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国家神道が廃れるとき日本人が廃れる
2022年07月03日
7月になりました。今月も三社に詣でて参りましたが神事では6月と12月は大祓式の月です。それぞれ月の最終日は「夏越の大祓」「年越の大祓」とよばれて大祓詞(おおはらえのことば)という祝詞(のりと)を宣読して穢(けが)れを祓い清め次の半年の新たな区切りをつける日です。6月30日に神社に詣で「茅の輪くぐり」をした人もいるでしょう。私の地元熊谷の高城神社の御祭神は高御産巣日神(たかみむずびのかみ)です。覚えていますか造化三神。「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名」と古事記の書き出しにある神の一柱です。この高城神社では6月30日に茅の輪をくぐる神事を「胎内くぐり」と呼びます。子供の頃は何も考えずにお祭りに行ったものです。「胎内くぐり」の言葉通り母親の体内から生まれた時の純粋で穢れのない状態に戻るという意味の行事です。大祓いには人形(ひとかた)を自分の身体になでつけて息を吹きかけ神社でお祓いしてもらう行事もあります。我が家も穢れを払う意味でやっています。


皇室は神道の大本。天皇は祭司のトップです。それが日本の国体です。西暦2022年は日本では皇紀2682年。第126代の徳人(はるひと)天皇を戴き男系男子の皇統を守りながら存続する日本人の心がこれだけ神道や神事から離れてしまったのはなぜか。もう一度考えてほしいと神社をめぐりながら思います。(神道の読み方は(しんとう)ですよ。念のため)
荒廃した神社をみると哀しくなります。日本人の営みがあった場所には必ず神社があります。今でも台湾や南方の島々など且つて日本が統治した地で現地の人によって神社が守られていますが肝心の日本人の心がこんなにも神から離れてしまったことは日本人が日本人であることを忘れようとしているように思われてなりません。そのように第三者によって導かれていることに気が付いて改まる日が来ることを祈っています。
日清日露大東亜についての記事の間隔があいてしまっています。私自身余裕を失っていました。私も神からちょっと心が離れていたのかもしれません。7月を迎え改めて自分の運命から逃げずに向き合おうと思っています。
現在、ロシアが本性を露(あら)わにして独立国に侵攻しています。大東亜戦争以前の日本はまさに、この状態を恐れていたのです。この状況を改善するために日清日露を戦いました。そのカギは朝鮮半島。この二つの戦争は日本の国益上、朝鮮という緩衝地帯を守るために戦いました。
日露戦争では後の大東亜戦の日米の差以上に戦力差があったのです。秦の始皇帝の時代は別として近代戦争で有色人種が白人に勝利することは考えられない時代でした。「戦わずにして勝つ」孫子の兵法にもありますがこれが最も有効で、今後も変わらぬ真理です。核を含む圧倒的な戦力差を以て相手を屈服させるのも良し、経済上の立場を利用して勝つも良し。相手の戦意を削げば勝ちです。平時から戦えないよう洗脳してしまえば常勝です。
ウクライナはファイティングポーズをとりました。ロシアの誤算です。圧倒的な戦力差を見せ屈服させようと思っていたのです。80年前と同じ危機が日本にもあります。対象国がより多い日本のほうがリアルな危機です。日露戦争では日本はファイティングポーズをとりました。今の日本はどうでしょう。自分たちが先ず戦わなければ他国は助けてはくれません。その事実を我々は知ったはずです。
そう、日露戦争でした。戦況は後述しますが敗戦した大東亜でも神州日本の不滅を信じていた人が多かったですが日清日露まではそういう新しい神話が多かったのです。その中で私が好きな話をいくつか記しますので自分でも調べてみてください。圧倒的な戦力差を覆して勝利した理由に人間の力以上の何かが働いたのではないかと考える人も多かったことでしょう。
【ロシア軍が見たありえない日本兵の話】
ご存じ203高地の戦い。日清戦争で得た権益を日本から奪ったロシアは旅順に隣接する標高203メートルの台地を要塞化しました。海に面し高台にある要塞を落とすのはどう考えたって難しいのです。相手陣地に攻め込むのはただでさえ難しい上に固めた守りと戦力と地形が日本にとっては大変不利な状況です。ただしここを落とさないことには勝利はない。さて、結果は。
捕虜になったロシア兵士から「赤い軍服を着た兵士には銃の弾が当たらない」「白い軍服の兵士は銃で撃っても倒れない」等の証言が複数あったといわれています。当時、赤や白の軍服は日本軍にはあません。


日清日露の戦争では日本国内の神社で神が戦場に赴いたといううわさ話がよく聞かれます。出雲大社では境内の白鳩が開戦後にいなくなり戦争が終わると戻ってきたそうです。各地でも狸(たぬき)が人間に化け参戦した話が残っています。有名な軍隊狸は愛媛大気味神社の喜左衛門狸で(喜)という文字がある赤い軍服を着て戦い「この兵士を撃つと目がくらむ」とクロバキトン司令官の手記に書いてある。とか。
茨城では出征する兵士が乗った汽車が鹿島神宮(全国にある鹿島神社の総本社)の近くで一時停車してから走り出したことがあったとか。鹿島神宮の御祭神は建御雷之男神(たてみかずちおのかみ)。国譲りの神話で大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)を出雲から諏訪湖まで飛ばして封じ込め大国主大神に天上神に国を譲ることを決意させた神です。鹿島神宮は昔から武士や軍人が武運長久を祈願する神社です。
この一時停車の時、建御雷之男神から何らかの力を与えられたのしょう。日本人の中に神と共に戦う(神任せではない)。目に見えない力を得て戦うという気持ちがあったのは確かです。唯物論が跋扈する現代。目に見えるものだけが真実であると考えるのは私には違和感があります。目に見えないことなかにこそある眞實に気づくべきです。
そんなこともあって結果的に日本軍は旅順を落とします。この要塞を占領したことで後のバルチック艦隊も撃破することに繋がりました。
この世界の有色人種を勇気づけた勝利は日本にとっては20億の戦費と20万人の犠牲を出して得た、かけがえのない勝利です。当時の日本の国家予算は7億円、重税や生活の切り詰めによって日本人全員が協力しました。
戦死8万4千人、戦傷14万3千人、旅順戦の第三軍司令官、乃木 希典(学習院第10代院長で昭和天皇の教育係)は戦死した二人の実子に良く死んでくれたと言い。妻、静子は神社での百度参りで子の命も自分の命とも引き換えに勝たせてくれと祈りその通りになります。ただしこの日露戦争の勝利が後に日本を縛ることにもつながります。
宗教の自由を大切にする欧米先進国は日本の宗教に対しては自由は認めませんでした。今も。そして彼らの思惑通り日本人は自分たちの基盤であった神道から心が離れ。なぜそうなったかを考えもせず皇統にさへ意見します。
日本人の敵の日本人を作り日本人の人心を分断させることに成功した彼らが日本の科学や経済をもコントロールしていることに気づき国益を守る行動を起こさないと日本人(意味深ですが日本は残ります)は滅びます。狸の世界もラスカルのイメージで侵入したアライグマに追われ狸は生息域を減らしています。今度は日本人が狸を助けてあげないといけませんね。イメージは他人(外部)から植え付けられる。学びましょう。
最近、神道を貶める報道があります。そういうものがあったときその背景を疑いましょう。
神道は日本人の生活や思想の基盤であって飾りにしてはいけないものです。
ウクライナをみて想う。藤井一中尉 没77年
2022年05月29日
5月28日は藤井一中尉の命日です。先に逝っていたフクさん、一子ちゃん、千恵子ちゃんと再会した日です。昨年の今頃、誰が現在進行形の戦争を目の当たりにすることになると思ったでしょうか。大国ロシアの西側に接するウクライナ、この国も昔のソ連兵の祖国というのが少々複雑ですが東に接する我々の脅威はロシアだけではありません。危険な国がいくつもあります。脅威はむしろ日本が感じなくてはいけないのです。


写真は内閣府のホームページからダウンロードできる『沖縄戦記』のほんの一ページです。当時の軍人やお役人の記録がその場で書いた記録です。それぞれ受け止め方があると思いますが内閣府にアクセスして読んでみるとよいと思います。教えられていることと違う当時の沖縄の人々の感覚がなんとなく理解できます。
ウクライナでなぜ一般人が戦争に巻き込まれているのでしょう。理由がわかりますか。なぜ沖縄で多大な犠牲を出してしまったのか。ことはそう簡単ではないのです。現在でも一般人が巻き込まれる危険性は端っこから生じます。
日本の端っこが戦場になり犠牲者が出たのは日本が沖縄を捨て石にしたという理由では説明できません。沖縄戦記でも軍と行動を共にしたほうが安全だと思う人も多かった。戦況が進むにつれ人の心も異常になって感覚がマヒするということはウクライナで起きていることと似ていますね。泣きながら戦争は嫌だと言いながら、その場にとどまっているお年寄りの映像を見ると胸が締め付けられます。同じことが沖縄でもあったのでしょう。
だから我々は端っこに注意しなければならないのです。ロシアの議員が言っています。『アイヌはロシアと同じ民族であり北海道に渡った』日本の政治家が言っています『アイヌは日本の先住民族である』これが両方本当ならばロシアがウクライナに侵攻したのと同じ理由が作れますね。Chinaの言い分は『古代琉球は中国の「属国」だったので日本の領土ということはあり得ない』です。一定数琉球独立を掲げる人もいます。そうしたら元々Chinaの属国であった琉球を救うという大義名分が生まれますね。

かつての日本人だったらウクライナ人のように圧倒的に不利でも戦ったでしょう。有名な『戦っても亡国、戦わずとも亡国』と言った軍令部総長・永野修身。正確には『戦わないなら国が滅び、戦ったとしても国は滅びる。けれど戦わずに国が滅びるというのは日本民族が身も心も永遠に国を失うことになる。もし戦い、護国の精神に徹するなら、たとえ戦いに勝てなかったとしても祖国を護るという日本精神が残る。そうすれば私たちの子孫が必ず再起しあるいは三起する』いやあ実に恥ずかしいですね。日本人は戦に負けて日本精神も残らなかったのではないでしょうか。もし本当に日本精神がなくなっていたら大東亜戦争で命を懸けた英霊は本当に無駄死にとうことになりますよ。私は南方のぬかるみで足を取られて餓死した一兵卒でも大事な英霊として靖国で鎮まっていると信じています。藤井中尉を初め沖縄に急いで特攻して逝った人たちはもちろん歩兵でも軍属でも皆日本を守った英霊で、その人々が守った日本に今生きているのが私たちです。私たちも色々な意味で日本を守る義務があるでしょう。
私たちも歴史の中に生きています。侵攻、侵略、戦争と立場の違いで言い方が変わる事実を見ています。私たちにとって戦争に見える行動はロシアは平和維持活動と言っていてウクライナではジェノサイドなのです。今現在の情報社会でもこの状況で正義の味方など現れず。武器供与するから自分で守れと言われてしまうのです。
では大東亜戦の時はどうだったのでしょう。私の中の解釈では(もちろんそれ以前の流れを現代ウクライナ同様無視して開戦当時だけ切り取ってのものですが)

第45振武隊(快心隊 藤井一少佐 搭乗機)
欧州は特にアヘン戦争以降、China(地方名)の中にいろいろな権益を持っていて日本も日清日露の戦勝国であった。欧州はChina以外の植民地でも搾取し上げた利益を自国に還元して栄え、日本は人口増加と家督制度の中で次男三男が相続する土地や仕事がない、資源がない等の事情から中南米やアメリカに移民を送っていた。そんな中、満州はChinaの端でソ連との緩衝地帯、且つ移民先として有望だった。ましてChinaには正当な権益を持っていて求められて出兵した関東軍が治安を維持していた。5族協和の満州国も作った。(五族=日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)みんな仲良く栄えて誰も文句言うまいと思ったらクレームが入った。中南米で移民排斥運動が起こり世界はブロック経済化し日本は弾かれる。関東軍の行動を調査したリットン調査団の結論は日本にとって甘いものだったが日本はそれを良しとしなかった。欧州や遅れてきた大国アメリカが日支事変に介入してくる。日本はますます孤立する。欧米に許され日本には許されないことがあってよいのか。日本人には理不尽に思えた。日露戦争で得た権益は8万人の命と国家予算の3倍の戦費を賭けて得たものだ。到底簡単に手放すわけにはいかない、コミンテルンの介入もあり欧米との正面対決となる。

その後は皆さんの知る通りです。問題はその後です。日本が二度とアメリカに立ち向かえないようにする。その緻密な戦略は多岐にわたり結果として依存性の高い人間を量産します。自分の生存さえ他者に依存する。強い者に従えと、核を持った国には逆らわないほうが良いとなれば北海道と沖縄は失ったも同然。また抵抗すれば北海道と沖縄が戦場になるのも必然。日本人の覚悟が迫られております。『備えあれば患いなし』考えることから逃げてしまってはいけません。どうやって日本を守るのですか。家族のある人はどうやって家族を守るか。子供たちや地域を守るのか。昔の人は身近に防衛を考えていたでしょう。
日本は今でも資源がない、食料自給率が低い、労働生産人口の低下等の危機を抱えています。大東亜戦争前と変わっていないのです。1990年代にGDPの上昇カーブはいずれアメリカをとらえるかのような勢いでした。半導体の50%をDRAMの80%は日本が作っていましたが経済戦争でそのほとんどを失い25年間経済成長していない唯一の先進国(いずれ先進国でなくなります)です。なのなのにどうして現代日本人は経済や軍事での安保や生存について考えなくてもよいと思っているのでしょう。憲法9条があるからですか。日米安保という曖昧な約束があるからですか。それらが破られた時の事。なぜ考えなくてもよいと思ってしまったのでしょう。WGIPが日本人から考えることを捨てさせたのです。『今だけ』『金だけ』『自分だけ』に向かっていけば必然的に日本が日本でなくなることを彼らは研究済みだったのです。
#憲法記念日
2022年05月03日
5月3日『憲法記念日』は国民の祝日に関する法律に「日本国憲法の施行を記念し国の成長を期する」とあります。国際状況や日本のことを知らない日本人が増えている現状を考えると遅きに失した感はありますが憲法について皆で考えることが必要でしょう。改めて書きますが私は専門家や学者ではないので事実の確認や考察は其々で行ってください。ここに書いてあるのは私の史観(私感)です。
大日本帝国憲法の時代が全否定されていること。その時代の歴史や民族教育が行われていない。一種タブー視されていることが現代日本人の一つの罪であるとさえ思っています。形だけの日本は残っていますが中身が問題です。法務省のHPには「日本国憲法とは、自由で公正な社会を築き、支えていく上で重要な国家と個人、あるいは個人相互の基本的な在り方を、国民自身が定めたものであり、本来、私たちにとって身近でなければならないものです」とあります。さて、現在私たちが戴いている日本国憲法はその趣旨に準じているのでしょうか。成立のいきさつはどうだったのでしょうか。現在の憲法は1946年11月3日に公布され翌年5月3日に施行されたものです。
連合国の指導の下策定された憲法であり占領下におかれ自主権が制限されている状態でのものですので文脈や文法がおかしいなど基本的な問題はあるものの当時の国家国民が選択した結果と言えないこともないですし受け入れなければならない立場だったのですから無効だと否定する主張も無理があると私も思います。ただもっといけないのは独立を果たして自主権が与えられ自由民主党という改憲を党是とした政党が与党を担っているにもかかわらず1度も改正どころかまともな議論も70年近くしてこなかったことです。WW2の日本・ドイツ・イタリアの同盟敗戦国でさえイタリアが15回、ドイツが58回の憲法改正をしています。日本は一言一句変えていません。「完全無欠だから変えない」「変える必要がないから変えない」「変えたら戦争を起こす」といろいろ考えはあるのでしょうが、議論さえしないというのはどういうことですか。
そうかと思うと平成24年 4月に自民党が出した「憲法改正草案」あれはショック療法的な考えがあるのか少々強引な感が否めません。それを党として出すことで論議を始めるきっかけにしようとする意図があったのかもしれませんが内容が強くて抵抗を感じる部分もありました。しかし為政者が国民の生命と財産を守るとすることが使命の第一義であるなら憲法という国の在り方について理想を語ったり変更について議論をしたりしてこなかったことは無責任の極みです。現にウクライナはロシアによる侵攻を受けています。ロシアは迫害された国民を守る平和維持活動と言い。日本は侵攻と言いい諸外国は侵略戦争と言っています。立場によってとらえ方が様々だということを学びました。そうすると日本がシナ事変から大東亜戦争に至った経緯も当事者であっても正確なところは検証不能なのだろうと察せられます。現在進行形でも何が真実かわかりませんから。とにかく戦争は勝った側の理論が正しいということになります。歴史さえ上書きされる可能性もあります。そのことは敗戦国民として知っておいたほうが良いでしょう。

ウクライナでの戦争行為が行われる前は憲法について日本の理想的な姿や国の在り方について書くべきだと思っていましたがどうやらそんな悠長なことも言っていられないようです。見れば見るほど日本というのは難しい位置にあるものです。この地図に国名を入れていってごらんなさい。問題のある国ばかりです。
4月1日ロシアの野党「公正ロシア」の党首セルゲイ・ミロノフが「一部の専門家によると、北海道の全権はロシアにある」という発言したことを脅威に感じた人も少なくないはずです。この発言の伏線は「ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い利用していた。そこ(北海道)にはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ」「ロシアがどう対応しなければならないかは不透明だ」
そう、ロシアのクリミア併合と今回のウクライナ東部侵攻は彼らにとっては自国系民族の解放という名の平和活動です。同じ動機が日本に対してもあって決断さえすれば実行する用意があるということを言っているのです。もう一つ警鐘を鳴らしておきます。北海道の先住民がアイヌであるという刷り込みです。政府も認めたこの史実。歴史書の95%もそうなっていますが、これはロシアの主張を肯定するものになっています。北海道は確かにアイヌ民族が住んでいますが、それ以前に住んでいた日系人がいたのも事実です。しかし一方の主張が強く反映されて補助金や施設建設が政府の後押しでできていて何れも「アイヌが迫害された歴史」というストーリーになっています。(そういった事実を否定するものではありません)同じく沖縄でも琉球王朝が日本により併合されたという歴史観があります。どっちもどっち論というのは良くないことですが、アメリカ、オーストラリア、カナダなどもその理屈からいうと民族の正当性を失ってしまいます。このような刷り込みが政治レベルや知性の高い人たちの中で起こっていることを知れば、いかに今危機であるかがわかります。北と南の端で民族解放と叫べば平衡な軍事力を持たない日本に対して強硬に侵攻する国があっても不思議ではない流れ。それに加担しているのも日本人という矛盾と理不尽。私はこういう事柄こそ多くの人に議論してほしいと思います。

北方領土に関してどれほどの人が関心をもっていてどの程度の知識があるのでしょうか。国の端ほど危ないのです。日本の場合は北海道と沖縄。対馬あたりでしょうか。今回は北方領土について私がお伝えしたいことを書いてみたいと思います。というのも私の父は北海道紋別郡湧別町の生まれです。オホーツク海に面しサロマ湖に挟まれた場所。東京へは就学当時36時間かかったとか。最果ての地です。今回の悲しい知床の海難事故で国後島の近さを改めて感じた方も多いと思います。日本領ですが実効支配されているために許可なく入ることができません。実に理不尽ですが力による現状変更は許されてしまうわけです。
国後も歯舞群島も歴史の正当性などどうでも不法占拠だろうとなんだろうとロシアの実効支配のほうが正当ということになるのです。Koreaに不法占拠されている竹島も同じです。
2006年8月16日、歯舞群島付近でカニかご漁船をロシア警備艇が追跡のうえ銃撃により漁師さんが死亡する事件がありました。あのニュースで私は目が覚めました。同じく不法占拠されている竹島でも過去に8人殺されているのです。日本領で日本国民が拿捕されて殺され。何もやり返せないのが日本です。それでよいのですか。
カムチャッカ半島から択捉島の隣の得撫島(ウルップ)まで伸びる列島を
日本名で千島列島。ロシア側(英語も)ではクリル諸島と呼びます。
千島列島は25程度の島からなります。50Km2以上は以下の13島です。
北千島=①占守(しむしゅ)島②阿頼度(あらいと)島③幌筵(ほろもしり)島
中千島=④温禰古丹(おねこたん)島⑤春牟古丹(はるむこたん)島
⑥捨子古丹(しゃすこたん)島⑦松輪(まつわ)島
⑧羅処和(らしょわ)島⑨計吐夷(けとい)島
⑩新知(しんしる)島⑪得撫(うるっぷ)島

南千島(日本)=⑫択捉(えとろふ)島⑬国後(くなしり)島
色丹島(しこたんとう)と歯舞群島(はぼまいぐんとう) は50Km2以下
歯舞群島=貝殻(かいがら)島/水晶(すいしょう)島/秋勇留(あきゆり)島/勇留(ゆり)島
志発(しぼつ)島/多楽(たらく)島他
カムチャッカ半島に一番近い=①占守(しむしゅ)島と日本との国境⑪得撫(うるっぷ)島は覚えましょう。
日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島の領有権を放棄しましたがソ連は条約に非加盟であり国後/択捉/色丹/歯舞群島等の南千島はロシア(ソ連含む)領になったことは一度もないというのが正史です。(何度も書きますが正史は力の前に無意味です)
千島列島に樺太(サハリン)を含めロシアと日本は国境を接しており幾度となく境界が変更されてきました。その明確な歴史の初発はともかくロシアが樺太、カムチャッカの南部と同じ民族が北海道に住んでいると言っていることからこれまでの国境の概念は意味をなさないでしょう。ウクライナを見ていればわかりますね。ロシアが勝てばすべての歴史は上書きされて正当なものとなるでしょう。ここで今回私が述べるのは日本人にしか通じない理屈ということになってしまいます。
万が一ロシアが自国民保護のもと平和維持活動といって北海道を併合したら今の北方4島と同じ運命になる可能性があるのです。憲法に何か書いておけば大丈夫などということはあり得ないのです。アメリカが助けてくれるかもわかりません。ウクライナに誰か助けに行ってあげないのだろうか。と日本人は思うでしょう。現実は助けてはくれません。あくまでも自国は自国民が戦って守るしかないのです。

意味のない理論を書いておきましょう。国境は幾度となく変更されてきました。上の地図が4枚並んでいる図は近代史で学ぶものです。
1855年 日露親和条約は米国(ペリー)に先を越されたロシアが最初の国境協定として締結したものですが樺太は雑居地して棚上げし、北方領土(択捉/国後/色丹/歯舞諸島)は日本が実効支配していたので得撫島と択捉島の間に国境を定めたのです。
1875年 樺太千島交換条約。これはちょっと重要です。なんで交換という言葉を使ったのでしょうか。樺太が自分のものだったら交換する必要はありません。樺太をロシアにしてください。占守島(シムシュ)からすべてのクリル半島は日本でよいです。ということになりました。
1905年 ポーツマス条約。日露戦争での多大な犠牲の下。戦勝国となった日本は当時代の常識としてロシアから南樺太(北緯50度以南)を割譲します。大東亜敗戦で当条約が元に戻ったなら理解できますが後に侵攻されました。
1951年 サンフランシスコ平和条約。北海道の割譲要求はアメリカの反対で通りません。終戦(1945年8月15日)の日前後に起こったことを日本人は忘れてはいけません。以下に記します。
1945年8月9日、日本の劣勢を見た当時のソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し満州に侵攻。11日、南樺太でも日本領へ侵攻。樺太の「真岡郵便電信局事件」は映画にもなりました涙なしには語れません。(調べてみてください)スターリンはヤルタ会談でルーズベルトとチャーチルとの秘密協定を結んでいたと主張します。(従軍した祖父が火事場泥棒と呼んでいたソ連。崩壊したのに国連常任理事国に居座る傲慢)当時日本軍にはポツダム宣言受諾のための武装解除(武器の放棄)の指令が出ていました。
8月18日、占守島の樋口季一郎中将は独断で自衛権を行使。すでに統帥権を失った軍隊。彼らは独断(自己判断)で日本を守ろうとしました。この戦いで日本人600~1000人の死傷者を出しましたが結果的に北海道は守られました。日本人の多くは8月15日で戦争が終わったと思っているでしょう。しかし北の果てで日本を守るために命を懸けていた者がいたことを忘れてはいけません。8月23日占守島の日本軍降伏(兵士はシベリア送りになりました)

8月25日ソ連が全樺太占領、同日択捉島、9月1日色丹島を占領。2日に国後3日に歯舞群島に上陸5日全島を支配下に置き戦闘を停止。スターリンは北海道を占領しようとしました日本軍(すでに軍ではなかったが)の抵抗とアメリカの反対により4島でとどまった形になりました。しかし4島は侵略されたのです。行われていることが今のウクライナの状況と同じですね。ソ連の言い分は「日本に不法に侵略されたサハリン(樺太)とクリル諸島(千島列島)を解放した」といものでした。戦後もシベリアに抑留された日本兵や満州居留民の惨状を見ればウクライナからロシアに送られる人々の先行きが心配されます。
(樋口中将が同盟国ドイツに抗ってユダヤ人を助けた話も調べてみてください)

ロシア(旧ソ連)の言い分は侵略そのもので過去のいきさつからの合理性もないということは図からもわかります。上の図(旧ソ連の教科書にあった記載 水津満著 北方領土奪還への道)からは昔からその野心があったこともわかります。教科書というのは国民を洗脳するにも使われるもので水津満氏の著書の中では様々な根拠が述べられていますが1940年を除く地図すべては1953年のソ連初等学校の歴史教科書を書き写したもので100年以上前には国後島まで自国領のように書いているものがあります。ただし歴史的根拠は全くありません。逆説的にも彼らが近代においては特に4島に関して日本領だと認識していたのは確実なのですが、そんな事実はのどうでもよいというのが残念ながら世界共通の概念なのです。日本の周辺国家が今起こしていることを見ればわかります。「話し合えば」とか「外交努力」などというものは軍事力が対等であることが最低条件として必要なのです。

実感はないかもしれませんが日本が正しく立ち振る舞っていれば日本の形はこうだったのでしょう。
さあ国の在り方。特に防衛と外交についてはエネルギーや食料自給力が低く、産業力も労働生産人口も低下気味の日本の死活問題です。
そういったことへの準備を怠ってきたツケを若い人に払わせるのでしょうか。私は忍びない。少なくとも戦後を生きてきた団塊世代以降の責任として国民の生命財産を守り発展していくための憲法改正をお願いしたいと思いますし、我々も無関心でいてはいけないでしょう。
最後にもし本気で憲法を改正してみたら今と一言一句違わないものになったというならそれはそれでよいのです。「自分たちのことは自分たちで決める」という心の持ち方が「自分たちのことは自分たちで守る」という当然の大人の国家になる道だと信じます。
紀元節 皇紀2682年 日本国のお誕生日
2022年02月11日

今日は日本国の誕生日。多くの祝祭日が改名させられて元来の意味が分からなくなっています。本当は『紀元節』ですね。橿原の宮で初代神武天皇が即位して今年で建国2682歳になりました。おめでたいですがただ長ければよいというものではありません。そこに住む国を構成する国民が成り立ちを知らない誕生日に意味はないですから。皆で祝ってこそのの誕生日です。外出していませんがきっと近隣で日章旗を掲揚している家は少ないでしょう。もちろん我が家は掲げています。本当はみんなでお祝いしたい、そのための祝日ですからね。
大東亜戦争前のすべての歴史の自己否定が未来の日本に何の意味があるのでしょうか。戦前の日本の否定が戦争しない国になることにつながるという人もいますが私は自分の脚で立つことができない依存性の高い人間が量産されて結果的に国力が落ちていくと思っています。
このことは多くの先人が懸念していました。三島由紀夫・西部邁・最近では石原慎太郎各氏が知られていますが皆、自立できない日本の将来を憂いて鬼籍に入られました。自主独立をしないままの国と国民性が関係していないわけがありません。このままでは国が精神から失われるという危機を私も感じています。

そんな中、行われている北京の冬季オリンピックで考えさせられたことがありました。一つは数日前に初めて行われたスキージャンプの男女混合団体。高梨選手が失格になったこと。選手には大変気の毒なことでした。この規格検査は全員ではなく抜き打ちで今回に関しては計測の仕方も普段と違っていたそうです。5か国失格なんて異例なことですから検査側に問題があった可能性もあります。今回は事後抗議の意見書の提出がありそうですがこういったとき日本は堂々と意義を主張すべきだと思います。波風立てずに自重するのが日本人の美徳みたいな考えは国民性かもしれませんが「いつか必ず言える立場になる」という強気が昔の日本人「そのうちみんな忘れるだろう」という弱気が今の日本人のように思えます。行動は同じでも意味は全く違います。

モヤモヤしている中で今日のスノーボードハーフパイプの平野歩夢選手の事件です。2回目に人類最高難度のルーティンを成功させるも採点がトップの92.50点に届かず91.75の2位。誰もがこの採点に疑問を持ったはず。普通ならここで心が折れたり腐ったりしてしまい3回目にも影響が出ると思ったところが平野歩夢選手はこの採点への怒りをバネにして3回目は2回目と同じ構成で96点を得て金メダルを獲得しました。
その間、彼は感情に表さず淡々としていて結果で周囲をうならせました。日本の若者も捨てたものじゃないと希望を持たせてもらい自からの行いも反省させられる思いでした。建国記念の日(紀元節)と、この若者の立ち振る舞いを結び付けた人は少ないと思いますが、これも何か因縁を感じないわけにはいきません。若者は日本の希望の源泉です。若者に希望が持てるうちは国は大丈夫。会社や家族も同じことです。
追記 (ハーフパイプ採点)
審判員 1回目→2回目
スウェーデン 96→98
フランス 92→95
カナダ 90→96
アメリカ 89→96
日本 95→97
スイス 90→95
カナダ/アメリカ/スイスがブレすぎですね。先のスキージャンプでもジャッジと対象国の関係を見ると思惑を感じないでもありません。採点競技特有の何かがありますね。それを行動で誰にも文句を言わせない結果を出すというところが今回、私が感動した点であります。これで誰も文句言えないだろうというクールな中に燃えたものがあったのでしょう。実に日本を感じる出来事でした。
必要です。日本の成り立ちを知ること。
2021年12月31日

御幣やお札を授かりに神社を回りましたが何処も準備をしているのは年配の方ばかりです。文化の崩壊とはこのようにやってくるのだと思います。日本は神道と仏教が共存する国家ですが神棚も仏壇もない家が多くなっていると思います。新築で神棚を設置する割合はどのくらいでしょう。旗日に日章旗が並んだ昔が懐かしい。昔はお祭りも盆踊りも盛大でしが除夜の鐘さえ騒音にされる現代で日本文化は日本人が守れるのでしょうか。
新渡戸稲造の「武士道」は日本文化を外国人に紹介するものでした。新渡戸が英語で書いたものを日本語に翻訳してあるのです。今では日本人が過去を知る手段として読むものになりました。武士道を書くきっかけはベルギーの法学者ラブレー氏との宗教に関する会話(新渡戸はキリスト教徒)で「あなたがた(日本)の学校では宗教教育がない、とおっしゃるのですか?」と聞かれ「ありません」という返事をします。ラブレー氏は驚き容易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子供に道徳教育を授けるのですか」と繰り返し言ったそうです新渡戸は答えられません。新渡戸は幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校で受けたものではなくそのような観念を吹き込んだものは武士道だという思いに至り外国人向けに武士道を書いたのです。
明治期の日本人には武士道が道徳の基だったかもしれませんが神仏が私の道徳の柱です。やはり学校で教わったものではありません。祖父母から神仏が必ず存在するという教育を受け神仏の存在を基準として人生を歩んできたのです。おかげで道を踏み外しませんでした。放火で多くの人を巻き添えにした犯人が死にました。世間はこれで原因がわからなくなったといいます。原因はともかくいじめにせよ巻き添え殺人にせよ同じ方法で減ると思います。しかし多くの世論のように原因を掘り下げ対処療法での解決方法を採るならば更に深刻な事態になっていくとも思います。

自宅の神棚 お正月様準備完了

コロナ禍で無償配布のお札
新渡戸稲造はキリスト教徒であり日本人の道徳感の源泉を武士道にみましたが私は日本に千年以上根差している神仏の教えを基にして人間教育をすべきだと思います。教育とは大げさですが日本国の成り立ちを皆が知るだけで充分です。今、家庭でも学校でも日本の神話を教えません。神話から現実が連続して存在している国は日本しかないのに故意に教育から外し学ぶには自分で調べるしかなくなりました。今では一部の人しか自分の国の成り立ちを知らないのです。神仏を基にした教育が行われれば「親殺し子殺し」「無差別の殺人」「いじめ問題」などは減少すると思います。そんな未来が日本に訪れますように。
若者に現実を知り考えてほしいこと「失われた30年」
2021年09月19日
本日は私の体験した「失われた30年」について若者へのメッセージとして記したいと思います。
「晴天を衝け」で地元の澁澤榮一翁が取り上げられていますが渋澤財閥は存在しません。一介の農家に生まれ千を超える株式会社や公益法人を立ち上げながらその動機は「将来のため・私欲を超えて・公共のため」であったと思います。明治人最高を説く私にとって榮一翁はまさに明治人の鑑です。現代は残念なことに「今だけ・金だけ・自分だけ」という日本人の旧来の価値観とは全く真逆の思考が浸透しています。

親ガチャという厭世的な言葉もきかれます。どこに生まれるかで人生が決まってしまうというものです。人間は生まれる国や時代に翻弄されるだけの存在なのでしょうか。我々も大東亜戦争の時代に生まれれば否応なしに戦地に赴いてその後、戦後の復興に尽くすことになったかもしれないですがそれでも前向きに生きなければならないのです。スタートはどうでも与えられた材料の中でどれだけ自分が成長したかが人生の価値だと思います。
私の30余年見聞きした狭い範囲のことを述べたいと思います。ちょうどバブルから失われた30年の期間です。なぜこうなったのかを自分なりに記します。毎度申し上げますように専門家でも研究者でもありませんので分析があっているかわかりませんが肌感覚で語ります。過去を知って未来に活かすことが大切です。同じ失敗を繰り返さないようにしなければなりません。
日本がアジア初の5大国入りをしてパリ平和会議で人種差別撤廃を提案したのが1919年。大変立派なことでしたが当然受け入れられませんでした。それが外交の分岐点だったと思います。皆さんには世界の何らかの世界的なルールが変更されるとき日本側に不利になることが多いと知りましょう。
私が社会人になったのは1985年(昭和60年)バブル期でした。丁度この年、先進国のルール変更がありました。当時の 円/ドルは 250円/ドル(円安)でした。ドル高貿易赤字に苦しむアメリカはG5(アメリカ・フランス・イギリス・ドイツ・日本)をニューヨークのプラザホテルでドル高是正合意を達成します。(プラザ合意)あっという間に円高になりました。日銀は慌てて公定歩合を下げて円を市場に流して価値を下げようとします。土地は下がらないという思い込みから金融機関から簡単に調達した資金は土地や株に流れ込んで東京の地価は3年で3倍に、借りたお金は転売で返して利益が残る。実体のないバブルが始まりました。価値のないものは上がり続けるわけがありません。政府と日銀は公定歩合を上げ資金の総量規制や土地への課税をします。「土地が下がるかもしれない」と思った企業や投資家は一斉に売りに出ますが全員が売ろうとするのですから売れません。たたき売りでも売れません。企業や投資家、証券会社は破綻しましが銀行は税金で救われました。バブルに踊って破綻したのは日本人でしたがきっかけはあのルール変更です。
傷んだ金融機関をはじめとする日本経済。ものは安くしないと売れなくなりました。物が売れないと給料も上がりません。さらにモノの金額を下げます。デフレスパイラルに落ちました。ビックマック指数というものがあります。現在日本は最低レベル390円でビックマックが買えます。韓国440円イギリス522円アメリカ621円スイス774円。「アメリカやスイスは物価が高くて大変そう」そう思ったあなたは既に敗北主義に冒されています。ビックマックが高いのは給料がそれ以上に高いことを示しているからです。自動車のようなグローバル商品が高くなったな。と思うのは日本人の給料が上がっていないからなのです。
ドル/円 相場の推移

名目GDPは1995年頃やがて日本がアメリカを抜くのではないかと言われていました。事実グラフもそんな曲線を描いています。しかしバブル崩壊(裏にルール変更)によって日本は墜落します。変わって出てきたのはChina。いつか見た光景です。大東亜戦争で日本が戦っていたのは蒋介石の中華民国でしたが気付いたらChina共産党が戦勝国になっていました。連合国は日本が押さえていたフタを開けて極東を赤化してしまいます。アメリカは日本を叩いてから朝鮮戦争が始まって気づきました。「日本に軍隊が必要だ」しかしもう軍隊は持たせないといってしまった。警察予備隊(自衛隊)を作ります。もう遅いのです。
貿易で伸びた日本が怖くなって日本を叩きました。日本はバブル崩壊して失われた30年に苦しみます。(日本の若者が苦しみを感じていないのが問題ですもっと不満を表現しましょう)気づいたらChinaがアメリカのGDPに迫っています。Chinaは日本のように甘い国ではありません。もっとしたたかで有言実行の国です。何十年何百年かかっても必ず中華を復興するでしょう。常に世界をリードしてきた自尊心を持っています。
名目(物価変動含)米ドル換算推移 2010年日本は3位へ

出典 IMF ニッセイ基礎研究所作成
GDPが日本の10倍になったとき恐らく防衛費は数十倍になっています。お隣にそんな国があって抗せますか。既に経済や食料でも競合し危険な状態です。いずれChinaの経済圏に吸収されます。良いのですか。
軍事防衛は別にして経済安全保障上も日本の産業で他国と伍していくには武器が必要です。半導体や自動車は日本の強く大切な武器でした。しかし現実を見てください。ファンドリーを除く半導体の世界シェアは1990年の50%をピークに失われた30年をなぞるように右肩下がりし現在では5%を切っており経済産業省は公式に「0」になる可能性もあるといっています。
皆さんは半導体を日本が強い分野だという幻想を抱いていませんか。そう思わされていませんか。実際はそうではありません。業界にいる私が申しあげるので間違いはありません。今のところ半導体装置とシリコンウエハを含む材料系のアドバンテージはあります。しかし近いうちにシリコンウエハの世界シェアはかつてのIC同様下降します。パワー半導体の新基板でもリードを守れるか不透明です。ここには政治が必要ですが自民党の半導体議連も経産省も対策が故意にポイントを外しているようにみえます。日本をミスリードしている目的は何でしょう。
半導体ICの世界シェア1990-2020

出典 IC Insights ファンドリ含まず
このような状況で賃金が上がる要素がありません。30年の賃金の推移を見てください。暗い気持ちになります。OECD先進38カ国のデータですが日本・韓国・アメリカだけに色を付けました。
10年刻みのほうがわかりやすいと思います。ここでの数値は 購買力平価(PPP)purchasing power parity(商品が他国ならいくらか)というものです。単に為替変動を含む名目値だともっと差がついています。この30年日本の数値は止まっていますね。これは資本主義の社会では異常なことなんです。日本以外の国はほぼすべて購買力平価(給料)が上がっています。
この低賃金、給料が上昇しない賃金のシステムを作った人たちが今、一番年金をもらっていてそれを払っているのが被害者である若者だという事実。やり切れません。
購買力平価(PPP) ベースの平均年収推移

出典 OECDーDATA
購買力平価(PPP) ベースの平均年収 10年刻み

出典 OECD-DATAを加工
しかし一方で若者にも原因があります。今の境遇で自分は満足かもしれませんが次の世代への責任を果たさないという姿勢は正しくないのです。貴方たちの行動は次の世代に繋がっていますよ。私はたまたま大東亜戦争での特攻で散華された英霊の事を調べる中で多くの死に赴く若者の言葉を知っています。彼らは戦争に勝とうなどと思って散ったのではありません。自分たちの行動は戦争が終わったときの講和の条件に影響を与える。後世を担う若者にメッセージを与えることができると信じて逝ったのです。私たちは彼らの遺志に応える義務があるのです。だから敗北主義は捨てましょう。今からでも私たちの後の世代に何を残せるか考えて行動しようではないですか。
大学ランキング世界・アジア/論文数

出典 高校生新聞2022 進研アド2021 毎日新聞
大学のランキングで日本の大学が順位を下げています。英米が相変わらずトップ20を占めていますが20位付近に香港大学・北京大学・精華大学のChina系大学が入っています。つまりChinaの優秀な頭脳はトップの大学に進み日本の東京大学に来て院生になっているような人材はその次の人たち、さらに日本の私学の院生はその下、日本人はというとさらにその下というのが現実なのです。論文数もアメリカを抜いてChinaが一位になりました。数十年後もう日本からはノーベル賞受賞者が出ない可能性があります。
つい先日、光触媒の発見者である藤井東大特別栄誉教授が研究員ごとChinaの大学に移籍するニュースが話題になりましたが日本で研究をすることは2重の意味で困難があります。研究費用が国から拠出できません。未来への投資より年寄り政策です。もう一つは全ての研究は軍事につながるというアレルギー。日本人の自虐的思想。日本人は富んではいけない軍事的に力を持ってはいけないという潜在的に刷り込まれた意識があることです。Chinaに行けば豊富な予算や環境で研究開発ができる。頭脳が流出してもそれは日本のせいですね。Chinaの仰る通りです。
それでは日本に残った皆さんどうしますか。私は零細企業のトップとして皆さんに申し訳ありません。安い給料で一生懸命働いてもらっていますからね。経営者の責任を感じていますよ。しかし同時に物足りなさも感じています。皆さん今の自分に満足してしまっていますよね。それは皆さんだけじゃない。欲を出すことは悪いことではないのですが、もっと金銭的に豊かになりたい。もっと技術や知識を高めたい。もっともっと・・・という欲がないと思います。
皆さんの前に今、とても大きなルール変更が起ころうとしています。「脱炭素」社会です。「カーボンフリー」です。大変な矛盾がありますが世界的な流れに抗うことはできません。日本もそのルールに従わなければならないでしょう。日本の自動車産業は世界誇る産業でしたが自動車の歴史は内燃機関(エンジン)の歴史でもあります。優れた内燃機関を作り続けること。それを効率よく伝達する技術を日本は100年かけて作ってきました。しかし今回のルールは100年のアドバンテージをゼロにするものです。「電化した自動車以外は作れないようになる」ことは多くなアドバンテージを日本が失うことになるのです。欧州は何でこんなことを言い出したのか。クリーンディーゼルの排気ガス不正問題が無関係ではないでしょう。欧州が達成できなかった技術を日本はクリアしました。ルール変更です。現段階でハイブリットはChinaと日本では電化に含むとしていますが、やがて全ての内燃機関がNGになるかもしれませんし輸出ができないだけで大打撃です。日本で500万人の雇用が失われる可能性があると危機感を持つトップが言っているではないですか。
もう一つ「グリーンエネルギーで生産した製品しか輸出できない」という動きも進むでしょう。電源構成が火力中心の日本で作った製品は輸出できなくなります。太陽光発電は稼働率14%です。平均すると1日で3時間しか発電していません。日本中をパネルにしても賄えない。地熱や風力を使ってもバックアップ電源がないとブラックアウトの危険性がある。八方ふさがりですね。どう打開していきましょう。日本に知恵と力が残っているでしょうか。若者に期待するのは無責任でしょうか。でも生きていかなければならないのは若者です。
各国 電源別発電量構成

出典 資源エネルギー庁
自動車 EVショック 脱エンジン

出典 東洋経済オンライン 毎日新聞
欲を出すことをためらう若い人に言いたい。欲を出すことは恥ずかしいことですか。悪いことですか。とんでもないことです。「希望は活きる力の源泉」私はいつも言っています。希望を実現するためには絶対に欲が必要なのですつまり生きるためには意欲が必要なのです。「自分だけ」をまず捨てましょう。次に「今だけ」も捨てましょう。「金だけ」は自分のためのお金の事じゃありません。人のためみんなのために必要な「お金」です。
パラリンピック水泳で銀メダル2つを獲得した山田美幸さん14歳。重度の障害S2。両腕がない脚は曲がり長さが異なる。そんな美幸さんにお風呂で溺れぬようお父さんが水泳を習わせたそうです。今はそのお父さんも亡くしました。でもニコニコ心からの素敵な笑顔で他人に接しています。私は今回のオリンピックパラリンピックで最も感動(言葉では表せない)と勇気をもらったのは美幸さんでした。「おめでとうございますそして有難うございます」
私はこの世に完璧な人間はいないという意味で(逆説的に)「どんな人も全員が健常者」だという持論を持っていますが、それぞれが自分を成長させるための負荷を色々設定して人生にチャレンジしている。思い負荷をかけて人生にチャレンジしている美幸さんの座右の銘は澁澤榮一翁の「無欲は怠惰の基である」 だそうです。14歳の彼女のこの言葉を若者であるあなた。日本人であるあなたはどう受け止めますか。
モノ作り日本の崩壊(電子立国日本の自叙伝 放送30年)
2021年03月13日

NHK「電子立国日本の自叙伝」が放送されたのは30年前の1991年です。当時私は半導体業界向けの商社に入社し子会社で洗浄装置を担当したばかりでした。30年後の今、当時の私に声をかけるとすれば「あなたの観たその誇らしい放送は既に崩壊の序章だったよ」ということです。放送により今でも日本が電子立国であるかのように錯覚している人もいるかもしれません。
しかし今、正しい日本の姿を描くならばそのタイトルは「電子立国日本の遺書」「モノづくり日本産業の崩壊」というものではないでしょうか。少なくとも私の立ち位置からはそう見えます。しかし気が付いていない人があまりに多い。社員さえ読まないこのブログにたどり着いて拙文に触れていただいた方に考えるヒントになれば幸いとこの記事を書きます。毎回申しますように私は学者ではありませんし専門知識もありません。正しくはご自分でファクトチェックした上でご判断ください。
私は根本的に「明治人最強」を説きます。これは渡辺京二著「逝きし世の面影」にもある幕末から明治に日本に訪れた又は居住した多くの西洋人によって滅亡した江戸の文明を上書きした富国強兵の明治という視点からです。文明は滅びても文化は残ったが「古い日本は死んで去ってしまった、そしてその代わりに若い日本の世の中になった」(チェンバレン1873-1911年の間日本に居住)「明日の日本が外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点でより良い国になるのは確かなことだろう。しかし昨日の日本がそうであったように昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」(ウェストン1925年著書より)素朴で絵のように美しい国というのは著者の渡辺京二氏もいうように景色だけのことではなく民族の心性も含んだ意味だと思いますがこれはあくまで100年前のことです。しかしヒントになります。
なぜこの話なのかというと日本の産業構造を考えたときに以下のような流れがありました。
- ①「江戸時代から明治維新を経て明治時代になった」富国強兵産業期(鉄鋼・造船・紡績・軍事)
- ②「戦後昭和の経済復興」勤勉と安価な人件費による復興貿易期(鉄鋼・造船・紡績・内需)
- ③「昭和の技術立国化」外国からの技術を深化させて自国技術として確立(自動車・電子・内需)
- ④「平成の失われた30年」グローバル化戦略の誤り
- ⑤「現在の国内産業の衰退」将来への備えを怠った付けを払う時代の始まり
これらの流れの間には都度、過去の文明を変えるほどの変化があり明治維新や敗戦、バブル崩壊などの大きな事が起こった時には人々は実感しますが④⑤(コロナ問題は進行中ですが)に関してはその変化に気づいていない人が多いようです。文明が変わっても残った日本人の文化や心性までも廃れてしまう懸念をもっています。
明治維新の志士は大国清が列強に翻弄されるのをみて国家構造を変えて対応しました。その手法が正しかったかどうかは分かりませんが、変化しなかったならば日本は列強に取り込まれていたでしょう。独立を保ったのです。Chinaは常に世界をリードしていましたがアヘン戦争以降ほんの200年、蓋をされていたにすぎません。今は共産党の国。自称「中華人民共和国」建国100年です。新しい国ですがかつての大国としての復興を目指しており、いよいよ実現が目の前になってきました。
日本に目を移しましょう。多くの人が何故気づかないのか。冷戦時にスイス全国民に配布された「民間防衛」という書にヒントがあります。兵器を使わずに他国を支配することが近代の戦争なのです。紛争を作ってしまって相手に警戒されたら侵攻がうまく進みません。相手に気づかれないように考えないように徐々に入り込んで支配国に依存しないと生きられないようにした時点で戦争完了です。
日本人の多くが気付いていないこと。先に挙げたように「今でも先進国であるかのような錯覚」Chinaや韓国をはじめとするアジアの国々が「日本より遅れている国であるという錯覚」「今までの生活水準が将来も保てるという錯覚」私の立場から目を覚ます皆さんのよく知っている簡単な事例をいくつか記します。専門家はそんな事十分承知というでしょう。間違った見解と言われるかもしれません。しかしこれが今の私の社会人としての肌感覚です。
【内需では経済が成り立たない】
よく言われるように日本には資源がありませんからモノ作りに支えられています。自国で持っているのは「製造技術」と「労働力」でした。(過去形)原材料は輸入です。人口増加が一定規模で保たれれば内需の期待もあります。しかし少子化人口減で革新的な商品が日本から生まれないと国内循環でビジネスが成り立ちません。輸出するしかないのです。
【完成品で輸出できるものが少ない】
メイドインジャパンの信用力はわずかに残っています。かつてはテレビ、冷蔵庫、洗濯機をはじめ

家電は日本で作っていましたが今ほとんど海外生産です。パソコンや携帯電話やLED照明器具も日本製がありましたが瞬く間に衰退しました。私がいる半導体業界もDRAMやCPUなどの高価な半導体の国内メーカーは消滅しました。高価格商品で世界をリードし伸びているのは自動車メーカー位ではないでしょうか。
【目を背けたくなる現実】
半導体業界に身を置いて30年、嘗て世界シェア70%を誇った日本のお家芸DRAMは数年のうちに駆逐され台湾と韓国にポジションを奪われました。日本の技術者と製造装置メーカーが立ち上げたのですから日本の苦労が水の泡になっただけでなく後の失われた30年の一因にもなりました。それを許したのは政府や行政でもあるのですが今でもそれは変わっていません。次はもっと大きな半導体ショックが訪れます。現在、棲み分けができている半導体産業で装置や素材のメーカーは日本が優位性を保ってきましたが我々を含めそれも過去のものとなりそうです。日本は産業保護や育成については非常に冷たい国です。もしかすると政治家は日本を衰退させるために敢えて施策を行っているのかもしれません。半導体投資には大きな費用が掛かります。他国では数千億、数兆円を掛けて国家主導で投資を行いました。日本にはそんなお金はないのだと思ってきましたがコロナ禍で投じられる数十兆円の予算をみたとき資金を使う方向を産業に向けていれば、これから訪れるであろう未来を変えることができたと残念に思います。現在、半導体の基板であるシリコンウエハーは日本メーカー2社が世界シェアの60%を占めています。上位5社にChinaの会社は一社もありません。これから自動車のEV化やIoT社会への変化により半導体基板の需要も増加します。Chinaでは現在の日本メーカーの総数を上回る数を供給できる会社が立ち上がっています。数年内に品質も同等になるでしょう。また台湾韓国と異なり自国で原材料を既に持っており製造装置も他の素材も国産化をすると宣言しています。彼らが宣言したことは必ず実現します。ウエハーの次はファウンドリーを中心としたデバイス生産が本格化するでしょう。日本の消極的な電子デバイスメーカーのサラリーマン経営者は投資をせず製造を委託するでしょう。半導体の素材もデバイスもChinaが覇権を握るでしょう。安全保障上のリスクはレアメタルの比ではありません。政治家はもちろんそんなことは承知で法整備をしません。

【頼みの綱が】
それでも私は自動車産業が残るのだろうと漠然と考えていました。しかし2030年の新車販売でのEV化を宣言したことで目が覚めました。脱炭素、カーボンフリーはどこから来たのでしょうか。気候変動が本当の理由ですか。脱炭素は単にエンジンを作ってはいけないということではありません。製品を作る際に発生する炭素量も問題にされるでしょう。全産業に影響し化石燃料で発電している日本では工場の稼働はできないことにもなりかねません。結局原子力を持つ国、核兵器を持つ国、人権を制限できる国が勝つ社会になっているのではないですか。
自動車の技術=エンジンの技術です。欧州メーカーはクリーンディーゼル不正の発覚によってエンジンを捨てることにしました。彼らのレギュレーション変更にまた日本は巻き込まれたのではないですか。かつての戦争が安全保障上の理由で起こったとマッカーサーも上院の軍事外交合同委員会で証言しています。それほどの大事件が今起きているのに。毎日のように「自動車産業は550万人の雇用を支えています」のCMが流れています。自動車産業に携わる人々の危機感のあらわれでしょう。エンジンを捨てた自動車メーカーはどうなるでしょう。すべての有意性がリセットされて20年後はgoogleやappleだけでなく聞いたこともないmade in Chinaの自動車が自動運転で走っているでしょう。日本は何が残っているでしょうか、安い賃金を背景にした労働力の提供しかありません。格差は開く一方になります。
【知っていますか】
ある大手のインターネットサイトで総売り上げの過半数はオーナーが外国人になったそうです。皆さんが日本の会社だと思ってネットで購入しているその商品の販売元は日本人のお店かもしれませんがお店のオーナーは日本人ではありません。すべての国内産業においてそれが起きます。コロナ前から倒産より廃業が増えました。M&Aなどという言葉を知らなかった人たちにも企業の吸収合併は普通のことになりました。但し買う側の会社が日本の会社であってもオーナーが日本人とは限りません。積極的な投資で日本企業を買う外国人は沢山います。日本人の消極的思想の根源は安全保障を他国に預けるような敗北主義であることにあると私は思いますが負け惜しみを言ってももう間に合いません。
【これからの日本】
現代の日本人の本音は「飢えない程度に最低限の生活ができるのなら誰に食べさせてもらっても拘らない」ということでしょう。国柄が変わっても皇統が断絶しても楽に最低限の生活が提供されるなら受けるという考えが大勢なのではないでしょうか。そういう意味では日本は地政学上利用価値がありますから不満分子が扇動を起こさない程度の生活は保障され存続すると思います。
私が感じる日本人の位置が御理解いただけたでしょうか、私の接するChinaのエリートは礼儀正しく勤勉で情熱を持っています。かつての滅んだ日本人をみるようです。50年前、三島由紀夫が予言した「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るのであろう」は間違っていました。経済的大国、それは日本の位置にある他国籍国になっているかもしれません。どうすれば回避できるでしょうか。残念ながら間に合いません。一度は地に落ちたほうが残った日本人の覚醒に繋がると思います。幕末の志士は危機感から先手を打って日本を救いました百数十年経って憂国の志士は現れません。一旦地に落ちても起き上がる日本人はいないかもしれません。飼いならされた、かつては勤勉だった日本人の子孫がどのような未来を獲得するのかは予想できません。ただ祈るだけです。
現在の日本人は一生子供でいようとし親も子供でいさせようとします。親の遺産や年金で暮らしている人。親にお金の援助を受けて生きている人がやがて親になって同じように子供の面倒を見る循環が起きないと、不足した部分を誰かが補わなければならなくなります。簡単で当たり前の理屈ですが自分で立つということ。一人で立たせるということを国家ができていないのに個人ができるわけがありません。逆もまた真で国民が自立できないのだから国家が自立していないのもうなずけるというものです。本当の歴史と伝統を知らない日本人が日本を繋ぐことはできないでしょう。荒れた寺院や社を各地で見ます。BrokenWindow(割れ窓)理論が叫ばれた1980年代。ある意味日本の黄金期でした。あれから30年以上が経ってこれが日本で起こっているのが実態です。
化石燃料をフルに使って産業を維持している日本でモノ作りはできません。生産時にどれだけ炭素を使うかによって工場を稼働することが許されない世界がそこまで来ています。エンジンを捨てた自動車産業の未来は暗いです。大卒初任給ランキング日本は20番目アメリカの半分以下です。実質賃金指数が20年間でマイナスになっているのは先進国で日本だけです。日本は物価も賃金も安いので外国人観光客が来るのです。日本が好きだからじゃありません。(安いのにサービスがいいから好きというのはあると思いますが)格差は大きく広がります。格差のどちら側にいるかは気づきの差だと思います。
この記事が刺激になり、このままじゃいけないかもしれないと思う若者が出現してくれることを祈ります。
建国記念の日 (紀元節 日本国の誕生日 国の成り立ち)
2021年02月11日
神話ブログにも書きましたが、記紀によるところ紀元前の660年に神武天皇が奈良の橿原の宮で「即位」されたのが旧暦1月1日で明治の御代で新暦2月11日を「紀元節」と定められたのが元です。日本国2621歳(皇紀2621年)ですね。なんでこんな基本的なことを日本人が知らないかというと知らせないようにされているからです。日本がアメリカ(連合軍)と戦争して戦後7年間GHQ(連合国最高司令官総司令部)に占領されました。連合国といっても実質アメリカです。日本が2度とアメリカの脅威にならないように様々な毒を盛った(敢えて悪い表現を使っています)のです。

その結果が今の日本であり歴史を知らされない日本人の増産であり日本が衰退していく原因と私は思っています。国の誕生日にふさわしくない内容ですが日本国はしばらく衰退(停滞している事実)するでしょう。しかし希望は持っています。いつか若者が気付くのではないか?気づいてほしいと。間に合わなければ日本は日本ではないものになるでしょう。いろいろな形でそうなります。
昭和42年「建国をしのび、国を愛する心を養う」休日として建国記念日となって復活します。よく復活できましたね。現代だったらどうだと思いますかGHQが盛った毒が蔓延した現代。「神話に基づく国を愛する心を養う日として紀元節を復活しましょう」などと保守の政治家が発言したら毒に侵された国民が反対するのではないでしょうか。国を分断するため「家族制度を解体」「大規模農家を農地解放により解体」「財閥を解体し企業を小規模化」「家族型経営の会社で労働者と経営者を分断」「11宮家を臣籍降下させ皇統を不安定化」「教育・文化・報道関係者をはじめとする公職追放で思想を偏よらせる」「自立放棄の憲法押しつけ日本を立てなくする」等々、弱体化の毒はありとあらゆる分野に撒かれ発芽し根付いています。
そういうベースの下に今の自分があることを自覚しましょう。軽々と「女系天皇でも良いのでは」などと言うべきではありません。男女平等とこの問題は違うのです。世界の混乱を見ていると「戦前の日本統治は間違っていなかったのではないか」(私の戦前は明治ですが)と思います。間違っていたのは民主主義を植え付けると言って思想侵略したアメリカのほうだったのではないでしょうか。何と言っても歴史は日本のほうがはるか長いですから。アメリカは250年の歴史しかありません、China4000年の歴史と言っても易姓革命の国です。建国からは100年です。日本は2621年です。日本を超える国はないのです。超えられる可能性としては日本の皇統を断絶させるしかありません。男系継承が止まれば断絶です。
さて、別の神話の頁にも貼りますが神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレビコノミコト)「神武天皇」までの系譜を書いてみました。神々の相当数記載していません。実際はこの何倍何十倍もの神々や物が生まれたのです。興味があれば調べてみると良いでしょう。また私の系譜が間違っていてもお許しください。学者じゃないもので。
私のブログの神話の項も建速須佐之男命の神逐(かむやらひ)まできていますので、これからは終盤です。須佐之男命と大国主の「国造り」国津神から天津神への「国譲り」神武東征と御即位、歴代天皇のうちの応神天皇までと決めていますから登場する神から肉体を持った天皇や皇族へと話が移っていきます。建国記念の日に系譜をみて、これまでの当ブログ(文書が長くまとまらずすみません)を読んで国の成り立ちについて考えてみてください。特に若い人よろしくお願いしますよ。「日本のこと頼んだぞ」少なくても大東亜戦争で散華した人たちをはじめ多くの愛国者はそう思っているに違いありません。私もそういう気持ちです。
三島由紀夫没後50年
2020年11月25日
本日は三島由紀夫先生の50回目のご命日です。恥ずかしくも浅学の身ながら近代日本に全く興味なく本件を知らなぬ誰かの目に触れることを祈り、浅い切り口により三島由紀夫(本名:平岡公威)先生について語らせていただきます。この記事が誰かの興味を広げ深めるきっかけになれば幸いです。

自決から40年 今よみがえる三島由紀夫の表紙 「盾の会」の制服の剣は銃刀法により模型で 長さも制限されたものだった。
「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」
「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
共に吉田松陰先生の句で後者は辞世(世を去る時に読む歌)です。松陰先生がどのようなかたであったかも知らなければ調べてください。幕末に国を憂(うれ)い、自らを犠牲にしても国を守らん。若者を導かんとしたかたです。そういう意味で三島由紀夫先生も同じような思いだったことでしょう。
三島先生が亡くなったのは昭和45年11月25日、松陰先生は安政6年11月21日(新暦)に処刑されました。近い日を選んだのでしょうか。二人の共通点は「大和魂」です。50年前の日本は学生運動が最も激しい時代。大正14年(昭和元年)生まれの三島先生は45歳でした。
平岡公威少年は良い家柄に生まれ祖母に育てられます。幼少期身体が弱く室内で文学に触れる機会が多かったこともあり学習院在学中の10代半ばではやくも才能を認められ三島由紀夫を名乗るようになります。
三島先生の肉体的に小柄で虚弱であったというコンプレックスは後に出会う美輪明宏氏の回想からもうかがわれ30歳を過ぎボディビルに傾倒し半年で外見上強健な肉体を持つようになりました。作家としては古典を徹底的に学んだ基礎の上に圧倒的な語彙と日本語力を基にノーベル文学賞候補になります。(ノーベル賞は仲人の川端康生が受賞)
天才故、一般人には行動の意図が謎とされることが多いです。私が三島先生を初めて意識したのは命日の市谷駐屯地バルコニーでの演説をする姿。テレビで見ましたが意味は分かりませんでした。当時母が神道保守系の宗教団体に入会していた関係で総裁、谷口雅春先生と共通の思想があった三島先生のことは子供ながらに聞かされていました。
三島先生は事件の3日前11月22日、谷口先生に面会を求めたのですが当日は谷口先生の誕生日で様々な催しがあり取り次がれず面会が叶いませんでした。「ただ一人、谷口先生だけは自分達の行為の意義を知ってくれると思う」と遺した三島先生。ここでお会いになっていたらと連絡があったことを知らされなかった谷口先生も残念がっておられました。

谷口雅春先生の著「占領憲法下の日本」に三島先生が寄せた序文。「生命体としての日本国家」という言葉に共感されている。
「今に日本はとんでもない時代になるよ。親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたり、そういう時代になるよ」
美輪明宏氏が三島先生から聞いた言葉です。当時はそんな事件は殆どありませんでしたが本当に三島先生の予言通りの国になってしまいました。皇国日本を大切に考えていた三島先生は日本の将来を憂いていました。学生運動で荒れる大学。憲法上治安維持に自衛隊の出動ができません。機動隊では手に負えなくなってきて、学生や機動隊から死者が出ます。交戦権のない憲法は軍隊を否定しながら自衛隊が存在します。皇国日本のあるべき姿は日本の国体は天皇でありその天皇を守る軍隊が自衛隊でなければならないというものです。
市谷駐屯地で総監を人質にとってバルコニーで最後の訴えをします。自衛隊に決起を、憲法改正を求めて。しかし自衛隊員の野次とマスコミのヘリコプターの音で聞こえません。「人の心を動かすには地声で」ということでマイクは使いませんでした。自衛隊員の耳にも心にも先生の言葉は伝わらなかった。どんな気持ちだったでしょう。絶望したでしょう。三島先生は武士の作法に則って総監室で自害します。介錯は25歳の森田必勝ですが森田氏も後を追い。(先生は止めたのですが)介錯は荒地浩靖(旧姓:古賀)氏がつとめます。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」
昭和45年7月に掲載された「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」という記事です。
「生かせてもらえるなら主(あるじ)は誰でもいいや」「アメリカでもChinaでも恩恵を受けられればいいや」いま日本はそんな雰囲気に満たされていませんか。三島由紀夫先生、谷口雅春先生。お二人の共通点は天皇を中心とした国家観です。日本の中心には天皇がなければならないという点で一致しています。そのほかは異なる部分も多いですが私もこの考え方の影響を受けています。日本の皇統が途切れたら、天皇というものが残ってもそれは日本ではないと思っています。

両先生の悲願。自主憲法制定。
50年前の学生運動、私の立ち位置からはあの方向は間違っていたと思いますが、世の中を良くしなければならないという熱意はあったのでしょう。しかし50年後の今、若者にその熱気はありません。「からっぽな、ニュートラルな、中間色で抜け目がない日本」ただ先生。裕福な経済大国ではもうなくなっています。ここから下降線をたどることを日本人は選びました。そして先生方は信じられないかもしれませんが未だ憲法も改正されていません。自衛隊は違憲のまま法解釈で存在する公務員です。天皇を守る軍隊でもなければ、そう考える隊員の割合も非常に少なくなっているのではないでしょうか。
三島先生は、自衛隊の決起を促す目的で「祖国防衛隊」組織しようとしますが、その前段階として「盾の会」を作ります。「盾の会」で幹部を養成し「祖国防衛隊」の指揮を執る。これは自衛隊が直接治安維持出動できない隙を埋める間接侵略に備える民間防衛組織です。
先生の情熱は素晴らしいですが、当時の保守系の学生でさえそこまでの組織は作れませんでした。傍から見れば大変失礼ながら(私は決してそう思っていませんが)防衛隊ごっこで終わってしまったのかもしれません。50年後、我々は完全に骨抜きになって裕福な経済大国の地位さえ放棄して安楽を選択してしまいました。
三島先生が命を賭けて訴えたかったのは自衛隊の蜂起と言われていますが私はそうではないと思います。後世の我々に真剣に生きろ(考えろ)というメッセージを残したのだと思います。
三島由紀夫先生没後50年。谷口雅春先生没後35年の今、先生たちの想像をはるかに超えて日本は日本であることを捨てようとしています。それでもいいやといふ雰囲気に満ちています。否、そこまで考えていません。先生方に大変申し訳なく思います。私には何ができるのでしょうか。せめてブログなどという誰の目に留まるかわからないものを書いて、一人でも「それじゃいけないかもしれない」という若者に気づいてもらうことくらいでしょうか。憲法を改正し間接侵略への備えと民間防衛が、これからの日本には必要なのです。
合掌再拝。
藤井一中尉のご縁で
2020年09月13日
藤井一中尉に ご縁をいただきお笑いコンビ、アップダウンの竹森巧さんと知り合うことができました。知り合って日も浅く、お会いしたことも数度しかありません。相方の阿部さんともお会いしたことはないのですが竹森さんの表現者としての才能はお笑いの部分だけでなくシンガーソングライターとしてもなかなかのものです。
そんなお二人が共鳴して伝えていかなければならないと思ったのが陸軍の特攻機地であった知覧から昭和廿年五月二十八日に出撃された藤井一中尉と小川晃少尉のこと。二人芝居音楽劇『桜の下で君と』という作品です。劇はフィクションですから関根一郎中尉と久保玄七少年飛行兵になっています。

コロナ禍で講演活動ができずYoutubeで無料配信(9月22日までですが)されています。
https://www.updown-sakura.com/
私に発信力がないため拡散できず申し訳ないですが皆さんに一度見ていただきたい作品です。(無料配信ずっとやったらいかがですか?費用はクラウドファンディングで)
発信力と行動力もちろん才能も、すごく羨ましいです。たくさんの人にいろいろなことを知ってもらいたいと思っても、知っていただければきっと意義のある情報なのにということも一般人ではなかなか伝えることはできません。お二人の活動を通じて、このお話が世に広まることを望みます。どうか今後もいろいろなテーマがあると思いますが『桜の木の下で君と』が演じ続けられますように。
私の意見も一つ述べさせていただきます。
大東亜戦争にまつわる記録や伝聞が多くの映画やドラマ、教育者や語り部によって現代を生きる多くの戦争を知らない世代に伝えられています。しかしその多くは2度と日本が戦争を起こしてはならないという方向に偏るあまり、当時の為政者であった軍の上層部をはじめ政治家や天皇の責任と、それに乗せられて被害を受けた一般人や赤紙で募られた軍人軍属のような対立の構図になっていないでしょうか。皆さんの心の中に無意識のうちに植え付けられていないでしょうか。
私は公教育を受けて社会に出、二十代後半に韓国に10回ほど仕事で行く機会があったのですが、韓国人と普通の会話をするときでも何か壁を感じたし何となく罪悪感のようなものが自分の中にあることに気づきました。私だけかもしれませんが、これが戦後教育の負の成果だと思います。
回りくどくなってしまいましたが、日清日露大東亜の記事が完成したら理解していただける人が増えるかもしれません。大東亜戦争だけを戦後教育史観でみれば無謀な戦争に突っ走った日本が亜細亜にも自国民にも取り返しのつかない迷惑をかけたということになるでしょう。しかし我々はそろそろその史観から卒業したらどうでしょう。
ものの見方には一方から見たのでは真実は見えてきません。戦中に生きた人は、起きていた事実は見たのでしょう。焼夷弾が降る中防空壕に逃げた話は私の母さえします。ただそういう人が真実を理解しているとは言えないのです。戦後、教科書を黒く塗った世代(一般の人)はむしろ戦争の真実を知らない人が多いのです。今我々は当時を生きた人より真実に近い情報を得ることが出来る立場にいます。それを皆が知るべき時期が来ています。
劇中にも出てきましたが、多くの人の死を無駄にしないことが現代を生きる我々の使命です。無駄にしないとは単純な反戦に走ることではありません。『後の日本をたのんだぞ』託されたのは誰ですか、私たちには責任があります。無抵抗に蹂躙されろと言われたのではありません。日本の国体を護ってくれと言われたのです。
プロフィール
代表取締役社長:本間 剛1964年12月生まれ
東京電子専門学校
メディカルエレクトロニクス科卒
趣味 : 読書/仕事
座右の銘 : 吾以外皆吾師カテゴリー
- a) 会社や仕事について想う (17)
- b) 人生/社会観(若人へ) (59)
- c) 健康観(カウントダウン) (7)
- d) 体験/プライベート (28)
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- f)日清日露大東亜 (9)
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