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2019年6月の記事一覧

少子化を真剣に考える(2) どうしてこうなったのか。

2019年06月08日

私は、維新を成し遂げて5大国の仲間入りをした明治の人々、そして過去最大の国難であった大東亜戦争を生き抜いて戦後復興をなした人々、身命を賭して日本を守った英霊に感謝しています。「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし、負けたとしても、その後どうなるのです。おわかりでしょう、われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに」特攻で散華した西田中尉の言葉です。そういった御霊の念の上に生かさせていただいていると思っています。民族の誇りを後世に残そうと考えた先人。やがて私たちも先人といわれるようになるのですが、こんなことで大丈夫でしょうか。

 

私はニューソート思想ですが、現実がすでに手遅れの状態であり私一人の力ではどうにもならないことに絶望的な気持ちになってしまっています。誤解を恐れずに申し上げれば、団塊世代の前後とその上の戦後に教科書を黒く塗りたくった世代が諸悪の根源だと思っています。彼らに感謝すべきことといえば高度経済成長を成し遂げた。それだけ。経済だけ、物や お金だけ。立派に貯めていただきました。でも自分たちでも使いましたね。後のことを考えずに・・・・ その上、年金も この世代の人が一番もらっているわけですが、そのシステムも次世代の人のことなど考えていません。次の世代のために心の教育を一切しなかった。戦前が全否定されたことに乗っかって出来なかったというのが本当のところ。悲しいかな自分で考えることをせず欲に生きた世代。

 

どういう日本を後世に残すのか。政治家がこんなことを語ってるのをあまり見たことがありません。報道されないだけなのか、本当に今のこと、自分が当選する方便しか考えていないのか。。。落選してでも主張すべきことは主張する、また耳障りなことでも我々も聞くときは聞く、お互い過激な反応はしない。そうならないと毎日揚げ足取りの政治ごっこでウンザリ。世に影響力ある彼らが駄目世代の代表だから。駄目世代の跡継ぎですから。

 

新渡戸稲造は「武士道」のなかで日本には宗教の授業と聞くがどうやって道徳教育をするのかと問われ道徳観念を自分に吹き込んだものは武士道だったと述べている。儒学を基にした武士道にせよ山鹿素行の士道にせよ。高い道徳性を求めたものであって10%弱の人口しかいなかった武士だけのものではなく、その精神は広く藩や家庭で伝えられたものだったわけです。 

 

武士道は古すぎでも「親の恩は子で送る」「報恩感謝」「徳を以て徳に報ひん」等の日本人的価値観はどれも人は一人では生きていけないのでよい人格の人間を育て世代を超えて循環させてく必要性、そうでなければ大きな集団として永続しないことを昔の日本人は悟っていたということです。

少子化を真剣に考える(3) どうしてこうなったのつづき。一部脱線

2019年06月08日

たった1度 戦争に負けて日本人の善良な部分まで全否定されて信じるなんて、素直というか愚かというか、占領政策が日本でしか成功しなかったのは日本の特殊性ゆえであり、アメリカに誤った成功体験を与えてしまいました。日本は間接侵略に成功した初めてで唯一のモデルケースなのです。少子化も影響を受けています。
「分断して統治せよ」は他国統治のセオリー。個を増大させてまとまりを小さくする。(まとまらないようにする)日本は嘗て皆で力を合わせて命を掛けて戦争する厄介な国だったのです。戦勝国や隣国はこの国の力を武力を使わずに削ぐために占領中に種を蒔いた訳です。今ではアメリカに占領されていたことを知らない日本人がいるのです。その7年間の統治の中で何が行われたかも。。。

 

天皇にとって国民は大御宝です。もっとも大切な国民になぜ戦争させなければならなかったか開戦の詔勅を読みましょう。話がズレました。戦後天皇は象徴(お飾り)になりました。財閥は解体され財産は没収されました。農地解放で小作が土地を貰い受けましたが、売って金にしたり、放棄したりバラバラになって個人ではやっていけなくなっています。株式会社が運営して農地を大きくしたいなんて、それじゃ昔のやり方でよかったじゃないですか。(もう土地がばらばらで戻せませんが)組合ができて今は協調路線ですがちょっと昔は激しい労使対立があったものです。社員は家族と言っていた松下幸之助や明治生まれの企業人はどう思ったでしょうか。

 

さて、本テーマの少子化に直結の人工妊娠中絶の話ですが、女性にとってこの選択が如何に大変で心身ともに永く深く傷つくものであるかは私も身近に例がありますので知っているつもりです。やむを得ずその選択をした皆様に異を唱えるものでないことをまず申し上げておきます。

 

明治刑法で墮胎の罪を定めて中絶した者や中絶を介助した者には刑事罰がありました。家族や後見人が中央優生審査会、地方優生審査会に申請を行うことで絶対に中絶できないというものではありませんでしたが相当ハードルが高かったのです。敗戦直後の優生保護法において実質的に妊娠中絶は合法になりました。出産は女性の負担だから産む産まないは女性の権利のような言い方もされるようになります。1949年(昭和24年)の法改正により、経済的な理由による中絶の道が開かれたこと1952年(昭和27年)に中絶について地区優生保護審査会の認定が不要となって中絶のハードルが完全になくなってしまったということになります。

マザー・テレサは1981年、1982年と二度の来日で、この豊かな日本で中絶は必要ないとして反対を訴えていますしかしノーベル平和賞の力を以っても合法的中絶はとめられませんでした。 1996年(平成8年)の法改正により、法律名が現在の母体保護法に変更されました。

少子化を真剣に考える(4) 現実をみて、ではどうする。(個人的な考えです)

2019年06月08日

母体保護法は厚生労働省の管轄です。調査結果も政府統計総合窓口ホームページで公表されています。左の表はダウンロードできる表を並び替えたものです。総数とは、その年度ごとに届出がされている人工妊娠中絶数です。届出がされないで手術されている数のほうが多いのではないかという話までありますので、これが実数とは考えられません。昭和30年から平成29年までを足すと、ほぼ3,500万件、実数は1億件を超えているという説もあります。現在子供が産める年齢になっているであろう昭和60年から平成5年くらいまで平均50万件くらいの中絶が行われているので、婚姻率も下がっていますがそれを無視して半数が女性だとすると、人口減少の一因だったかもしれません。救いは絶対数が年々減っていてピークの1/10になる年も近いのではないかと思えること。本当はゼロにしたいですが、母体に危険がある場合は当然、母体優先の選択としてあるべきです。

では問題の解決方法です。

 

*現在でも行われ続けている人工妊娠中絶。10代の妊娠や母体の危険性などはもちろんケアしなければなりませんが、なるべく産んでもらうことはできないでしょうか。今の日本人は血統にこだわりすぎです。血統が大事なのは男系男子の皇統だけ。それ以外はたとえ実の親子であっても子殺し虐待が当たり前のように報じられる現代の日本社会では、血のつながりがなくても縁と愛で繋がっていることのほうが大事です。これだけは私は当事者として確信しています。産んでいただくだけで結構。あとは「親の恩は子で送る」精神で立派に育ててまいります。という志のある人がたくさんいるはずです。そういったことが容易にできる社会の仕組みにしていきましょう。

 

*最も深刻なのは日本人の道徳と胆力の低下です。「他人と同じやなきゃ嫌だ」「我慢できない」という大人を沢山製造してしまいました。(団塊前後が)昔の人が見たら日本人も変わったなぁと言うことでしょう。どういう振る舞いが日本人らしさかということを、戦前否定によって知らされなくなったため日本人としての矜持とか誇りが完全に無くなった、ただの大人しい人間ばかりになってしまいました。再教育を行うには本当の現近代史を大人に教育すること。団塊前後世代は無理です諦めです。世の中の良心的で素直な人に日本人の姿を知らせましょう。GHQによる占領以降日本の教育を歪めてきた教育関係者やマスメディアなどの運動家がこの世の中を作ったのです。責任を取ってもらいましょう。(改まるとは思えませんが) 個を肥大させ、弱者を強者に育てるノイジーマイノリティ優位の社会。こういったことを改め元々あった共助の精神を取り戻して再生できれば、たとえ少子化しても日本人はやっていけるはずです。私が生まれた川崎区桜本町。貧しい子沢山の親たち、国籍が違っても同じ日本人として皆笑って生活していました。月にいくら以上ないと生活できないとか、他人と同じ待遇にしろなんていわずに子宝に囲まれて幸せそうでした。そんな社会にするには心の訓練が必要です。差があって当たり前。貧乏でも幸せな日本人が沢山いた時代がちょっと前にはあったのだから取り戻すこともできるでしょう。

 

*物を多く持っている人が偉い(成功者)という価値観は日本人として間違いです。むしろそういうものは溜め込んだら恥。唯物論から元々の唯心論へ戻りましょう。持たざるものでも心が整っている人こそ尊敬される社会にならなければなりません。自分のできる範囲内で、どれだけ人に尽くせたか、愛せたか。その最も近い対象が子供や妻夫という家族。もちろん例外はあっても良い。しかし多くの人がそうであって欲しいです。経済力が弱くても夫婦仲良く、親は子を、子は親を大切にして仲良く暮らす。家族、地域、社会、国家を想う生き方こそ尊い日本人の生き方です。(教育勅語に書いてあることでした)教育勅語をみんなで読みましょう。二宮尊徳の像を復活させましょう。二宮尊徳がを背負って本を読んでいるのは、両親を失って叔父に世話になっていたとき、夜、本を読んでいると使っている明かり用の油は叔父のものだと言われ。親の残した荒地で菜種油を育てて使っていたら、お前の時間も叔父のものだと言われたので止むを得ず。槙を運びながら本を読んだのであって、スマホしながら歩いてる現代人とはレベルが違うので、まねしたら危ないと学校から撤去されるのは、そういうことを知らない、知ろうとしない人がやっているんだと思います。ちゃんと説明すれば、そういった感覚的な教育のほうが危険だということがわかるのです。

 

こういったことの積み重ねがやがて日本人を元の姿に近づけ少子化はとまらなくても緩やかになり、また少子化してもやっていける国になると信じていますが、私には力がありません。ネットの力、発信力の大きい人がぜひ提案していただきたいものです。安倍 晋三さん。あなたが言ってた日本を取り戻すってそういうことじゃなかったのですか。私は期待してしまいましたよ。今は失望しております。

少子化を真剣に考える(5) 現実をみて、ではどうする。まとめ。

2019年06月08日

結婚というものにネガティブなイメージを描く、または間違った(私から見て)考えを持って独身でいる人が多いように思えます。動物が本能に基づいた生殖で結びつくのと違って、現代の人間の場合は動物にない何かによって結びついているはずです。貧しい国では子供は労働力として、日本でもかつては売り買いされたという事実があるのです。しかし現代は日本史上最も自由な状況で家庭が営める時代を生きているのではないでしょうか。(これから先は私たちが子孫のために環境を作ってあげる番です)戦後は「女性の地位が低く、生活できないから結婚するしかなかった」「ご飯の支度などの家事労働のために嫁をもらった」等も実際の動機としてあったとは思いますし、これらが時代が変わったことで動機から外れたことで婚姻率が下がっていることは間違いないでしょう。

 

私個人も結婚は早いほうではなかったし、子供も独りしかいません。個人的には里親制度や特別養子縁組にも取り組みたいと思ったことはあったのですが、自分だけでは決められないし難病持ちとなってしまった今ではあきらめています。私は何かを期待するような結婚というのは動機として順位をかなり下げないといけないと思います。

 

自由が大きくなると婚姻率が下がる。先進国(経済的向上)では皆同じような出生率が低下傾向があるわけですが、日本だけはそうなって欲しくなかったです。経済的に豊かになって(ピークは過ぎても比較すれば豊かなほう)自由が拡大しても日本人は婚姻率、出生率とも下がらなかった。というようになって欲しかった。

 

結婚とは自分が何かを望んだり、何かをしてもらうことではなく、自然と催してくる他人のために何かをしてあげたくなる。この人のために役にたちたいという思いが出てこないとできないことだと思います。ある一定の年齢になれば自然と催してくるはずの感情を、実現できないんだと感じてしまうのはマスメディアや団塊前後世代が作った価値観にあるはずです。だから その世代の子供の年代で婚姻率が下がっているのです。これは、家庭教育、学校教育、社会の価値観が間違っている(主観)からで、そんなことを言ったら私ども中小零細企業に勤める人間なんて結婚できないということになってしまいます。

 

男性は総じてシャイです。戦国時代から日本人は男女同じに育てると、男は男にならないことを知っていたから子供のうちは「男女七歳にして席を同じゅうせず」(違う解釈が多いが)だったのです。私の周りでも男女とも独身が多く、結婚に関してあきらめていたり悲観的に考えたりしている人が沢山います。ここで昔は世話を焼く周囲が動いて相手を探したり、無理やり結びつけたりしたのですが、いまは出すぎたことを憚る世の中ですので、単身者の家族も困ったものだということで終わってしまいます。

 

「経済的にいくらないとやって行けない」「非正規では結婚できない」シャイな男性側がこういう思考に陥っていたら女性から声などかかったくるはずないのですから、一生独身決定です。人のためになりたい男性に言います。シャイなおっさんは可愛くないです、勇気を出して行動しましょう。出会いを待つ女性に言います。不器用でカッコ悪い男性の話しも聞いてみてあげてください、良い所がきっとどこかにあります、後から味が出てきます。二人で前向きに明るくまじめに生きれば乗り越えられない壁はありません。きっと誰かが手を差し伸べてくれる。運が開けてくるのです。

 

人のために働くことの喜び。一緒に食事をして「おいしい」と言っている相手の笑顔見たときの喜び。こんなもと思うことが結婚の見返りとして充分だということ。経験者だから言える、これだけですごい幸福感を得られます。イメージとしては結婚前は白黒の世界に住んでいたが、結婚したらカラーになったくらいの違いがあります。(白黒テレビ知らない世代には伝わらないか?)

 

「家族を持つためにがんばるぞ」「子供のために耐えるのだ」ということが、私にどれだけの力をくれたかわかりません。結婚している人はみなそうだと思います。結婚していない人には「その程度?」と思われてしまうかもしれません。でもそれで充分ときっと思えます。誰かのために生きたい。そんな気持ちが出てきたら実行しましょう。明るく積極的にいきましょう。きっと雲の上で将来のあなたたちの家族が見ていますよ。そういう話もよく聞きます。希望は生きる力の源泉というタイトルの記事も書きました。まさに婚姻は生きる希望を沢山生んでくれるのです。

 

 

藤井一 中尉のこと。(1)

2019年06月02日

5月28日は藤井中尉のご命日でした。私は毎週土曜日に(本当は毎日しなければいけませんが)先祖その他の御霊に読誦するので、藤井一中尉にも聞いていただけるように読みました。これは多くの悲劇の中のひとつです。戦争は狂気でありかかわる人間も狂わしてしまいます。私はこの地に縁をいただいたことでこのことを記します。恒久の平和を祈って。

 

熊谷陸軍飛行学校の藤井一中尉のこと。webで調べてみてくださいと以前書きましたが、調べていないかたのために簡単に書かせていただきます。詳しくはyoutubeで「藤井一」と打てば良く編集されたものがいくつか出てくるので見てください。

 

藤井中尉(後に2階級上がり少佐)は陸軍航空士官学校卒でしたがチャイナに赴任していたときの怪我でパイロットにはなれず熊谷陸軍飛行学校で軍人勅諭に基づく精神訓話の教官をしていました。生徒には「事あらば敵陣、或いは敵艦に自爆せよ、中隊長(藤井中尉)もかならず行く」いつも言っていました。本来心根は優しくても教育は厳しい中尉は戦況が悪くなるに従って送り出した生徒との約束を果たさなければと苦しみ、家族に内緒で特攻の嘆願を何度も出します。家族もあり教官でもある中尉の嘆願は受理されるはずもないのですが諦めません。やがて妻のふく子さんにそのことが知れます。ふく子さんは中尉の性格を知った上で何度も止めるように説得しますが聞き入れてもらえません。覚悟を決めたふく子さんは中尉が週番司令として一週間宿泊勤務するため家を留守にした日、昭和19年12月14日、一子ちゃん(長女3歳)千恵子ちゃん(次女1歳)に晴れ着を着せ、荒川に向かいます。

河川敷で一子ちゃんと自分を縛って離れないようにし千恵子ちゃんをおんぶしたまま入水し翌日発見されます。

3人紐で結ばれたまま離れず蝋人形のように並んで河川敷に寝かせられていました。このことは軍が徹底的に管理し外部には漏れず。葬儀も極秘で行われたそうです。ふく子さんの遺書には「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、存分の活躍ができないことでしょう。お先に逝って待ってます」と書かれていました。いつも豪快な中尉が呻くようにふるえていたそうです。葬儀の後一子ちゃんに宛てて読まれることのない手紙を書きます。

 

このことで誰もが藤井には死しかないと思ったそうです。中尉は軍に血書嘆願を出します。今回ばかりは受理されました。事件のため中尉は鉾田陸軍飛行学校へ異動になります。熊谷陸軍飛行学校でささやかなお別れ会が催され学校の幹部や生徒達がお金を出し合って軍刀を送ります。しかし、あの事件のことは公になっていないので誰も口にしませんでした。昭和20年5月28日、第45振武隊として小川彰少尉が操縦する機に通信員として搭乗し出撃「われ突入する」の電信を最後に散華されました。天国で家族みんなとやっと会えたのでしょう。一子ちゃんは手紙を読んでイヤイヤせずに中尉の胸に抱かれたでしょうか。知覧の平和記念館のこの遺書はイラストと文字に藤井中尉の人柄が良く出ています。鹿児島を訪れた際は訪ねてみてください。

一子ちゃん宛ての遺書


冷え十二月の風の吹き飛ぶ日 荒川の河原の露と消し命。母とともに殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、一足先に父に殉じた哀れにも悲しい、然も笑っている如く喜んで、母とともに消え去った命がいとほしい。父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。嫌がらずに今度は父の暖かい懐で、だっこしてねんねしようね。それまで泣かずに待っていてください。千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。ではしばらく左様なら。父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。では、一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待ってて頂戴


 

希望は生きる力の源泉

2019年05月26日

令和の御代を迎えて元号の話題もマスコミ等でよく取り上げられました。元号は西暦の645年、大化の改新という政治改革の際、唐が使っていたものを真似て使い始め701年の大宝以降は制度として使うことになりました。平成まで247の元号があるのに対し、今上陛下が126代天皇です。御代替りで元号が変わるというのは明治になってからのことで、それまでは天皇の御在位中に年号を政治的に変えていたということです。主に天災や凶作その逆の吉事があったとき等で改元されてきたのです。ちなみに247ある元号で期間の最長は『昭和』です。また、使われた漢字は平成までが72、令和の令が初登場で73文字となりました。今回私がこの元号のことについて書いたのは5月1日に行われた「即位後朝見の儀」において、天皇陛下即位の御言葉の後、安倍晋三首相が「国民代表の辞」を次のように述べました。「令和の御代の平安と皇室の弥栄をお祈り申し上げます」

「即位後朝見の儀」という天皇の一番初めの御公務での日本の行政のトップの辞としては、至極真っ当な言葉ではありましたが、皇祖皇宗歴代の天皇がもっともお望みなのは、ご皇室の弥栄より大御宝の安寧なのです。それは上皇の「退位礼正殿の儀」でお述べになられた『明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここにわが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。』ということにも顕れているし、何より悠久の歴史の中で天照大神の神勅のとおり国民を大御宝(おおみたから)と呼んで慈しみ、その安寧を私心なく祈り続けてこられた天皇という存在と、そのお心を大御心(おおみこころ)と呼んでお慕い申し上げてきた国民との関係が2千年以上続いている。(少なくとも千五百年以上)という事実からわかるのです。

 

また前置きが長くなってしまいました。改元が過去において吉凶の節目に行われてきたことの意味。それは希望を持つことの大切さを大昔から日本人が知っていたからだと思います。『希望は生きる力の源泉』なのです。

今、病気で苦しんでいても今が経済的に苦しくても、そこに将来の『希望』があれば何とか生きようとする力が出てくるものです。ましてや何処にも不具合がない人の『希望』は夢を実現する力となります。

 

私がとても悲しいのは日本は若年層の自殺率が大変高いのです。自殺の原因は間違いなく『希望』より『絶望』が勝ってしまったからです。暗いところで希望を見つけることができなかったからです。

他国から観れば、まして自由が制限されているような国から日本を見ればなぜこのようなことになるのかが理解できません。このような現実を天皇陛下、上皇陛下が心を痛められていないはずはありません。

 

為政者の皆さん。また世の中に与える影響力が大きい医師や教育関係の皆さんにこの文章が届くかわかりませんが、お父さん、お母さん、会社の先輩や上司の皆さんでもよいです。若者に希望を持つことの意味さを語ってください。夢とは違います。『希望』です。希望は小さくても明るければよいのです。真っ暗な心には1本の蝋燭でも充分。令和は、若者の自殺が減って、誰もが明るく前向きに希望が持てる時代になるよう私は祈ります。

 

繰り返しますが、希望は小さくて良い。目立たない時計の中の1個の歯車でも希望が持てるような心に育ててあげる義務が大人にはあるのです。しかし残念なことに、肝心な大人の世代にそのことがわからない人が多いのです。

平和の有難さ 武蔵丘陵森林公園

2019年05月04日

令和はじめてのレジャーは 自宅から車で30分かからない武蔵丘陵森林公園でしたが、着いてから駐車場に入るまでにそれ以上の時間がかかってしまいました。

 

一部ワンコが入れないエリアもありますが、子連れはもちろん、ワンコ連れの家族もたくさん来園していました。ネモフィラ/ルピナス/ポピーが盛りできれいでした。公園は広大ですが、舗装路を外れなければ急勾配もありませんし、いろいろな場所にレジャーシートを敷いて休むこともできます。誰しもが笑顔で楽しんでいて、その雰囲気の中にいるだけで幸せな気分になります。

 

我が家では、ワンコが苦手な人もいらっしゃるので人ごみに連れて行くときは、カートに乗せて場合によってはカバーを掛けて歩きます。時にそれが犬を甘やかせているように見えるようで聞こえるように皮肉の声を受けますが、あくまで他者への配慮のつもりです。

こういう景色の中にいると日本人として必読と私が思っている 『逝きし世の面影』(渡辺京二)にある、150年 以上年前の日本人と現代人も本質は変わっていないんだなぁ と実感します。機会があればぜひお読みください。江戸末期から明治にかけて来日した外国人が日本に滞在した生の声の記録です。当時の日本人の様子がよく観察されています。

 

ただしそこで終わってはいけません。江戸末期から、明治・大正・昭和・平成・令和と、どう日本が歴史に翻弄されているかを正確に掴むことこそ、令和がどういう時代になるかの鍵なのです。相当差し込まれていますが、昭和で守った日本、その時代を生きた人がいなくなって停滞・没落した平成。よーく考えないと、そこそこの幸福感を与えられることによって麻痺して気づかないうちに、次世代の日本人を劣化させたという平成という負の時代の延長になりかねません。

 

ここ200年くらいの正史を自分で調べて、どういう力(世界の力学)の中で今の日本があるのかを知れば、どう行動しなければならないかわかります。ただ残念なことに、私たちの世代に歴史を正す行動力が、残っていないかもしれません。

姫ウズラのチョコとお別れ

2019年04月29日

平成の終わりに 我が家の姫ウズラ『チョコ』が旅立ちました。満6歳をちょっと過ぎた一生でした。チョコはホームセンターで980円で売っていましたが、あれ以来姫ウズラを売っているのを見たことがありません。

ウズラは生まれてすぐに自分でえさを食べるので育てるのは楽だったのですが、人に慣れすぎたせいか夜になって私たちが別の部屋に行ってしまうと夜鳴きをするのです。それも独特の大きな声で『ヒョーヒョー』と鳴きます。はじめはダンボール、次に厚手の発泡スチロールとホームセンターで買ってきては試してみましたがどれもダメで寝不足が続きました。

 

結局は百均でケースを買って、呼吸ができるように孔を開け 妻の枕元に置くという方法で解決しました。毎晩欠かさず冬はペットヒーターをケースの下に敷いてやりました。タオルケットを掛けてしまうし、電気も消すので見えないはずなのですが、人の気配を感じるのか、そうしてやってからは一度も夜鳴きをしなくなりました。寂しがり屋で部屋に誰も人がいなくなると鳴きます。大きな声で『ヒョーヒョー』と、私は休日2階で仕事をするのですがこれも気配を感じているのか私を呼んで鳴くので、2階にセキセイインコと一緒に連れてきてあげるとうれしそうに『ピヨピヨ』鳴きます。人好きで、かごの横を誰かが通ると、ベタッと地に伏せて『ヒョッヒョッヒョッ』と鳴くので、なでてあげるとさらに声を大きくして喜びます。特に妻の手の中が好きで目をつむってじっとしています。ただし、ここ一年はワンコに主役の座を奪われてしまい。カゴから出してもらうこともできなくなり、妻の愛情も独占できなくりました。私が遊んであげても、やっぱりママのほうがいいんだろうなと思っていました。

 

最後は急に餌を食べなくなり、水も飲めなくなりました。我が家の鳥は妻の手の中で最後を迎えることが多いです。チョコの最後も妻の手の中で、首を上げ片方しか開かなくなった目で顔を見て息を引き取りました。

はじめのセキセイインコの『チッチ』も、妻の手の中で最後の力を振り絞って首を上げ、小さな声でさえずんでから息を引き取りました。二羽はたまたま休日だったので私もその様子を見ていましたが、次のインコの『キュン』は、私の仕事帰りまで一生懸命がんばって待ってくれていたようで、私が家について手に抱いてから、直ぐに息を引き取りました。動物はやはり人と心がどこかで繋がっていると思います。声なき声が聞こえるようです。

 

そして私は必ずその間際に 『次は必ず人間に生まれてくるんだよ、また会おうね』といいます。すでに人間に生まれてきたあなた。万物の霊長として、務めを果たしていますか。

亀の引っ越し 本宅へ

2019年04月20日

暖かくなってきたので亀を本宅に引っ越しさせました。今はこんなに綺麗ですが、1週間もすると水が緑色になって悪臭を放ちます。毎週の掃除は欠かせません。病気防止に体の掃除も大切です。

水槽の水の抜き方を紹介します。お困りの方の参考になれば幸いです。ホースが長く固定できれば2階からでも可能ですし、ホースが短ければ生ごみのバケツを中継に使います。

左側は出すところが近い場合、ホースの中に水を溜めて(漏斗でもホースでも)指でふさぎ初めに高い方に入れます。そして低い方を放せば排水できます。右のやり方はホースが届けば簡単です。低い方をセットしてからホースヘッドのジェットで水を流しながら沈め(初めから沈めていてももちろん大丈夫)数秒で水を止めれば排水が続きます。いずれの場合も出口にザルを置いておかないとメダカだと流れていってしまいます。落差が大きい時はざるに少し水がたまるようにしてあげておかないとショックで気絶してしたり死んでしまいますの ご注意ください。

我が家には水槽や水がめが屋内外で8個あるので短時間で掃除しないといけませんが特に屋内は水を抜かないと水槽を外に持ち出すことができないので、この作業の素早さが必要なのです。

吸い上げる力でゴミも吸い出せるので亀やメダカの水槽はこの方法で拭き上げをすればきれいになります。

 

新紙幣の人選

2019年04月13日

5年後に新紙幣が発行されることになり1万円札の肖像画が渋沢栄一翁に決まったことは、道徳経済合一論を会社の理念として掲げる弊社としても誠に悦ばしい事です。津田梅子・北里柴三郎といずれも明治期に実際に海外に赴いて学び、帰国後各分野においての日本の礎となった方たちです。私は同じ日本人としてこの明治期の人々を誇りに思います。

 

と同時に、この明治という崇高な精神を持った人々が活躍した時代以降の日本人の劣化に大変憂い感じているのです。この3人はいずれも氏族や庄屋の家に生まれたことで好機を得て偉業を達成したという側面もありますが。明治という時代を見ると私がよくブログでも書く『気概』や『倫理』というものが現代の日本人と桁違いに優れていたように思えるのです。

以前の5千円の肖像であったキリスト教徒の新渡戸稲造が英語で書いた『武士道』を読むと日本人の中に武士の末裔は少ないはずですがその論語や朱子学を取り込んだ武士道精神というものが広く日本人の心の中に浸透していたことが伺えます。戦争に結び付けては犠牲となったかたがたに申し訳ありませんが、日清・日露・第一次世界大戦で出征したところの日本軍の規律正しさと綱紀粛正の厳格さは高く評価されたものでしたが、これらの戦争を経験した高位の将官のなかからは大東亜戦争の日本軍は皇軍と称するに相応しいような軍紀厳粛が保てていないという声がすでに出ていました。昭和初期までの50年間ですでに日本人の心は劣化していたということです。それは敗戦によってさらに加速して70年以上経ったのですから、昨今もてはやされている日本人らしさなどは相当怪しいものです。

 

上杉謙信が北条の塩止めで苦しんでいた敵方である武田信玄に塩を送った際の書簡にある「私は塩で戦いはしない剣で戦うのである」という言葉に武士道の精神が表れていて、明治の人はその精神をまだ持っていました。

日本人らしさは封印され解体され忘れ去られました。心の武装解除が行われたわけです。日本独自の倫理観は許されないのでしょうか。「日本を取り戻す」と どこかの総理が言っていましたが。なにをどう取り戻すつもりだったのかまったくわかりません。がんばってもそれが公正に報われない社会は本当にそうなのか、そう感じているだけなのではないか、あるいは『気概』と『倫理』を武器にそういったもに負けないように生きるのが人生の目的なのではないでしょうか。機会の公平は望ましいけれども現実には水平はあり得ません。才能を上回る努力と公正さがあれば、希望は実現します。

 

100年後、お札が残っているとしたら、その肖像画は東大の入学式でスピーチした社会学者さんでしょうか。私はそんなことも憂いています。