次に伊邪那岐神(7-1)(いざなぎのかみ)次に妹伊邪那美神(7-1)(いもいざなみのかみ)
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ちなみに日本書紀では国之常立神が初めの神様です。
( )カッコに1から7までの数字が入っていますが、その1から7が何代目の神様かを表しています。つまり3から7までは二柱一対の神様であるということです。神様に性別は無いのですが妹とついているのは、ベアでおはたらきになる陰陽の『陰』の役割を持つ神様ということで、一般的に陽が男性神、陰が女性神ということになります。こういうと現代のジェンダーフリーの価値観からは男尊女卑と云われてしまうのですが、日本では陽が偉くて陰が下位であるということは、突き詰めていくと無いことがわかります。ただ、理解が浅いと、これから続く物語が男尊女卑に見えてしまうでしょう。このあたりは、納得がいかなければ自分で調べていただくしかありません。
このペアを含め7代の神様を『神世七代』(かみよななよ)と申しまして、「別天つ神」の最後に天之常立神が、『神世七代』の初めに国之常立神が出現されていることからわかるように、物語はこれから高天原(天上)から葦原中国(地上)へと続いていくきっかけとなる伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)が神世七代の最後に登場されるわけです。 本日はここまでといたします。
日本神話(2)日本の理念(真実)意味から天地初発
2019年08月24日

『古事記』には神様が重複も含め百柱以上出てきます。名(みな)だけの場合もありますが、その一柱一柱に意味があり、関係性を持っています。
すべて紹介すると膨大な文章になってしまいます。そこで一柱の神にフォーカスしていきたいと思います。その一柱の神のストーリーを遡って天地初発から天孫降臨、神武東征、会社の引っ越しでお隣になる八幡神社の応神天皇までをお話ししていきたいと思います。
神棚の中央に納める「神宮大麻」(じんぐうたいまorじんぐうおおぬさ)は伊勢神宮のお札のこと。伊勢神宮に祀られているのは皇祖神「天照大御神」ですから天照皇大神宮とお札に書かれています。
余談ですがNHKが譲位の報道のなかで「皇室の祖先の『天照大御神』が祀られる伊勢神宮の内宮」と報道したので感心していたら、その後訂正するということがありました。プレスコードに引っかかったようです。
しかし、それが事実です。神棚の中央は天照大御神、向かって右が氏神様となります。数多くの神々の中から三貴神、そのうちの一柱が天照大御神です。上の絵は天照大御神が降臨するニニギノミコト=邇邇芸命(古事記)=瓊瓊杵尊(日本書紀)に神勅や三種の神器を授けているところです。日本の皇祖神を神棚でも祀っている。戦後も日本人は天皇の下に繋がっているっていうことです。
《1》『古事記』の書き出しの文章 『天地初発』(てんちしょはつ)を紹介します。
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天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かみむすひのかみ)この三柱(みはしら)の神は並独神成(みなひとりがみな)り坐(ま)して、身を隠したひき。次に国稚(くにわか)く、浮脂(うきあぶら)の如くして、久羅下那洲多陀用幣琉時(くらげなすただよえるとき)に、葦牙(あしかび)の如萌(ごともえ)騰(あが)る物に因りて、成りませる神の名(みな)は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に、天之常立神(あめのとこたちのかみ)。此の二柱の神も独神成(ひとりがみな)り坐(ま)して、身をかくしたまひき
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意味を書かなくてもわかるでしょう。天地が分かれていないとき天上界に初めに鳴り響いた三柱の神。まだ地上が固まっていないとき成った二柱の神。
この5柱の神には姿がない。この5柱(色つき)の神を「別天つ神」(ことあまつかみ)といひます。ちなみに初めの3柱(ピンク)の神を「造化3神」(ぞうかさんしん)といひます。一柱一柱に役割と意味があるのですがあえて触れずに、本日はここまでと致します。
日本神話(1)記紀 基礎知識
2019年08月24日

知人と言っていいのかわかりませんがイラストレーターの「あべまりあ」さんがhttp://www.aso.ne.jp/maria/ 古事記に関する本を出版されたとのことで注文しました。
(私は彼女のイラストのタッチが好きなのです)
私も古事記には昔から関心もあるし特に若い人には必ず知っていただきたい歴史書なので、何回かに分けて易しく掲載していきたいと思います。
第1回は、そもそも古事記とはなんぞやということです。西暦で言うところの2012年は古事記編纂1300年だったので、盛り上がりに期待していましたが、政治やメディアの扱いがあまりにも小さいのでガッカリでした。この人たち(政治家・マスコミ関係者)は日本人のフリをした外国人なんじゃないかと疑い始めたのもその頃でした。
できるだけ簡単に私の主観で必要な神様や人物しか書きませんから、興味が湧いたかたは自分で調べてください。
さて、『記紀』(きき)という言葉を知っていますか?「古事記」と「日本書紀」のことです。現存する最古の歴史書ということになっています。共に天武天皇が西暦の680年ごろ同時期に編纂を命じたのです。記紀を別々の編者に命じたところに、この2つの意図や性質の違いがあるわけです。
『古事記』は稗田阿礼(ひえたのあれ)が読み聞かされた「帝記」(天皇家の歴史書 現存せず)「旧辞」(古代神話 現存せず)を口伝し太安万侶が筆記したものです。古代日本には文字が無かったので記録は口承するしかなく、口承の担当のような家柄や係りがあったようです。方法はわかりませんがとにかく驚異的な記憶力の家系。古事記の完成は712年、上中下の3巻で和文調漢文(音を漢文で表す当て字、文字の意味ではなく発音が大事)で書かれています。歴史書としての体裁は[紀伝体]という人物を中心にして物語を書く方式に時系列を加えた「日本型紀伝体』で記されていて 内容は神話に重点を置き1巻を神話専用とし神話を天皇家に続け、天皇の成り立ちの正統性を国内向けに書かれたという性格があります。編纂に30年以上かかったので元明天皇に献上されました。
『日本書紀』は6名ずつの皇族と官人が編纂し太安万侶、藤原不比等、舎人親王などが携わったとされています。完成は720年、全30巻+系図1、神話は、そのうちの2巻だけ。全て漢文で書かれ史書としては[編年体]という年表のように出来事を時系列に書いていく当時の唐(China)が用いたような国際様式。天皇の系譜、皇位継承の説明になっていて海外に向けた正史との性格付けになっています。編纂に40年かかったので元正天皇に献上されました。
古事記と日本書紀内容も違うところがありますがそれには触れません。また同じ神や人物なのに文字は全く違ったりします。これは古事記が大和言葉(音)に漢字を当てはめたことと編者の違いによるものです。私は学者ではないのでそういったところは深掘りしません。また間違いの可能性もあることをおことわりしておきます。
さて我々現代人は、記紀をどう理解すればよいのかということですが、本居宣長先生登場までは日本書紀を宮中で教育するなど重きを置かれていたようですが、国学者である先生が古事記こそ最高の歴史書として35年の歳月をかけ『古事記伝』を刊行したことで古事記の地位が上がりました。私は断然 『古事記派』日本人が日本人に伝えるために書いた古(いにしえ)の神話に日本人の理念が込められているからです。
神話とは何でしょうか。以前、キリスト教の神話のことに触れたことがあります。事実と真実のことも書いたことがあります。キリスト教の神話『創世記』そこに教徒への真髄とも言えるメッセージ(真実)が書かれているわけです。神が天と地その他あらゆるものをどう創ったかという。
日本神話である古事記は記紀のうち神話(真実)に重きを置いた史書です。ですからここに、日本人の日本人たる所以が書かれている。では次回より、古事記の内容に入っていきます。海外の神話とはだいぶ違いますよ。神でありながら何と人間臭いというか、悩んだり、苦しんだり、恐れたり、殺したり、生んだり、です。神様がです。
*追記 「中国」(ちゅうごく)を「China」と書く理由
これはブログの別のテーマで詳しく説明したほうが良いのかもしれませんが簡略して触れたいと思います。私の祖父は亡くなるまで支那(シナ)と呼んでいましたが、昭和21年の外務省通達で「中華民国」がシナと呼ばれるのを嫌うので控ようということで、かの国を中国(ちゅうごく)と呼んでいます。ん?中華民国? そう、知らなかった人もいるかもしれませんが日本が支那事変で戦っていたのは蒋介石の中華民国。今皆が中国といっているのは、満州・モンゴル・チベット・ウイグルを含めた、共産党の「中華人民共和国」。蒋介石を台湾に追っ払ったのが旧日本軍。「そのおかげで共産党の国が出来ました」って、毛沢東さんも言っていたんです。中華思想って世界の中心で華々しいという意味ですから、自国が言うのは良いですが今でも世界の多くの国々がシナを語源とする称呼をしています。他国がChina をどう呼ぶか調べてみませう。そして日本人こそ「中国」(ちゅうごく)と呼ぶべきではないのです。それは中華思想云々では全くなく蔑視や差別からでもありません。私はChinaと書きますが、「中国」以外の公式な呼び方を考えて欲しいです。何故かというと「中国」は元々「なかつくに」古事記でもでてくる
葦原中国(あしはらなかつくに)という日本の国土を示す言葉だからです。いまだに中国地方って日本にありますからね。中華民国にしても中華人民共和国にしても、20世紀に出来た国です。本居宣長先生は著書「馭戒慨言」(ぎょじゅうがいげん)のなかで唐土(もろこし)や漢(から)と書いていますが。古来(江戸中期)から地域的な呼び方として外国からあの地方はシナ呼ばれていたのです。そうです。シナも外来語(サンスクリット)で日本がつけたわけじゃありません。漢字もシナ自体が当てました。日本は関係ありません。 中国は「なかつくに」という日本語が先です。なかなか頭が痛い問題ですが。多くの日本人が知るべき事実です。
プロフィール
代表取締役社長:本間 剛1964年12月生まれ
東京電子専門学校
メディカルエレクトロニクス科卒
趣味 : 読書/仕事
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