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b) 人生/社会観(若人へ)の記事一覧

建国記念の日

2019年02月11日

 今日は建国記念の日です。 「建国をしのび、国を愛する心を養う」 という取って付けたような趣旨です。

 絵心もないので、フリー素材の「いらすとや」さんからいただいていますが、残念ながら弓に乗っている鳥が違います。ここは、サッカー日本代表でおなじみの「八咫烏」(ヤタガラス)そう、3本足のカラスじゃなきゃだめなのです。直すことも出来ないので、こままにしますが下の大日本名将鑑の版画も鳥は良くわからないですね。いずれも神武天皇(即位前なので神倭伊波礼毘古命)が東征中に熊野で道に迷った際に天の使いとして案内をした鳥です。それにしても建国記念の日を日本人がお祝いしないっておかしいと思いませんか。家では誕生日のたびにお祝いしてるのに。

 そもそもこの建国記念の日は最近出来たのです。というより、昭和41年にやっと復活したのです。そもそもは明治6年に定められGHQによって昭和23年に廃止させられた「紀元節」が基になっているのです。恥ずかしいですね日本。私の個人的な考え方ですがアメリカが敗戦国に『おすわり』と命じた。アメリカ人も忘れてるのに75年経って、みたらまだ座ってる。なんという忠犬。

 昭和40年当時、紀元節を建国記念の日として復活させた。よく出来たと思います。今では出来ないでしょう。そんなことに関心のある日本人がいないんですから。既に保守は絶滅危惧種です。

 ここからは一気に省略して書きます。日本には皇紀という年号があり今年は皇紀2679年です。西暦+660が皇紀です。神武天皇が即位したのが紀元前660年の旧暦1月1日だから、そして新暦のグレゴリオ暦の2月11日あたりがその日になる。ということで今日が建国記念の日なんですね。(今上陛下は第125代 現天皇の御世では元号は使いません 今上陛下です)

 紀元節の基となっているのは、日本最古の歴史書「古事記」「日本書紀」江戸時代の研究で そういうことになっています。神武天皇なんかいなかった。紀元前660なんていう歴史があるはずない。まして神様なんかいない。そういう意見ももちろんあります。尊重しましょう。でも、そういう人たちは同じことをキリスト教徒やイスラム教徒の皆さんにいえるのでしょうか。アダムとイブが楽園で生活していてイブが蛇にだまされてりんごを食べたなんて・・・・。って言えるのですか?

 少なくとも私は絶対に言えないし、どんな思想でもその始まりに異論を唱えるなどという愚かな考えは浮かびません各々尊重いたします。よく言われるように、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天下って、その孫の神武天皇が東征して橿原宮(かしはらのみや)で即位したのが紀元前660年前の旧暦1月1日が間違いだったとしても。男系男子継承が125代続いてるっているということが事実ではなかったとしても。少なくとも1500年以上はそれが信じられて日本人の心のよりどころとなってきたという事実を受け止めれば、現代を生きる私たちの義務としてそれを後世に伝えなければならないのではないでしょうか?というのが私のシンプルな考えです。科学的な女系論も結構ですけど、1500年の歴史をここで変える、少なくても信じているものが多数いるのに変える。その考えが1500年間紡いできた先人に対して畏れ多いというのです。天皇家に対してではありません先人に対してです。

 余談ですが「ゼロ戦」皇紀2600年(昭和15年)採用の海軍の戦闘機だったから零式と長年聞いてきましたが、最近はアメリカがそう呼んでたらかという話もあるんですね。ともかく、現在の建国記念の日は、すんなり決まった祝日ではなくて、大変苦労して復活させた日なんですね。あれから50年、どの家も日章旗が揚ってない。我が家の日章旗が浮いてます(雰囲気)。誰が予想しましたかこんなこと。もうDNAなんかどうでも良い(良くないのは皇族だけ)から、日本の伝統文化を守ろうという人に移民に来て欲しいです。お祭りも、祝祭日の行事も、そういう気概のある人にお任せしましょう。もしそうじゃなかったら、それこそ日本じゃなくなってしまいますよ。

法治の限界

2019年02月10日

法律に書いてないことは何をやっても良い。日本人はそんな者に成り下がったのではないですか? 子供の頃 相手に非難されると「そんな法律どこにある?」とよく言っていたものです。しかし今、世の中そうなっていませんか?

 

よく言われるように、日本人は自衛隊のことを信じていません。武器を持たせたら何をするかわからない野蛮人なので、自衛隊はポジティブリストによって縛られています。やっていいことしか決められていないので、そこから外れたら全部違法行為です。国際的な他国軍は日本人と違って信用できますからネガティブリストで運用されていて禁止されていること意外の行為は合法です。(この事はついでに書きました)

世の中に起こる事象全てを法律に書けない以上、法治には限界があるのです。限界が無いもの、それは徳治です。道徳によって治めるということです。(当HP企業理念も参考にしてください)

論語に多くの影響を受けた武士道、その教えを商売に結びつけた渋沢栄一。道徳と経済の一致です。

今荒廃した日本人の心に問います。まだ法治を追求するのですか、そろそろその矛盾に気づいて過去に学び、

徳の下の平等を目指したほうが、日本人が幸せになるのではないでしょうか。

 

『論語と算盤』に解説がありますが、西洋と東洋の考え方の違いは近いようで遠く、遠いようで近いですね。

    ・己の欲せざることを他人に施すことなかれ。 (論語)

    ・己の欲することを他人に施せ。 (聖書マタイ伝)

 どちらかというと私も、祖父母には論語のほうの言い方で教育されました。

 

詳しくは書けないのですが商業道徳上、大変残念な出来事がわが社に起こりました。先方は法律には反していませんが、道徳上は問題がある行為です。彼らは己の欲せざることを他人に施しました。力の差を用いて。

違法でないからそれでよい・・影響が大きい力のある者ほど弱者に対する自制が必要ですが倫理が荒廃している現代では難しいのかもしれません。法解釈して自分の行動規範にするよりも、私には祖母が言った『お天道様がみていらっしゃるから誰にも見られてなくても悪いことはしてはいけないよ』という言葉のほうが心に焼き付いて、今でも何か事を起こすときには遠い昔に亡くなった祖母の声が聞こえてくるのです。

日本人 覚悟はできていますか?

2019年02月09日

何の脈略もないような3枚の描画と写真、すべての日本人に問います。覚悟はできていますよね。

私は学者ではなく、数字上の統計や明確な根拠はお示しできません、しかしここに記すことの60%以上は正しい、肌感覚で実態を反映していると自負しています。そして私にも日本人として責任があり それを引き起こした結果から逃れることはできないと覚悟しているつもりです。最近テレビが日本人は素晴らしい番組を流していますが怪しさを感じなければなりません。馬鹿されていると考えましょう。

 

上の絵から説明します。エクセルで描きました。日章旗が下駄の上に載っているのですが高下駄が擦り減って地面に着きそうです。何が言いたいのか。日本人が素晴らしいなんてことはありません。過去の日本人が後世の我々のために下駄を履かせてくれていたのです。そして我々は次世代の日本人のための下駄を新調せず自らに使ってしまい擦り減って高さがなくなってしまったのです。

恥ずかしながら自らの体験を記します。私には娘が一人おりますが、この子に下駄を履かせたのです。小学校に上がる前に既に割り算や、面積の計算、文章の読解等を私が指導して習得させていました。但し、それが下駄だと解っていましたので、中学校までしかアドバンテージがないことは、娘にも言い聞かせ私自身も解っていました。娘は自分なりに努力し、埼玉でも難関の高校に進学はしましたが、やはりそこから先は厳しいものがありました。他の人たちも相当の努力をしているので相対的に位置を保つことが難しくなってしまったのです。

 

何が言いたいかわかりますか。私たちが素晴らしい人種などということは有りません。先人が後世の私たちのために築いた下駄に載っただけです。そして罪なことに、私たちは後世の下駄を作りませんでした。そして時間とともに世界で、アジアで、日本の地位を低下させました。

下の写真2枚は カッコウの托卵です。托卵する鳥は何種類かいますがカッコウは有名ですね。オオヨシキリ、ホオジロ、モズ等の巣に托卵すると、なぜか一番初めに孵化し他の卵やひなを巣から落とします。(真ん中の写真はカッコウのひなが他の卵を落としているところです)今申しておきますがこれは日本人に気づいてもらう例え話に鳥の話を用いたもので他の国の人を貶める意図はありませんので誤解しないでください。一番下の写真は托卵された鳥が、自分より大きくなっているカッコウの雛に気づいてか気づかずか 餌を与えている写真です。

托卵の話を日本人と他のアジア人(主に中国)に例えたのは品がなく申し訳ありませんが、日本人の自覚を促すためにちょっと強めの印象が残る引用をさせていただきました。

日本から中国へのODA終了が決定したのは2018年です。 対中ODAは,1979年に開始され,2016年度までに有償資金協力(円借款)を約3兆3,165億円,無償資金協力を1,576億円,技術協力を1,845億円,総額約3兆円以上のODAを実施してきました。2011年にGDPが逆転していたのに。しかも感謝されることもなく。

そして今、日本の大学の優秀な学生さんは中国人です。日本人は奨学金で借金漬けにしますが、外国人には補助を出して勉強していただいています。おかしくありませんか。中国人に学ばなければなりません。彼らは意識も高いです。しかし、本当の優秀な中国人が日本に学びに来ていると考えてはいけません。

精華大学、北京大学のほうが東大よりランクが上です。私は上海の10代のエリート学生から生の声を聞きました。本当の優秀な学生は精華や北京、またはアメリカの上位校に留学します。日本に来ている学生さんは、もちろん優秀な人が選択している場合もありますが、富豪層のエリートの次の層の人が多いそうです。そしてそういった人が日本の大学に入ると皆上位に居るんです。人数と学力、何より意識が違うのです。現実を知りましょう。

 

採用論文数でアメリカを抜いて中国が世界一になりました。これらの事実を考えるとき数十年後の日本が見えます。もっと早いかもしれません。我々の産業界では、私の予想より早くいろいろなことが動いています。日本の中小企業がアジアの国のエリートに会社の後継者になってもらう動きを始めています。私の知るケースで外観上の会社は変わっていないのに、経営者名義がアジアの外国人になっているケースが増えています。 皆さん覚悟はできていますよね。 二宮尊徳の銅像を撤去している間に、現実はこのように進んでいます。労働力の補助に外国人を受け入れているつもりがいつの間にか、上司も外国人ということになります。日本の主役が外国人になります。日本人が選択した道ですのでそうなったときに、不満を言ってはいけません。

祝 成人の日

2019年01月14日

新成人の皆様、ご家族ご親族の皆様、おめでとうございます。

本日は成人の日です。快晴に棚引く日章旗が 『おめでたい』感をいっそう高めてくれます。

おめでたい日には皆で日章旗を掲揚すれば(昔はそうだったですが)街行く人々皆に『おめでたう』といいたい気持ちになって、街も国ももっと明るくなると思うのですが・・・

 

国民の祝日に関する法律によりますと成人の日の定義は

『大人になったことを自覚し自ら生抜こうとする青年を祝い励ます』

だそうです。新成人自らと、それ以外双方のことが書いてありますね。

大人の自覚って何でしょう。個人によって意見が大きく分かれるところですが、私の考えを記させていただきます。

 

仏教用語にも生老病死という不可避の人間の4種の苦悩があるとされていますが、これなど典型的な現代のいけない日本人的志向(仏教徒のかた申し訳ありません)だと思うのです。

この世は循環型になっていて全てが順番に巡ります。順番に巡りながら繰り返さないと進化(深化)しないからです。1度だけ、その場だけの経験や体験しか許されていなかったら、何かに気づいてもやり直しが出来ません。また、1度だけでよい、その場だけでよい、自分だけよければよい、未来を担う人のことなどどうでも良い、ということになってしまうと人類全体の心(魂)が進化しなくなってしまうのです。

だからここでいう経験とは何千年も繰り返してきた先人の経験や体験も含めてのことです。自分の人生は自分だけのものではなく気づきや反省が輪廻転生を繰り返して実は人類全体の進化につながっているということなのです。だから、循環を止めてはいけません。

 

経済的に結婚することが難しい。家族を持つことはリスクだという個人的な考え方がいつの間にか蔓延してしまいましたが、私たちの世代や私たちの親の世代には、貧乏人の子沢山を地でゆく家庭がたくさんありました。卑屈にならず笑顔で幸せに暮らしていた経済的には恵まれない家庭なんか沢山あったのです。

 

私の父は北海道の端で昭和11年生まれ、4男4女の6番目、祖父は父が幼少の時に亡くなりましたが、家族兄弟が助け合って大変だったけれど幸せに育ちまして、1人欠けましたが7人兄弟仲良くやっています。さすがに長女が100歳に近いですから、元気というわけにはいきませんが、当時はそういう家庭がある程度ありましたし、格差も今以上にあったのです。それでも誰も道を踏み外さずに幸せな大人になりました。

物質的な視点だけに立って先人の価値観を失ってはいけません。物質の富と、物質以外の富があります。私は目に見える現実の世界よりも 目に見えないものや事に真実があると思っていますし、そのような体験もしています。

 

新成人の皆さん、あなたの存在は今のあなたの身体だけではなく、あなたの人生は過去から紡ぐ糸の一部だということ、その糸はそんなに弱いものではなくて、縦横に繋がって強い生地になっていくことを信じて、『善意を基準にして』精いっぱい天分を発揮して世の中を自由に泳ぎ回ってください。私はそんな若者が大好きですし応援したいと思っています。多くの大人や先人(人類意識)はそう思っているのです。直接的な支援がなくてもそういった念はとても大きな力となって、きっとあなたたちに力を与えてくださるはずです。

過去の事実を知らないことは恥ずかしい

2018年12月19日

熊谷に住んで40年以上経ちましたが、子供が生まれるまで知らなかったことが幾つかあります。

何でこの地に航空自衛隊があるのか、近くに御稜威ケ原(みいずがはら)という仰々しい地があるのか。

疑問に感ずることも無くただ存在を認識しているだけで過ごしていました。チコちゃんに叱られそうです。

 

御稜威(みいつ)とは天皇や神様のご威光と知ったのも30過ぎてでした。

私も素直なものですから戦後教育を受けて公権力に抵抗するのが正しい道などと考えていた時期があり人並みに日本人をどこかで軽蔑していたのですが、子供が出来てインターネットが普及し、正しい伝統を教えてあげなければなどと調べているうちに段々 今までの自分の生き方が恥ずかしくなったわけです。ごく近代の事実も知らないで教えてあげようなんて、とんでもないことでした。

近代史は教育でもっとも軽んじられているというより避けられていますから、自分で調べないと知らないまま歳をとってしまうのです。せめて自分の地元はどうだったのか自衛隊をきっかけに簡単に記してみます。

 

埼玉県内には陸軍の飛行場だけでしたが 熊谷・桶川・越谷・児玉・坂戸・狭山・高萩・所沢・豊岡・丸山と10箇所も飛行場があったのです。

関東だと60です

・昭和10年に熊谷陸軍飛行学校ができ学校として中心的位置づけでした以後全国に分教場が開設されます。

・昭和10月10日皇陛下が行幸され訓練などを御覧になられたことから飛行学校長江橋英次郎陸軍中将が

 この飛行場を「御稜威ケ原」と名づけます。

・昭和20年の敗戦で『アメリカ陸軍に接収』され昭和33年に返還されます(13年間アメリカだった!)

・昭和33年航空『自衛隊熊谷基地』となります。(自衛隊は住所上 拾六間で御稜威ケ原ではありません)

 

そして今、私は拾六間に住んでいます。歩いて自衛隊までいけますし、丸刈りの若い自衛官とよくすれ違います。

しかし、このたった70年前の簡単な歴史を知っている人がどれだけいるのでしょうか。

 

春には自衛隊で桜祭りがあり大勢の人でにぎわいます。お祭りでありイベントです。

今年はF-15戦闘機×2機による航過飛行 CH-47Jの展示と飛行(パイロットは女性でした)

ブルーインパルスの飛行は行われない年のほうが多いです。(一番盛り上がるのですが)

 

お祭りは皆楽しそうなのですが、楽しいだけじゃなくてちょっと前の人たちにも想いを寄せて欲しいと

私は思っているのです。

師走です

2018年12月02日

師走になりました。戌(いぬ)年も終わりですね。歳をとると時間の経過が早く感じますが、蓄積された年月が長くなるために段々分母が大きくなって何年分の1ということで1年が短く感じという説があります。

人間の1日は犬の1週間、一緒にいられる時間が短いから時間を大切にしなければと思いますけれど。誰も他人や自分の時間がどれだけあるかは解らない、時間は大切。『美人薄命』はそういう意味もあります。現世の時間は有限。人との愛情も葛藤も短い大事な『とき』なのです。この何よりも大切な『とき』を活かさないと生きている甲斐がないというものです。

自分探しをしている人へ(特に見つからないとき)

2018年11月11日

不肖若かりし私です。免許証の取得年月が昭和56年1月ですから軽く30年以上前の写真。本当に年月の経つのは早くてそれぞれの写真を撮ったときのことが鮮明に思い浮かびます。当時言われたオトキチ時代ですね。

 

なぜこのカテゴリにこの写真なのか、単に自分の写真を載せたいだけか。とお思いでしょうか、この写真は16~19歳の写真なのですが、このときでさえ自分は将来どんな仕事をするか考えていなかったのです。

 

このことに関しては、自分の子供に何もいえません。反面教師として将来を考えなさいということは言えますが、実は将来のことは何にも考えなくても何処かに収まるようになっている。というように信じています。

 

条件があります。どの場においても『一生懸命に自分の本分を生かす』という事です。これをやっておくと、自然に自分の運命が決められた方向に導かれて収まる。少なくても私はそうでした。

 

免許を持っていない高1春から、毎日欠かさずバイク屋さんに通っていました。閉店までいて、バイクを仕舞うお手伝いをして帰ってきていましたが お店には迷惑だったと思います。そこで知り合った水道屋の社長のところで休みの日にアルバイトをしていました。高校から社会人までベテランの職人さんの期間助手をしていました。水関係の仕事との出会いです。

 

就職率100%を謳う専門学校を 親に出させていただいたにもかかわらず何がしたいのか、卒業間近でさえ決められず。自分で決められないなら学校が指定したところに就職してもらうといわれました。

求人票のどれもがピンと来なかったのです。期限前に週間就職情報という雑誌を買い、自動車ディーラーの営業マンになりました。別なところにも書きましたが、恥ずかしい話、当時はお金を稼ぎたかったのです。全戸飛び込み訪問セールスです。車は売れましたがお金のことばかり考えているので、色々なことでトラブルになります。結局サラリーマンでは売れる車も限られるし先も見えるしで退職し、水道屋さんの頃の伝で 大手ポンプメーカーのメンテナンス下請け会社に、いずれ独立することを前提に雇ってもらいました。また液関係に戻ったわけです。一人前になるのに普通2~3年掛かるところ、物欲と向上心があるもので半年後には1人でどんな現場にも行けるようになりました。  ただ、どうしても汚水ポンプだけは苦手でした。

 

ポンプはセントラルヒーティングの冷暖房の切り替えの時期、動作させていなかったものを使い始めるのでトラブルが多いのです。ある高級住宅に行ったとき。ポンプが古くて部品がなく、その場で直せませんでした。そのお宅の奥様からかなりヒステリックに罵倒され、それ以降仕事に身が入らない、今でいうパニック障害みたいな状態になってしまいました。会社や工場には行けるのですが個人宅には行きにくい。

 

そんな時、ある商社が、これまた2~3年奉公すれば北関東の販売権を譲っても良いという話を真に受け東京に出たわけです。この販売権の話は又聞きだったですが、社員500人の中堅商社でエレクトロニクス事業部は非常に儲かっていたのです。行ってみたら、実は立ち行かなくなった製造会社を買い取ったのだが人手が足りないので手伝ってくれという全く違った話に替わって。1週間だけたのむ → 1ヶ月 → 3ヶ月 → 半年 → 何年か とやっているうちに、その商社そのものが倒産してしまい。全てのお話が無かったことになりました。

 

お察しかもしれませんが、その買い取った製造会社というのが半導体の洗浄装置メーカーだったのです。それ以降も紆余曲折はあって今に至るのですが、結局私の運命は、一番最初にバイク屋で常連の水道屋の社長に会ったときから、液関係へ液関係へと進んでいって今ここに至ったということなのです。自分が望んだこと、やろうとした事は実を結ばなかったけれど、どの場面でも一生懸命やっていたら、自然とここにいたのです。

 

長々申してまいりましたが、自分探しとは、見つけることではなく、既に与えられた(知らされていない)天分に載ること。だと私は考えている訳です。それは自分で見つけられるに越したことはないのですが、どうしても自分が見つからない人には、『どこででも自分に与えられた場所でベストを尽くしなさい、あなたが考えなくても本当の自分が出てきます』ということをお伝えしたいと思います。

人手不足の時代だから考えて欲しい

2018年10月20日

何年か前に あれだけ人あまりで就職氷河期だったのに、今では人手不足倒産や廃業が深刻な問題になっています。政府は外国人労働者に対し段階的に敷居を下げ単純労働者にもも永住権を与える方向にすすんでいます。

この流れを私が懸念しているのは、このことがもたらす日本の行く末です。日本の労働は日本人が担って当然です。なぜ外国の人に頼るのですか。本当に人が足りないのでしょうか。日本人が嫌うことを外国人にやらせているだけではないですか。

 

100年前の日本人と現代人の違いは(比較が古すぎましたか?)人が嫌がることを進んで担う気概が日本人に感じないということです。若い人だけではありません日本人全体の劣化。警察官や学校の先生、政治家や官僚が毎日のように問題を起こしますけれども、彼らが劣化しているのではなく全体が沈下しているのです。精神の劣化が、社会の劣化をもたらしているのだと思います。人が嫌がることを進んで行う。『四海の人を導きて正しき平和を打ち立てる』 日本人の気概はどこへ行ったのでしょうか。

 

私どもの生業であるものづくり。ここ何年で何十人という若者と面接させていただきましたが、気概を感じさせてくれた人は殆どいません。共感して採用したかたも、殆どが挫折して去っていきます。会社が白黒の問題だけではなく。ものづくりを目指す人が困難を避ける。ものづくりだけではありません。今の世の中、自分に与えられた使命に誇りを感じる前に困難を感じてしまう。だから他の人にやってもらおうと考えてしまう。かつての日本人は逆だったはず。他の人を導いてよくしてあげよう。自分も成長しよう。お互い伸びていこう。そういう精神が今少なくなっていませんか?

 

その気概を日本の若者が取り戻したなら、日本政府が時期尚早と気づいて日本人の心の問題を先に対策すれば移民政策も成功するでしょう。二宮尊徳は荒廃した農村を立ち直らせるには、公金を使う前に人々の徳を高めないと無駄と宣言して、自ら現地に赴いて人心の改造から着手し成功させました。現代で言えば外国人労働者が働いてくれる以上に日本の若者が率先して働きともに自らの徳と報酬を伸ばしていく。(日本人ばかり優遇されては不平等です)そうでなければいけません。

 

私は体験上、介護現場はそんなに心配していないのですが、建築、土木、ものづくりに日本の若者が働き口を求めていない状況にある種の気持ち悪さを感じているのです。誰でも勤められる職をみんなが求めているように感じます。自分にだけしか出来ない仕事に苦労してでも取り組んで、次の世代の指導者になろうという若者が私の近くにいないだけでしょうか。そんな仕事がたくさん若い人を待っていますよ。

さあみんなで自分の使命に気づき自分を伸ばしていこうではありませんか。生命の使命は伸びること。

生活と会社

2018年10月13日

生活の中に仕事があるのか、仕事が中心で生活が後付か?人の考えは色々だと思います。
ただ、2つは切り離せないし生活も仕事も自己実現や表現の手段であることは間違いありません。

 

「そんなことはどうでも良い。ただ自然と時間の流れに身を任せていく」という生き方も否定しませんけれども。
どうせ生まれてきたからには、今居るポジションで自分をどう成長させるか。或いは短期の目標をどう持つか。
ゲーム感覚でも良いから、そんな考えを持って取り組んではどうですか。

「社長はそういうけど、そんな余裕ないよ」という声が聞こえてきますが、私は今だにそう心がけています。

 

若いうちは短い時間に何度も転職したりアルバイトしたりしました。恥ずかしい話、バブルだったこともあり、
当時はいつもお金にとり憑かれていたのです、よりお金になる仕事をいつも求め転職していました。

車名だけだったらポルシェ911もメルセデスもBMWも所有しました。みな中古でしたが、だれでもお金が借りられて返せなくなる心配なんかしない時代だったのです。

 

いろんな業種を経験しましたが、どんな分野でも長期、中期、短期の目標を立て、どうすれば実現するかを常に考えていました。また、手を抜くことだけはどの業種でも絶対にしませんでした。(どの職場でも、あんちゃんは偉いねと言われました)   その経験、今生きてますか?と聞かれれば、どんな業種でもやったなりの成果は出る(それ以上は出ない)ということとと何をやってもどんな小さなところにも、やりがいや喜び(感謝)を感じられる体質になったと思っています。

 

そう、普通の人が詰まらない、割りに合わないと思うところにでも喜びを感じられれば、

どんなところでも幸せになれます よね。